教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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志戸坂峠(11)

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志戸坂峠(しとさかとうげ)の取扱説明書

トンネル有るとこ旧道アリ、この格言に従って物見遊山していると、旧トンネルもしくは廃トンネルに遭遇し、芋蔓式に鞍跨ぎの古車道を見出しと一粒で二度美味しい優良物件に遭遇する事は珍しくはない。ここ志戸坂峠は現トンネルに旧廃隧道に尾根越え路の親子三代に亘る路の遍歴が垣間見え、老若男女が歴史道を容易に体現可能な峠道は近代土木遺産の優等生である。現場には必要にして十分な案内板等が備わり、自身の四肢と五感を駆使した実体験と、日替わりで時のアイドルと寝る妄想に裏打ちされた超絶想像力によって、誰もが一定の満足感を得られるに違いない。そこに史料が加わればもうお腹一杯で、次行ってみよう!となる。しかし何かが足りない。消化不良の嫌な余韻がいつまでも尾を引くのだ。この後味の悪さを解消するには土壌に一歩踏み込んだ掘り下げが不可避で、土地の人間に成り切る勢いで峠道を再考する必要がある。再三に亘る現地訪問及び全方位的に現場を精査し、公に出る事のない志戸坂峠の核心に迫る。

 

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◆案内板の一つも無い岡山県側の旧国道と旧旧道の交点

竣工とほぼ同時期に自然災害による甚大な被害を受け、開通が翌年に持ち越しとなった初代志戸坂隧道。一介の地方道県道大原智頭線の最難所に開けられた風穴は、昭和9年当時のトップクラスの仕様で、延長も然る事ながら高さ・幅員・覆工のどれをとっても時代の一歩先を行っていた。

延長では到底敵わない栗子隧道に比し高さ・幅員共に上回り、特に岩盤剥き出しで凹凸の激しい内壁と滑らかな内巻きとの差は決定的で、少なくとも栗子隧道が改修される昭和11年までは、土木業界に於いて志戸坂隧道が一目置かれるスーパールーキー的存在であったのは間違いない。

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◆2トン車の通行を許すも実情は馬車道レベルの狭隘路

何故一地方道に高スペックの隧道が設けられたのかという素朴な疑問があるが、これには幾つかの条件が重なった事による偶然の産物という見方が出来る。明治も晩年になる頃には難所を隧道で克服するのが恒常的となり、志戸坂にも隧道を!という沿線住民の思いは日増しに強くなっていく。

議員による各方面の巡見視察によって隧道の利便性が集会所で熱く語られ、その噂が村中に拡散したであろう事は容易に想像が付く。他がやっているならうちもと思うのが人情というもので、昭和3年になると志戸坂隧道既成会なる組合が発足し、以後運動は激しさを増していく。

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◆沿道と古民家といい遺跡といい古道臭がプンプン漂う

折しも時は昭和不況の真只中で、長期戦が予想される大規模公共事業は多くの人夫を必要とする為、失業者を救済するという大義名分があった。また智頭を起点とする陰陽連絡線の誘致合戦に敗れたというのが大きい。鉄道予定線は大正年間で既に右手峠か物見峠の二択で、志戸坂峠は除外されていた。

鉄道の敷設が見込み薄となると、せめて道路だけは立派なものを!という思いが増す。鉄道もダメ、道路もダメでは沿線住民の不満が爆発しかねないから既成会も当然熱が入る。物見峠と右手峠が鉄道誘致合戦の鍔迫り合いを演じている渦中で、道路トンネル権を奪い合う相手は黒尾峠のみである。

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◆古来供用された智頭往来がベースと訴える石灯篭

事実当界隈の中央分水嶺でトンネル化を果たしたのは志戸坂峠と黒尾峠のみであり、鉄道というたった一つの椅子を奪い合っている隙に、道路の良化に努めるのは何とも強かな戦略である。これが功を奏し昭和5年には御上より前向きな回答が得られ、同7年には予定線の測量に漕ぎ着ける。

国策として推進する鉄道敷設事業が全盛期にあって、本命の鉄道が駄目なら新道建設という滑り止めを用意するといった発想はない。右手峠VS物見峠が二段仕込みでないと悟った沿線住民は、迷わず志戸坂峠のトンネル化に大きく舵を切る。志戸坂隧道を含む新道建設は掴むべくして掴んだ勝利と言える。

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◆峠下に位置する宿場の面影を今に伝える坂根集落

ただその大前提として実績のあるルートでなければならない。特定の地域間のみを連絡する里道では心許無く、草の原峠レベルでは請願したところで到底お話にならない。少なくとも民費による道普請で既に馬車を通しているといった実績がないと厳しい。それも中央分水嶺を跨ぐとなると尚更だ。

その点に於いて古来因幡往来と称される街道筋にある志戸坂峠のネームバリューは群を抜いている。ウニ岐道路といった訳の分からぬ名称を付与された黒尾峠とは訳が違う。

因幡往来(上方往来)

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◆集落の外れで左90度で折れ曲がり急坂と化す旧旧道

江戸年間の全てを池田氏が取り仕切った因幡国(いなばのくに)は、現在の鳥取市及び岩美郡と八頭郡に当る領域で、古事記には稲葉と記されている。池田氏が参勤交代の際に鳥取と姫路とを行き来した路で、上京或いは近畿圏を目指すという意味もあり、上方往来とも呼ばれている。

因幡往来は参勤交代の要路となる既定路線であるから、新道建設の請願に当り特に説明する必要がない。当界隈の分水嶺越えでは頭一つ抜きんでており、そのルートが新道建設に名乗りを挙げたとなれば、焦点は難易度と予算の見込みがあるかないかで、路線変更云々を唱える余地がない。

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◆坂根集落の外れにある最終人家で旧旧道は反転する

そもそもそれに代わる代替案が無いのだ。それくらい当路線が内包する歴史的背景には重みがある。その歴史道は閉店して久しい安妻商店前から始まる。かつて坂根止りのバスが折り返したという安妻邸の正面だ。

狭い坂根集落を抜けると舗装路は唐突に途切れ、路面はアスファルトから緑の絨毯へと切り替わる。そこ目掛けて迷わず突き進もうとする僕に、正面の家の主が待ったをかける。それは本線じゃないよと。どゆこと?

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