教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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志戸坂峠(22)

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志戸坂峠(しとさかとうげ)の取扱説明書

トンネル有るとこ旧道アリ、この格言に従って物見遊山していると、旧トンネルもしくは廃トンネルに遭遇し、芋蔓式に鞍跨ぎの古車道を見出しと一粒で二度美味しい優良物件に遭遇する事は珍しくはない。ここ志戸坂峠は現トンネルに旧廃隧道に尾根越え路の親子三代に亘る路の遍歴が垣間見え、老若男女が歴史道を容易に体現可能な峠道は近代土木遺産の優等生である。現場には必要にして十分な案内板等が備わり、自身の四肢と五感を駆使した実体験と、日替わりで時のアイドルと寝る妄想に裏打ちされた超絶想像力によって、誰もが一定の満足感を得られるに違いない。そこに史料が加わればもうお腹一杯で、次行ってみよう!となる。しかし何かが足りない。消化不良の嫌な余韻がいつまでも尾を引くのだ。この後味の悪さを解消するには土壌に一歩踏み込んだ掘り下げが不可避で、土地の人間に成り切る勢いで峠道を再考する必要がある。再三に亘る現地訪問及び全方位的に現場を精査し、公に出る事のない志戸坂峠の核心に迫る。

 

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昭和9年(正確を期せば昭和10年)まで現役で供用された旧道は、山水や雨水を制御する側溝が設けられている。コンクリート製ではないところに古臭さを感じるが、新道への切り替え時期が戦後に持ち越されたならば、擁壁もろともコンクリ製に置き換えられていたかも知れない。

多少の雨くらいは一応コントロール出来ているようだが、台風や集中豪雨のような場面には未対応となっている。鳥取県側の第一ヘアピンでは轍跡に集積した雨水が勢いよくコーナーを突っ切り、路肩を削りながら斜面を滑り降りていった様子が窺える。一応土嚢で対応しているが万全とは言い難い。

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コーナー部は撒かれた砂利のほとんどが失われ、普段は砂利の層の下に隠れている地肌が思いっきり露出している。何等かの形で転圧はされているようで、路の表面は岩盤のように硬い。雨天でも泥濘になるような感じはせず、当山道は常時硬質であるような印象を受ける。

いつ何時もこのような状態をキープしているのであれば、自動車の往来には何等支障がないように思えるが、この峠道を自動車が行き来するようになったのは、志戸坂峠が歴史の道百選に選定されて以後の事で、それを機に山道を整備する為に必要に迫られて作業車が入ったに過ぎない。

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百選入りする以前の山道は酷く荒れていたといい、廃道状態に等しい悪路に一般車両が入り込む余地はなかった。また志戸坂峠を自動車が越えたという事例は無く、車両の往来はほぼ皆無に等しいと思って間違いない。坂根の長老は語る。自動車が峠を越えた話は聞いた事がないと。勿論見た事もないという。

確かに九十九折の線形を見る限り、現在の普通乗用車がギリギリの規格で、今よりも一回りも二回りも小さかったとはいえ、当時のバスやトラックが往来出来たのかという点で疑問符が付く。物理的にハイエースクラスの車格なら峠を越せそうだが、マイクロバスでは如何ともし難いものがある。

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曲率半径が1〜1.5mという究極とも言えるヘアピンカーブに、そこそこの高低差が加わるものだから、非力なエンジン×重ステの一時代前の自動車にとっては致命的とも言える非情な線形で、事実昭和3年現在の坂根界隈にトラックが入ったというが、峠は越せなかったとされている。

トラックが峠を越せなかったという現実は、そっくりそのままバスにも当て嵌まる。昭和5年の省営バスを皮切りに、国産車の奨励並びに車体の肥大化が加速し、昭和一桁現在でバスの乗車定員は二桁が常識となる。関東大震災前後に活躍したT型フォードベースの円太郎バスはすっかり過去のものとなっていた。

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従って当時のバスがこの山道を越せたとは到底思えない。それは記録が無い事実や証言が得られない以前に、線形的に有り得ない事をこの僕が保証する。但しだ、一時代前のバス所謂乗合自動車であれば話は別だ。前時代のバスはフォードかシボレーと相場は決まっている。

それであれば志戸坂越えはやってやれない事はない。何せ定期乗合自動車が同時代の物見越えを果たしているのだから、対抗馬たる志戸坂峠が未だ馬車及び人力車頼みというのは、どうにも腑に落ちない。しかし現実として志戸坂峠を自動車が越したのは、隧道開通以後というのが定説となっている。

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それだけではない。この峠には悲しいかな乗合馬車の運行記録さえ見当たらないのである。断言しよう、志戸坂峠は線形的に乗合馬車も乗合自動車も運行に差支えない。但しそれには条件が付く。我々現代人が目にする山道の現況が、そっくりそのまま当時の規格を有していた場合に限る。

実は山道の大部分が後年の整備で拡張された疑いがあるのだ。岡山県側では串刺し状でコース変更される前の三連続ヘアピンが幅員1.8〜2m程度の狭隘区であったし、鳥取県側では旧道と旧旧道がぶつかる直前に一部コース変更が成された事により、ほぼ手付かずと思われる山道が現存する。

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そいつがこれだ。山道から分離し一度大きく左に膨らんだ後、山道を二分する形で横切る代替路、その前後には整備後の山道と未整備の山道とが対峙する。片やほぼ完璧な車道の様相を呈すが、その片割れは馬車道さえ疑われる惨状と化している。

この現状を見る限り、明治20年以降も改修に次ぐ改修が成されたという志戸坂峠であるが、最後の最後まで馬車道規格を脱する事無く現役を退いたのではないかと疑わざるを得ない。それも馬車一台の通行がやっとという甘く危険な香りがする路だ。

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