教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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志戸坂峠(21)

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志戸坂峠(しとさかとうげ)の取扱説明書

トンネル有るとこ旧道アリ、この格言に従って物見遊山していると、旧トンネルもしくは廃トンネルに遭遇し、芋蔓式に鞍跨ぎの古車道を見出しと一粒で二度美味しい優良物件に遭遇する事は珍しくはない。ここ志戸坂峠は現トンネルに旧廃隧道に尾根越え路の親子三代に亘る路の遍歴が垣間見え、老若男女が歴史道を容易に体現可能な峠道は近代土木遺産の優等生である。現場には必要にして十分な案内板等が備わり、自身の四肢と五感を駆使した実体験と、日替わりで時のアイドルと寝る妄想に裏打ちされた超絶想像力によって、誰もが一定の満足感を得られるに違いない。そこに史料が加わればもうお腹一杯で、次行ってみよう!となる。しかし何かが足りない。消化不良の嫌な余韻がいつまでも尾を引くのだ。この後味の悪さを解消するには土壌に一歩踏み込んだ掘り下げが不可避で、土地の人間に成り切る勢いで峠道を再考する必要がある。再三に亘る現地訪問及び全方位的に現場を精査し、公に出る事のない志戸坂峠の核心に迫る。

 

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M20の大改修以前に車両が往来

明治黎明期の志戸坂峠を既に車両が往来していた事実は、なんと峠に鎮座する改修記念碑に整然と刻まれていた。その点を掘り下げ追及する交通史家が今日の今日まで居なかったに過ぎないという壮大なオチに、思わず目頭が熱くなる。

歴史道としての志戸坂峠という視点では、車両往来の起源など取るに足らない些細な出来事なのだろう。中世近世の研究では論外であるし、近代も現存する明治20年の馬車道の蘊蓄を述べれば大体は事足る。

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平安時代から千年以上も続く志戸坂峠史に於いて、明治初年から同20年までの20年間については、取り立てて騒ぐ必要のない平凡な出来事に過ぎない。多くの研究者がそれに異を唱える事もなく、数百年も前の古文書の精査解読に注力し、明治初期の出来事に食指が動く事はなかった。

普通の感覚であれば“車は転覆する”、“車馬は不通”と聞いて、スルーするのが真っ当な大人の対応なのであろう。だからこそその点を突き深く掘り下げる者が居なかった。しかしここにそのフレーズに対し過剰なまで反応を示し、現場で一人小躍りする変人がいる。他でもないこの僕チンである。

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血沸き肉躍るとはまさにこの事だ。一般に車両往来の起源は明治20年の大改修とされる中で、それ以前も車両の往来があるにはあったが、並大抵の事ではなかったと峠の石碑に刻まれているのである。一体全体それに感嘆せずに何に興奮するというのであろうか?画的にも現場は興奮の坩堝と化した。

見てくれ、この訳の分からない切り通しの仕様を。両サイドから堆積した土砂の量は半端なく、頂上付近を埋め尽くさんばかりの勢いで、今この瞬間もポロポロと小さな落石がそこかしこで発生している。かつては切り通し全体に石垣が配されていたようだが、今では完全に土中に没している。

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岡山県側は頑丈な擁壁による土止めが成され、辛うじて現況を留めているが、昭和9年まで供用していた本来の路は土砂で埋め尽くされ、その上に平成仕立ての新たな路が設けられている。鳥取県側に至っては明地峠同様木道が敷かれ、御丁寧に階段まで備えられている。

しかし階段は頂上から九段×2と小規模に止まり、その後は崩れるがままの放置プレイとなっている。旧道区間に一部廃道区間が組み込まれる美味しい展開だが、それが後年自然由来で形成された偽山道であるから、手放しでは喜べない。しかしその足元には両端が石垣に擁護された馬車道が存在する。

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鳥取県側は下るにつれ徐々にサイドの擁壁上辺が顔を覗かせ、最初のカーブに差し掛かる手前で石垣は完全なる状態で地上に露出する。積年の土砂を丁寧に取り除けば本来の通路が露わとなるが、二次災害の恐れが有る為重機を以てしても一大事となるのは間違いない。

昭和一桁まで現役で稼働した切り通しが拝めないのは残念だが、前後の様子から想像する事で良しとする他ない。ただ道中にみる石垣は確認出来るだけで三通りの仕様があり、サイズも形も異なる石同士を組み合わせた隙間だらけの乱れ積みと、規格モノの切石を積んだものとが混在する。

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それを見る限り明治20年以降も改修を重ねたのは間違いなく、下手こくと昭和になっても改修を続けていた可能性は否定出来ない。鳥取県側の最初のカーブの左手側溝付近に、石とは異なる明らかな人工物が認められる。そいつが電柱跡と気付くのにそれほど時間は掛らない。

三十三曲と称される九十九折を串刺しにするかの如し、当時は道路に寄り添う形で電線が並走していたのだろうか?或いは山道と送電線が離れている事から、頂上にある茶屋への引込線が張られていたのかも知れない。いずれにせよ頂上付近に電気が供給されていたのは確かだ。

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鳥取県側は道路が回復してすぐに新設の休憩所を迎えるが、その付近には鮮明なダブルトラックが認められ、あからさまに現行車両が行き来しているのが分かる。もしかしたら岡山県側のような障害やゲートは無いのかも知れない。

車両の転回場所が見当たらないのが少々気になるが、鳥取県側は一般車両の進入する余地がありそうな気配だ。淡い期待を抱き下り坂を一気に駆け抜ける。勿論その道中も失われた20年の手掛かりを求め、精査に抜かりはない。

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