教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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美利河峠(14)

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美利河峠(ぴりかとうげ)の取扱説明書

ニセコ・ルスツ・トマム・・・北海道に於ける片仮名の三文字表記地名は?3秒前、2、1、Q!と行き交う者にいきなり投げかけると、必ずと言っていいほど返ってくるのがメジャースキーリゾートと相場は決まっている。そこにピリカの名を挙げる者はまずいない。道民の内外を問わずピリカってどこ?ピリカって何?というのが現実的な反応である。その影の薄さは道路的にも然りで、美利河峠越えを目的として国道を走る者は皆無に等しい。だがそれが単なるドライブやツーリングではなく、旧廃道の探索となると話は別だ。一般に美利河峠に古道筋は存在しないとされ、旧廃道に言及した記事を目にした試しはない。事実拡張に次ぐ拡張で形成された現在の峠付近に、並走する別ルートは実在しない。但しその前後には失われた切り通しを補って余りある長大路線が森の奥深くで息を潜めている。そこで目にしたのは道内各地に点在するメジャー物件に勝るとも劣らない涎もののレアな歴史道であった。完踏が叶わない絶望的な廃道の秘奥に見た超絶レア絶景と、辛うじて単車での踏破が叶う長大藪道の現況を余す事なく白日の下に晒す。

 

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◆四車線化も視野に入る広々としたオープンカットの峠

今でこそ国縫側は峠下から備わる登坂車線の恩恵によって、速度ダウン必至のバスやトラックを涼しい顔の一般車両がスイスイと追い抜き、ほぼノンストレスで掘割を通過して行く。だがその昔は前を行くチンタラ車両を追い抜くどころか、対向車を避けるのに待避所での一時停止を余儀なくされる酷道時代があった。

後年拓かれた国縫川源流点へ向かう林道の存在によって、茶屋川の峠下⇔美利河峠間の旧道の約半分が砂利を継ぎ足されるなどして辛うじて原形を保っている。当時は頻繁に利用されたであろう待避所跡も認められ、現在の快走路が成立する以前の様子がそれとなく読み取れる。

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◆峠の瀬棚側もいつでも登坂車線が成立する状況にある

二箇所の落橋によって茶屋川の峠下⇔国縫川源流林道間の車両による踏査は叶わない。しかし大凡半分の道程が現存している事により、かつて瀬棚と国縫を結んだ幹線道路がいかなるものであったのかを把握するのは容易で、大型車一台の通行がやっとの狭隘路がのらりくらりと峠を越していたのだ。

瀬棚側の坂道に今日現在登坂車線は認められないが、ここ数年以内に追越車線が出現するのはほぼ確実である。何故ならば美利河峠を含む国道230号線筋が渡島半島横断道路に指定されているからだ。事実峠の掘割を含むその前後には、片側二車線を実現可能な余白が認められる。

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◆簡易軌道が存在してもおかしくない緩い坂道が続く

ピリカ峠の切り通しは物理的に四車線化が叶う状態にあり、いつ何時ゴーサインが出ても不思議でない環境下にある。重要なライフラインのひとつである瀬棚線を失った以上、残された道路に託された意義は小さくない。その思いが生命線である国道230号線の地域高規格道路への昇華に繋がっている。

トンネルをぶち抜くという選択肢もあったであろうが、標高139mという極めて低い稜線と峠下からの高低差も著しくはない為、当面の間は登坂車線で対応という結論に至ったのだろう。国縫側の登坂車線が先行する形で供用されているが、工事が始まれば瀬棚側が快適になるのもあっという間の話だ。

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◆ほとんどの者が気付かない下り坂終盤の引込線

鞍跨ぎの峠道に新道を設ける際には、従来の路を拡張する案と並行して比較線が検討される。比較線とはズバリ新たに掘削するトンネルを指すが、仮にその前身となる旧隧道が現地に存在するならば、そいつを利用しない手はない。勿論大前提となる旧隧道があればの話だが、実はあるんだなこれが。

ススキの群生に埋もれる形でひっそりと息を潜めているが、ピリカ峠を越えた先の瀬棚側の下り途中には、開削記念碑らしき石碑が祀られている。その在り処を知らなければ見過ごしてしまうほど存在感は希薄であるが、僕は花石の婆ちゃんから予め授かっていた。それが道路関連の記念碑などではないと。

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◆引込線の先にある小規模の転回場所兼駐車場

ちょっと前まであそこにはトンネルがあってね、夜な夜な幽霊が出るという噂があったのさ。それが本当だって大騒ぎになったのが、函館バスに人魂がぶつかったっていう事件で、ある日の最終バスが片方のバックミラーが壊れた状態で戻ってきたのさ。始め運転手は理由を言いたがらなくて、どこで事故を起こしたのかって上司が問い詰めると、峠で人魂と接触したんだって。普通ならそんな理由は通らないよね。でも会社は嘘を付くような人間ではないという事で、物損事故として処理したのさ。それから幽霊が出るって噂は本当だったって大騒ぎになってね。

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◆ひっそりと建つ瀬棚線鉄道工事殉職者慰霊碑

美利河峠にお化けって、キャー!

花石の婆ちゃん曰くピリカ峠に於ける幽霊の目撃談は珍しくはないという。トラックやタクシーの運ちゃんを筆頭に残業で遅くなった人などの目撃が絶えなかった。それを決定的としたのが函館バスの物損事故であったという。

その事故を機に地元出身の政治家が重い腰を上げ、原因とされるトンネルの封鎖に踏み切り、同時に慰霊塔を設置し御払いによって鎮静化を図ったという。するとそれを境に奇妙な出来事はピタリと止んだという。

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◆瀬棚線がタコ労働の上に成立する事実を明かす碑文

昭和三年瀬棚線敷設工事の際タコ部屋組織の中で土工として働き過酷な条件の中で病死或いは事故死を遂げし人々十三体無縁として野に葬られしを・・・

碑文には闇に葬ったはずの過去の忌まわしい出来事に対し、真摯に向き合おうとする人々の意思が読み取れる。鉄道の早期開業を望んだ先人達の末裔は、瀬棚線が残忍な結果の上に成り立っていた現実から目を逸らす事が出来なかったのだ。

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