教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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花石峠(6)

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花石峠(はないしとうげ)の取扱説明書

花石と聞いてすぐに北海道は道南の今金町のあの花石か!と思い浮かぶとしたら、余程の北海道通か当地生え抜きの人間に限られる。しかも花石峠の存在自体を認識しているとなると、もうその時点で廃道コンシェルジュを名乗ってもいい。何せ廃道仙人掘淳一氏率いるコンターサークルSが徒歩による縦走にも拘らず断念せざるを得なかった重鎮御墨付の強烈廃道である。廃道スナイパーの狙撃対象としては申し分ない格好の題材だ。現状を想像するだけでも武者震いするが、ターゲットは美利河峠の終点である花石郵便局から目と鼻の先に位置する。美利河峠の今昔を白日の下に晒した今、返す刀で花石峠を攻略しない手はない。美利河と花石の二部構成による後編の作戦名は、下町ロケットガウディ編に便乗しアウディ計画とする。アウディR8でどこまで突っ込めるのか?その辺も見極めつつ全貌を解明すべく侵攻を開始する。

 

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◆北住吉⇔花石間の渡船交通と架橋を記した概略図

旧国道=明治の馬車道ではない!

今金町史は花石橋を明治43年の架設と言い切っているのに対し、住吉橋と住中橋については昭和10年頃に木造橋が認められ、住中橋はそれ以前より存在したという記述に留めている。三兄弟であるはずの橋の年代が揃わないってどゆこと?

後志利別川を跨ぐ三大大橋は明治43年架橋って事にしとけばいいじゃない。そうでないと渡島半島横断馬車との整合性が取れないし、未確認であるからといって昭和10年頃の架橋で筆を止めると、現場は混乱しますがな。

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◆昭和42年の市販の地図に刷られる珍古辺峠の文字

僕の手元には市販の書籍型ロードマップでは最古級となる昭和42年版の北海道道路地図がある。その時代の渡島半島横断道路は緑の線でなぞられる所謂道道というポストであり、昭和45年の国道昇格まであと数年と迫った時期の現況を収めた紙面には、現経路と全く同じ道筋が描かれている。

やはり最南端の奥沢地区を経由する大迂回路が、そっくりそのまま車道の元祖即ち明治の馬車道ではないのか?と思ったら、北住吉と花石の間に見過ごす事の出来ない峠名が記されているではないか。珍古辺峠、当時の市販の地図には確かにそう刷られている。

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◆中里地区で山中に分け入る林道らしき道筋を捉える

今日現在市販されている最新の地図には、峠名も無ければそこを通過する道筋さえも描かれてはいない。あるのは後志利別川に沿って大周りをする旧国道と、瀬棚線跡を踏襲する花石道路の二本のみである。仮に珍古辺峠が初代の車道であるならば、花石峠には親子三代の路の遍歴がある事になる。

珍古辺峠の珍の字は思いっきり瀬棚線の経路上に被さっている。瀬棚線は古来花石峠を隧道で越している。従って鉄道の峠名を記しているという見方が出来なくもない。ただ一条の実線が瀬棚線と並走する形で東西に描かれており、またもう一条の線も短絡線の如し左右に走っている。

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◆林道との分岐点には特に目立った構造物等は無し

その二本の線が交錯する地点に対し珍古辺峠を配しているようにも映る。釣橋と刷られた花石橋の地点から西進する小径に比し、少々中里寄りに南下しへの字型で横断する小径の方が、線の径が気持ち太い様に映る。目の錯覚かも知れないが、への字型ルートの方が道幅が広い可能性がある。

ただそれは線径の大小で判定したまでで、線形で言うと車道っぽいのは北住吉と釣橋を結ぶ蛇行ルートである。北住吉と花石の間に車道の峠があるならば、それはカーブが連続する蛇行路でないとおかしい。右へ左へと舵を切り無駄に距離を稼ぐのと引き換えでないと一昔前の車道は成立し得ない。

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◆半信半疑で謎の未舗装路へと進入する

一方車道以前の路は勾配を無視し最短距離を重んじるから、ほぼ直線で描かれるへの字型ルートが最古の横断ルートと見做すのが妥当だ。両者共に線の径が細過ぎて全く信憑性に欠けるが、一点だけ無視出来ない決め手を持ち合わせている。それは両者が共に最短経路で結ばれている事だ。

繰り返しになるが旧国道筋は無駄に距離を稼いでいる。瀬棚線もその跡を利用した花石道路も、北住吉と花石の間をほぼ直線で結んでいる。わざわざ迂回を望む馬鹿などいない。従って今も昔も距離は短いに越した事はない。だとすれば鉄道開通以前の路が峠を越えていたとしても何等不思議でない。

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◆路面には薄らと四輪のタイヤ痕が刻まれている

鉄道は昭和4年末に花石と国縫の間が先行開業し、翌年の秋に瀬棚線は今金まで延伸開業している。それまでは半島を横断する唯一の方法が道路を伝っての移動で、横断馬車の登場が鉄道敷設の源泉となっており、当時の馬車道が鉄道と付かず離れずの経路を辿っていたとしても何等おかしくはない。

唯でさえ馬車は致命的なスピードの遅さを内包しているから、どうせ遅延するなら峠越え経由の最短コースで連絡したいと強く望むはずで、後志利別川に沿う大迂回路を九十九折にてショートカットする最古級の路が山中に眠っていたとしても全く驚けないのである。

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◆入って100mもせずに山道は樹海の様相を呈す

確かにショートカットという観点から旧国道とは干渉しない全くの別路線の存在を疑う余地はあるが、如何せん現場付近には道路らしい道路は見当たらず、車道か否かも分からない細線だけを頼った第三の路の発見には難航が予想された。

ところが入口と思わしき山道をあっさりと捉え、しかものっけから平然と車道幅を維持している事に拍子抜けしてしまう。尤も行き止まりの支線林道の類である可能性も多分に含んでいて、僕は当路線を潰すつもりの駄目元で山へと分け入った。

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