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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>志戸坂峠 |
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志戸坂峠(23) ★★★★★ |
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志戸坂峠(しとさかとうげ)の取扱説明書 トンネル有るとこ旧道アリ、この格言に従って物見遊山していると、旧トンネルもしくは廃トンネルに遭遇し、芋蔓式に鞍跨ぎの古車道を見出しと一粒で二度美味しい優良物件に遭遇する事は珍しくはない。ここ志戸坂峠は現トンネルに旧廃隧道に尾根越え路の親子三代に亘る路の遍歴が垣間見え、老若男女が歴史道を容易に体現可能な峠道は近代土木遺産の優等生である。現場には必要にして十分な案内板等が備わり、自身の四肢と五感を駆使した実体験と、日替わりで時のアイドルと寝る妄想に裏打ちされた超絶想像力によって、誰もが一定の満足感を得られるに違いない。そこに史料が加わればもうお腹一杯で、次行ってみよう!となる。しかし何かが足りない。消化不良の嫌な余韻がいつまでも尾を引くのだ。この後味の悪さを解消するには土壌に一歩踏み込んだ掘り下げが不可避で、土地の人間に成り切る勢いで峠道を再考する必要がある。再三に亘る現地訪問及び全方位的に現場を精査し、公に出る事のない志戸坂峠の核心に迫る。 |
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◆ 旧態依然とした山道が往年の状態で現存する現場付近では、隧道を抜け出てきた二代目の車道と再接近を果たすが、両者は短い連絡路によって繋がっている。そいつは昭和新道の施工時に設けられた代替線である可能性が大で、山道の本線は谷を挟んで旧国道としばらく並走する形を取る。 その道中もまたこれまで同様延々と石垣が連なるが、新旧並走区間の悲しい性かな利用率は極端に少ないようで、一応定期的なメンテナンスは成されているようだが、鞍部を筆頭とする九十九折区間に比し粗暴さは否めない。現場は般ピーの往来を意識しない作業道の様相を呈している。 |
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◆ 事実このショットは古道筋というよりも一般的な林道にしか見えないし、整備状況が良好な九十九折区間に比し幅員も一回り足りないような気がする。これが山道が現役を張った時代の真の姿ではないのか?現役を退いた時分の状態を色濃く残す区間、それが新旧接続部より下流域なのではないか? 現場を目の当たりにした僕は直感的にそう思った。それは単なる思い込みに過ぎないのかも知れない。しかし杉木立を二分する路は豪い狭く、ハイエースクラスでも全く余裕がない現実を踏まえれば、志戸坂峠が最後の最後まで自動車の通行を許さなかったという史実や証言も頷ける。 |
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◆ 但しだ、当区間にははっきりくっきりと四輪の轍が刻まれている。それが軽自動車のものなのか普通車のものなのかは定かでないが、全体的に鮮明なダブルトラックが確認出来る。そいつを見る限り当時の小型乗用車が峠道を走破出来た可能性は十分に有り得る。 馬車道特有の非常なヘアピン&急勾配を差し引いて考える必要があるが、明治20年の大改修以来鞍跨ぎの路が幾度かの改修を経ている歴史的背景、現場検証により物理的に自動車の往来が不可能でない事実、そしてライバルである物見越えが昭和一桁の時点で旅客輸送を果たしている実績がある。 |
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◆ 山道に自動車を寄せ付けないほどの決定的な狭隘区でもあれば話は別だが、現時点で致命的と思わしき箇所は見当たらない。そもそも志戸坂峠が馬車道規格で道が拓かれた時点で、車格で荷馬車と大差ない当時の小型乗用車の通行は、余程の事情がない限り差支えないと捉えるのが自然だ。 今では完全に地中に没している頂上の切り通しは4m幅があったといい、そいつは馬車の相互通行を許すと同時に、今日の普通車同士の離合さえ叶う高規格にある。明治20年に大改修を受け刷新されたその道が、果たして自動車の通行を許さなかったという筋が通るだろうか? |
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◆ これに関しては全く釈然としない。昭和も二桁になろうかという時点で、視察に来た御偉方は人力車で峠を越えたとでもいうのだろうか?福島の栗子隧道と長崎の日見隧道に次ぐ長大隧道として、土木業界人の耳目を集める志戸坂峠の有効車両が人力車という喜劇を、我々はどう解釈すれば良いのだろうか? あらゆる角度から検証すればするほど、志戸坂峠自動車通行不能説はどうにも腑に落ちない。そこで僕は今一度坂根の長老を問い詰めた。すると氏は思いも掛けない事を口走った。これはあくまでも又聞きの部類で確信は持てないと前置きした上で、このような情報を僕に齎した。 |
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◆ 確かにあの峠を自動車が越えた記録は無い。私も見た事はない。しかし実際に自動車が越えたらしいという話を耳にした事がある。まだトンネル工事も始まっていない頃に、一台の乗用車が坂根にやってきた。運転手は外人であった。彼は峠を越せるか?と村人に訊ねると越せないという。困っている様子の彼に手を差し伸べた者がいた。それが牛馬の鼻曳きや人力車曳きを稼業としている者達で、前で引っ張る者と後ろから押す者と三人の加勢を得て、自動車は無事志戸坂峠を越えたという。 |
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◆ 志戸坂峠を自動車が越えた! それはあくまでも自力走行による峠越えではないし、いつ何時誰が越境したのかも定かでない一回限りのイレギュラーな事例で、それが故に坂根の長老も沈黙を守っていたのだ。 氏の記憶に埋もれしエピソードを、僕が半ば強引に引っ張りだした格好だが、この時の強引さが無ければ当レポは成立し得ない。何故なら氏は僕との接見すら覚えていないのだから。 志戸坂峠24へ進む 志戸坂峠22へ戻る |