教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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志戸坂峠(24)

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志戸坂峠(しとさかとうげ)の取扱説明書

トンネル有るとこ旧道アリ、この格言に従って物見遊山していると、旧トンネルもしくは廃トンネルに遭遇し、芋蔓式に鞍跨ぎの古車道を見出しと一粒で二度美味しい優良物件に遭遇する事は珍しくはない。ここ志戸坂峠は現トンネルに旧廃隧道に尾根越え路の親子三代に亘る路の遍歴が垣間見え、老若男女が歴史道を容易に体現可能な峠道は近代土木遺産の優等生である。現場には必要にして十分な案内板等が備わり、自身の四肢と五感を駆使した実体験と、日替わりで時のアイドルと寝る妄想に裏打ちされた超絶想像力によって、誰もが一定の満足感を得られるに違いない。そこに史料が加わればもうお腹一杯で、次行ってみよう!となる。しかし何かが足りない。消化不良の嫌な余韻がいつまでも尾を引くのだ。この後味の悪さを解消するには土壌に一歩踏み込んだ掘り下げが不可避で、土地の人間に成り切る勢いで峠道を再考する必要がある。再三に亘る現地訪問及び全方位的に現場を精査し、公に出る事のない志戸坂峠の核心に迫る。

 

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世の中には思い出の峠に惚れ込んで、とことん深堀する郷土愛に満ちた者達がいる。ペンネーム安中侍史を名乗る男もその一人で、氏は志戸坂峠を今も昔も愛して止まない。その証拠に志戸坂峠に関するエピソードのみを取り上げた複数の出版本は、いずれも自費出版という形を採っている。

出版社に原稿を持ち込んだが採算に見合わないとされ、数百万円の身銭を切ってまで形に残そうとした氏の功績は称えられて然るべきである。残念なのは峠の交通史に関する割合が極めて少ない点で、江戸時代より継承される土地の伝承が主の昔話てんこ盛りもいいが、直近のエピソードが加われば尚良い。

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ターゲットをひとつの峠に絞り込みとことん掘り下げる安中侍史。氏はいい所まで行っておきながら、我々が最も知りたい情報がすっぽりと抜け落ちているという村史と同じ轍を踏んでしまった。坂根の長老にその話をすると、ハハハッ!と笑って、だったら今ここでその話をすればいいと言う。はぁ?

まさか坂根の長老=安中侍史ってか?そのまさかであった。ある日突然外国人が操る乗用車が坂根にやってくる。車種は恐らくT型フォードであろう。その当時は牛車であろうが馬車であろうが人力車であろうが、志戸坂越えには鼻曳きを必要とした。その為それを稼業とする専門の者が複数いた。

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それは鳥取県側の駒帰にも言える事で、それぞれが前曳きと後押しによって生計を立てていたという。自動車による越境など誰一人経験が無く、果たして越せるのか否かは全くの未知数であったが、そんな事はやってみなけりゃ分からないし、成否によっては割増料金で自動車の鼻曳きで収入UPに繋がる。

そこまで将来を見越しての挑戦か否かは定かでないが、兎にも角にもふらりとやってきた外人ドライバーと鼻曳き業者とのタッグによる志戸坂峠越えは実行に移された。T型フォードであれば幅員は十分足りる。流石にお釣りは来ないが、最初から最後まで許容範囲内に収まる。

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問題は勾配と二度三度と切り返しを余儀なくされるヘアピンカーブであろう。その道中で特に気を配ったのは、今は激坂の直線と化した岡山県側の三連続ヘアピンに違いない。道中の大部分はドライバーの腕一本に委ねられるが、加勢する鼻曳き軍団の脱輪しない為の細かいアドバイスも命運を左右したはず。

恐れを知らない外国人運転手と地元サポーターの協力による命懸けの挑戦は、自動車による初の志戸坂峠越えという金字塔を打ち立てる。しかしその結果は手放しで喜べるものではなかった。何故なら志戸坂峠は自動車による自力走行は事実上不可能という醜態を晒してしまったからだ。

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自動車による通り抜けは叶った。しかし道中は車両の押し曳きが必要で、サポーターの協力無しに自動車での峠越えは成立し得ない。そのような路は真っ当な車道とは言えないし、公式記録として残す事にも大いなる抵抗感がある。当然の事ながらこの一件はお蔵入りとなり、忘却の彼方に置き去りにされた。

物理的に自動車は志戸坂峠を越せたが、とても実用に耐え得るものではなかった。昭和初期まで主役を張った峠道は、乗合自動車の運行云々どころの話ではなく、エンジン駆動車がまともに峠を越せない時点で、物見峠とは比較にならないレベルの駄路であった事を物語る。

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一人の勇敢(無謀?)な外国人ドライバーによって、志戸坂峠は馬車道の域を出ない低規格を露呈したものの、次の改修次第では真っ当な自動車道に成り得る素地がある事も同時に世に知らしめた。可能な限りの手段を講じて難関を突破した氏の功績に、僕は大いなる価値があると信じて疑わない。

たった半日程度の珍事ではあるけれど、中央分水嶺に的を絞ればイザベラバードに匹敵する快挙と言えなくもない。自力走行ではなかったけれど、鉄の塊で中国山脈の壁に挑んだ外人ドライバーwith鼻曳きダンサーズの即席混成チームは、交通史的に後世に語り継がねばならないエピソードであると確信する。

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自動車の通り抜けが叶う規格にありながら、最後の最後まで自動車の通行を許さなかった初代の車道。知られざるエピソードによってようやく消化不良から解放された。誰もが自由に通行可能となったのは、定説通り峠に風穴が開いてからなのだ。

自動車の事始めは分かった。では車両による峠越え、即ち人力車による越境はいつ解禁となったのか?そのヒントとなるであろう明治黎明期の峠道が今も駒帰の村外れに現存する。最後の最後に最古の路を鉄馬で、いざ駆け抜けん。

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