教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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美利河峠(13)

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美利河峠(ぴりかとうげ)の取扱説明書

ニセコ・ルスツ・トマム・・・北海道に於ける片仮名の三文字表記地名は?3秒前、2、1、Q!と行き交う者にいきなり投げかけると、必ずと言っていいほど返ってくるのがメジャースキーリゾートと相場は決まっている。そこにピリカの名を挙げる者はまずいない。道民の内外を問わずピリカってどこ?ピリカって何?というのが現実的な反応である。その影の薄さは道路的にも然りで、美利河峠越えを目的として国道を走る者は皆無に等しい。だがそれが単なるドライブやツーリングではなく、旧廃道の探索となると話は別だ。一般に美利河峠に古道筋は存在しないとされ、旧廃道に言及した記事を目にした試しはない。事実拡張に次ぐ拡張で形成された現在の峠付近に、並走する別ルートは実在しない。但しその前後には失われた切り通しを補って余りある長大路線が森の奥深くで息を潜めている。そこで目にしたのは道内各地に点在するメジャー物件に勝るとも劣らない涎もののレアな歴史道であった。完踏が叶わない絶望的な廃道の秘奥に見た超絶レア絶景と、辛うじて単車での踏破が叶う長大藪道の現況を余す事なく白日の下に晒す。

 

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◆砂利が継ぎ足され路面状況が良好な旧国道

美利河峠を馬鉄が越えた!

頂上付近に旧廃道が存在しないつまらん峠には、過去に馬鉄が往来したという経緯があるというから驚きだ。一時代前は毛細血管の如し軽便鉄道が走っていた事は承知している。だが峠を越えての運用は注目に値するレアなケースだ。

何故か?それは鉱石は舟か駄付馬もしくは索道で運搬するのが妥当で、峠のような難所を介すとなれば尚更不適当であるからだ。但し我々は既に道北の熊越峠や道東の四号峠で、簡易軌道の峠越え事例を垣間見ている。

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◆谷底を這い進む旧道より高所を行く現道を捉える

直に軌道跡を追った経験は無いけれど、車道峠に並走していた事例を僕等は知っている。その点を踏まえれば何等驚くに値しないが、ほとんどの者が通過するだけの一介の峠にして、陸上交通史に残るエピソードが隠されていた事実を知って興奮せずにはいられない。

馬鉄往来のエピソードは実にセンセーショナルだ。ピリカ峠のみとなると人を惹き付けるだけの魅力に欠けるが、かつては瀬棚線が通じていたという点に加え馬鉄まで走っていたとなると、交通史的には全く無視出来ない。それにチンコべという下ネタまで加わった日には喰い付かない方がどうかしている。

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◆じわじわと高低差が縮まる国道230号線新旧道

それに近年ではダム巡りを趣味とする者がいて、ダムカードを収集するダムラーという人種が存在すると聞く。事実道道136号夕張新得線の息の根を止めた憎きシューパロダムを爆破目的で視察した際に、雨天にも拘らず多くの観光客が訪れているのを目の当たりにした。どうやら噂は本当らしい。

となると日本一の堰堤長を誇るピリカダムをダムラーが放っておくはずがない。土木事業という括りで言えばピリカダム、国道230号線(含旧廃道)、国鉄瀬棚線(含廃線)、それに古くは簡易軌道まであったというのだから、鉱石の出所である鉱山まで含めると、ピリカ峠は最早単なる通過点とは言い難い。

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◆新旧道が最も接近する箇所は垂直壁で仕切られる

後年この峠に国有鉄道を通したという事は、それなりのバックボーンがあったとの解釈が妥当で、軽便鉄道が先鞭を付けた可能性は大いに有り得る。残念ながら古地図上でその形跡を確認する事は出来ない。明治と大正に測量した地図のどちらにもその形跡が認められないのである。

簡易軌道と瀬棚線との直接的な繋がりは確認出来ない。しかしその存在は確実なものであると今金町史は詳細な固有名詞を用いて訴える。

明治二六年函館の田中正右ェ門が国縫・稲穂峠間にマンガン鉱搬出のため軽便木道を敷設した。

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◆旧国道沿いに少なからず認められる離合箇所

簡易軌道の成立は明治26年

これを早いとみるか遅いと感じるかは人それぞれだろう。一般に鉄道の開業は明治5年の新橋⇔横浜間とされているが、それよりも遡る事3年も前の北の大地で簡易軌道が産声を上げている。岩内は茅沼の炭鉱と港を結んだ茅沼炭鉱軌道がそれだ。

レールは角材を軸に鉄板で補強したもので、牽引も人や牛に頼っていたというから、その容姿は我々が想像する今日の鉄道とは明らかに異なるが、基軸線上を車両が往来するという点で、鉄道の原形という見方が出来なくもない。

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◆通常はゲートによって進入が規制されている旧国道

驚くべきは敷設に当たっての測量時期で、何と慶応2年というからビックリ仰天だ。坂本龍馬が暗殺される1年も前の出来事である。戊辰戦争の影響で工事は一時中断を余儀なくされたが、スムーズに事が運んでいれば江戸年間での稼働も夢ではなかった近未来の乗り物である。

しかしその実態は単なるトロッコに過ぎないという厳しい意見もあろう。ただトロッコじゃん!というツッコミは成熟した今だから言える事で、あの当時の人々の目には近未来の移動体に映ったのは間違いない。もしもあの時代に栄ちゃんがタイムスリップしたならば、恐らくこう発破をかけたであろう。

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◆切り通しの直前でぶつかる国道230号線新旧道

やっちゃえ、茅沼!

四輪の自動運転がいよいよ現実味を帯びてきた昨今、僕にも出来るパンパン・パパン!と調子に乗って手放し運転したら、見事にコケて全身打撲アルヨ。どうやら二輪の自動運転は時期尚早のようだ。未舗装林道状態の旧国道を抜け出ると、美利河峠の切り通しはもう目と鼻の先にある。

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