教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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花石峠(11)

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花石峠(はないしとうげ)の取扱説明書

花石と聞いてすぐに北海道は道南の今金町のあの花石か!と思い浮かぶとしたら、余程の北海道通か当地生え抜きの人間に限られる。しかも花石峠の存在自体を認識しているとなると、もうその時点で廃道コンシェルジュを名乗ってもいい。何せ廃道仙人掘淳一氏率いるコンターサークルSが徒歩による縦走にも拘らず断念せざるを得なかった重鎮御墨付の強烈廃道である。廃道スナイパーの狙撃対象としては申し分ない格好の題材だ。現状を想像するだけでも武者震いするが、ターゲットは美利河峠の終点である花石郵便局から目と鼻の先に位置する。美利河峠の今昔を白日の下に晒した今、返す刀で花石峠を攻略しない手はない。美利河と花石の二部構成による後編の作戦名は、下町ロケットガウディ編に便乗しアウディ計画とする。アウディR8でどこまで突っ込めるのか?その辺も見極めつつ全貌を解明すべく侵攻を開始する。

 

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◆稜線上の鞍部を跨ぐ50mに満たない僅かな直線が峠

Y字路の分岐点を右に舵を切った僕は、秒単位でそこが峠である事を確信する。短い直線が終わり左へと弧を描く山道が、若干の下り勾配となっている事を僕は見逃さなかった。間違いない、Y字の交点付近が山道のピークである。

珍古辺峠ゲッツ!

黄色の上下スーツを持参していないのは画的に残念だが、僕は確実にターゲットを捉えていた。どこかへと抜け出た訳ではないので現時点で大きな事は言えないが、渡島半島横断線最古の車道の可能性が飛躍的に高まった事だけは確かだ。

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◆直線を終えた直後の左カーブより山道は下りへと転じる

残念ながら峠付近に人家が構えられる更地は見当たらない。進行方向右手にはなだらかな坂が続き、左手はストンと谷底へと落ち込む急崖となっている。両側共に熊笹に覆われ平地のようにも映るが、完全なる真平な土地は路面以外に見当たらない。他はどこも起伏に富んでいる。

美利河峠に茶屋があるといった話は聞いた事がなく、また文献等にもそのような記録は見当たらない。従って渡島半島横断線の難所には茶屋は存在しないとの解釈が妥当だ。何せこの路線は明治25年に端を発する古くて新しい路線であるから、茶店を開くには何もかもが手探りで一か八かの勝負になる。

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◆高圧線を潜る辺りでは明確な緩勾配の路になっている

鉄道優位政策が逆立ちしたって覆りそうもない状況下で、道路に我が命運を託すのにはそれ相応の勇気がいる。家族がいるとなれば尚更で、子供の通学を思えばこのような遠隔地への入植は基本的に有り得ない。この界隈を庭の如し熟知するアイヌであれば話は別だが、それとて定住を避けた僻地である。

いくら道路が通じているからといっても、所詮アイヌにも見放された曰く付きの土地である。本土からやってきた者が次の日から容易く営めるほど現場は甘くはない。どこもかしこも路面が泥濘となっている中で、当山道の頂上付近だけは地面が酷く乾いている。それは近隣に水源が皆無である事を意味する。

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◆正面に谷の向かい側を走る横這いの路を捉える

起伏に富む土地の形状もそうだが、最終集落からの距離、そして水源が見当たらない事からも、峠付近に於ける人の営みは無かったものと思われ、珍古辺峠は単なる通過点に過ぎなかったとの解釈が妥当だ。但しサミットは意外と賑やかだ。頭上を送電線が走っているし、峠では二本の路線が交錯している。

既にある程度下り始めている山道からは、谷を挟んだ向かい側の斜面を横這いに走る別の路が視界に飛び込んでくる。それがY字の交点を左に進む支線の延長線上にあるのは、引っ掻き傷を目で追ってみれば一目瞭然である。Y字を右の路が下り一辺倒であるのに対し、左の路は一向に降下する気配がない。

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◆峠の中里側と北住吉側では整備状況がまるで異なる

Y字を右の路は緩やかだが確実に高度を下げている。目的地と目される北住吉へ車両を軟着陸させるには、峰越えから早い段階で降下が要求されるが、左の路は山頂と同等の高度を依然として保っている。それを目の当たりにした僕はハッと気付いた。谷を挟んだ向かいの路は初代の利別山道ではないかと。

明治26年度内に渡島半島を横断する初の道路が竣工する。これにより人々は迷う事無く半島の東西を行き来出来るようになった。但し輸送機関は駄馬か徒歩に限られ、前時代の川舟移動から大きな進展は見られなかった。革命が起きたのはそれから17年を経た明治43年の事である。

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◆谷に沿って着地点たる北住吉側の視界が大きく開ける

一度に多くの客を乗せた乗合馬車が疾走する。その歴史的背景を元にした僕の見立てはこうだ。谷を挟んで向かいの斜面を横這いに走る路が第一期利別山道で、今僕が這い進んでいる路が第二期利別山道ではないかと。

Y字路を左が刈分道、右が馬車道

今一度昭和42年発行の市販の地図を思い出して欲しい。珍古辺峠と記された場所で細線同士がX状に交わっている。その細線の径には微妙な差がある。両者の着地点は共に北住吉である。その二路線が無関係でないのは明らかだ。

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◆振り向けば高圧線との高低差が大きく乖離している

それどころか両者が同一のDNAを持つ路線、即ち親子関係にあると考えるのは極めて自然で、事実明治年間に於ける利別山道は刈分道と馬車道の二度に渡る大改修が成され、そのどちらもが後志利別川を避け珍古辺峠を経由している。

高圧線の鉄塔が遥か上空に見えるほど、僕は緩勾配の坂道を一定のリズムで下っている。一方対岸の路は一定の高度を維持したままどこかへ消えてしまった。これを目の当たりにして左ダンコマ道、右馬車道と解釈しない方がどうかしている。

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