教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>旧道>岡山>志戸坂峠

志戸坂峠(9)

★★★★★

志戸坂峠(しとさかとうげ)の取扱説明書

トンネル有るとこ旧道アリ、この格言に従って物見遊山していると、旧トンネルもしくは廃トンネルに遭遇し、芋蔓式に鞍跨ぎの古車道を見出しと一粒で二度美味しい優良物件に遭遇する事は珍しくはない。ここ志戸坂峠は現トンネルに旧廃隧道に尾根越え路の親子三代に亘る路の遍歴が垣間見え、老若男女が歴史道を容易に体現可能な峠道は近代土木遺産の優等生である。現場には必要にして十分な案内板等が備わり、自身の四肢と五感を駆使した実体験と、日替わりで時のアイドルと寝る妄想に裏打ちされた超絶想像力によって、誰もが一定の満足感を得られるに違いない。そこに史料が加わればもうお腹一杯で、次行ってみよう!となる。しかし何かが足りない。消化不良の嫌な余韻がいつまでも尾を引くのだ。この後味の悪さを解消するには土壌に一歩踏み込んだ掘り下げが不可避で、土地の人間に成り切る勢いで峠道を再考する必要がある。再三に亘る現地訪問及び全方位的に現場を精査し、公に出る事のない志戸坂峠の核心に迫る。

 

DSC04554.jpg

◆匠の拘りは段差を付けた三重の笠石とアーチ環と燭光穴

晩年は数多のドライバーを奈落の底に突き落としたであろう恐怖のトンネルも、現在は別の意味で空恐ろしい穴蔵と化している。一切のメンテが成されなくなって30余年が経過した古隧道は、壁面の剥離に植物の浸食、加え経年劣化によるいい感じの色褪せ具合も相俟って、凄味を増している。

その他大勢の般ピーにとってトンネルという構造物は、恐怖の対象でしかない。途切れる事無く車両が行き交う二車線のトンネル以外は、大なり小なりリスクを伴い通行者に恐怖感を抱かせる。狭く長いトンネルであれば洞内離合に怯え、手彫り隧道であればその存在自体がキモ過ぎて生理的に受け付けない。

DSC04557.jpg

◆昭和初期産独特の雰囲気が漂う志戸坂隧道の洞内

事前に出るという噂を聞いての通行ならば、最新のトンネルであってもビクビクしながらの通行になるであろうし、頼りないライトの自転車では到底心許無い。また照明器具を持たない徒歩での通り抜けはほとんど肝試しに等しい。いずれにしてもトンネルに対して良い印象を抱いている者は稀だ。

それが役目を終えた旧廃隧道ともなれば尚更で、何故わざわざそげな所へ行く?と理解不能に陥る凡人の気持ちも分からなくはない。確かに漆黒の闇の中からアンガ田中が蟹歩きをしてきたら、地底人と思い込み石を投げ付け猛ダッシュするであろうし、その前にこっちの心臓がやられているかも知れない。

DSC04860.jpg

◆きのこ栽培や漬け物の保管庫として再利用される洞穴

岩盤剥き出しの素掘り隧道は恐怖感が五割増しとなるが、照明が消えて久しいコンクリトンネルは距離の長さに比例して恐怖度はUPする。残念ながら洞内では椎茸栽培が行われており、今日現在入洞は固くお断りとなっている。だがかつては洞内への進入が容易な時期があった。

その昔からコンクリとフェンスによる一定の規制はあったものの、歩行者のみであれば難なく行き来する事が出来た。当時の僕もその恩恵に授かった一人で、洞内はただただ暗く中央付近で意図的に仕切られた木製の壁にぶち当たり、通り抜けが叶わない事を知り泣く泣くリターンした苦い思い出がある。

DSC04870.jpg

◆事実上のポータルとなる鳥取側の落石防止目的の覆洞

世界を震撼させたナッツリターンから遡る事十余年も前の悲しい出来事だ。その当時は西粟倉側の坑口にはガッツリとしたフルフェンスは無かったと記憶しているが、智頭側の抗口に関してはほとんど変化が無いように思われる。唯一の違いと言えば洞内の漬け樽が腐っていた事であろうか。

智頭町の観光用パンフレットには幻の漬け物「坂井原ごうこ」なる特産品が掲載されており、その貯蔵庫として役目を終えた旧志戸坂トンネルが活用されているとある。年間を通じて10度前後を保つ洞内は、漬け物を保存するのにこれ以上ない格好の適地であるという。

DSC04862.jpg

◆覆洞に遮断壁が設けられ本洞のポータルは近寄れない

落盤の危険が認められない限り今後も貯蔵庫として運用されるはずで、西粟倉側が新規に椎茸栽培を始めている事から、隧道自身が土圧に屈するその日まで、初代志戸坂トンネルは有効活用され続けるに違いない。車道としては一線を退いているが、放置プレイではない以上現役隧道と言っても差支えない。

道路トンネルという既定路線とは180度異なる運用形態ではあるけれど、貯蔵庫として二次利用叶姉妹である以上これはこれで成立している。純粋な土木遺産として今後も公にならないのは残念であるが、昭和初期産のポータルが間近で拝めるだけでも有難いと思わねばなるまい。

DSC04861.jpg

◆堆積した土砂に根付いた植物によって一車線と化す旧道

智頭側は西粟倉側に比し隧道の断面がやや大きく見えるが、それが落石防止用の覆洞に過ぎない事は、金網越しに映る一回りも二回りも小さい真の隧道の断面で誰もが理解し得る。直球勝負の西粟倉側がとても親切に思える仕様で、智頭側のそれはドライバーにとって危険極まりない。

進入部は大型車同士の内部相互通行を匂わせておきながら、洞内に潜り込んですぐに断面が縮小する仕様は、危なっかしくて見てらんない。これが昭和56年まで現役であったのかと思うとゾッとする。茨城の月居隧道みたいに信号機による交互通行にしない限り、円滑な通行は保てそうにない。

DSC04866.jpg

◆今も鮮明な速度制限と追い越し禁止のセンターライン

国道トンネルとしてあるまじき醜態を晒す旧志戸坂隧道。しかし坂根の長老は最後の最後まで洞内は相互通行であったと力説する。普通車同士なら辛うじて洞内離合は叶いそうだが、一度バスやトラックが進入したらどうにもならない幅員だ。

事実初代隧道の有効幅は4mと狭い。近代的なコンクリトンネルとしては実に心許無い数字だ。ただこの隧道が穿たれた時期によっては、一概に狭いとも言い切れない。高が4mとみるか、されど4mとみるか、それは供用開始時期に因る。

志戸坂峠10へ進む

志戸坂峠8へ戻る

トップ>志戸坂峠に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧