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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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志戸坂峠(4) ★★★★★ |
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志戸坂峠(しとさかとうげ)の取扱説明書 トンネル有るとこ旧道アリ、この格言に従って物見遊山していると、旧トンネルもしくは廃トンネルに遭遇し、芋蔓式に鞍跨ぎの古車道を見出しと一粒で二度美味しい優良物件に遭遇する事は珍しくはない。ここ志戸坂峠は現トンネルに旧廃隧道に尾根越え路の親子三代に亘る路の遍歴が垣間見え、老若男女が歴史道を容易に体現可能な峠道は近代土木遺産の優等生である。現場には必要にして十分な案内板等が備わり、自身の四肢と五感を駆使した実体験と、日替わりで時のアイドルと寝る妄想に裏打ちされた超絶想像力によって、誰もが一定の満足感を得られるに違いない。そこに史料が加わればもうお腹一杯で、次行ってみよう!となる。しかし何かが足りない。消化不良の嫌な余韻がいつまでも尾を引くのだ。この後味の悪さを解消するには土壌に一歩踏み込んだ掘り下げが不可避で、土地の人間に成り切る勢いで峠道を再考する必要がある。再三に亘る現地訪問及び全方位的に現場を精査し、公に出る事のない志戸坂峠の核心に迫る。 |
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◆宿場の出口付近には一般の家屋がびっしりと立ち並ぶ 大原宿の後半戦は一般の人家が大部分を占める。南寄りに豆腐屋に魚屋といった専門の小売店が集中しているので、この宿場は割と棲み分けがはっきりとしている。北に行けば行くほど江戸情緒は鳴りを潜め、逆に昭和臭が全開となる。そこに見えるのは太平洋戦争前後の国民総麻痺ナスターズの様相だ。 ザッザッザッ!と寸分の狂いもない足並みで移動する兵隊を、パタパタと日の丸の旗を振って見送る沿道の市民達。今から遡る事70余年前のごく有り触れた日常の一コマである。そう、あの時はそれが日常だった。それが非日常の極めてイレギュラーな行動だなんて誰一人思わなんだ。 |
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◆大原宿の一車線区の数箇所に設けられる待避所 いや、正確には僅かながら違和感に気付いていた者もいただろう。しかし蔓延する戦争有りきの時の空気に支配され、うちなる声をぐっと押し殺しじっと耐えるしかなかった。時の政策に反するいかなる行動も言論も封殺され、戦争に反対する小さな芽は悉く潰されていった。 田原総一郎氏は自身の著書「誰もが書かなかった日本の戦争」の冒頭で次のように述べている。大東亜戦争は、後から見るとほとんど勝ち目のない、負ける戦争でした。振り返ってみるとあの時の行動は狂気の沙汰であるのは明明白白だが、逆説的に渦中の者ではそれに気付き難い事が分かる。 |
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◆ぱっとしない大原宿北側の国道373号線新旧道交点 終戦の前後で180度異なる教育をしているので、田原少年も学校の帰り道にテーテーテッテレッテー、テレッ!と叫ぶのが関の山であったのは間違いない。明治以後大国と戦火を交える事で権益を拡大してきた国家にとって、無条件降伏に等しいハルノートが許容し難き最後通牒であったのは言うまでもない。 戦う前から白旗を揚げるという選択肢が当時の日本には有り得なかったのは容易に想像が付くし、日米開戦後一気の攻勢で優位に立ち、二週間で休戦し対等な立場で外交交渉を進める皮算用も、まさかまさかの三年半に及ぶ長丁場で完膚無きまでに叩きのめされたのは周知の通りである。 |
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◆しばらく北上すると右に分離する国道373号線旧道 だが明治以降我が国が死に物狂いで築き上げてきたものを全て捨て、四つの島に引っ込めという強引な米国の主張は、国際的にも通用するはずのない理不尽極まりないもので、日本が平和裏に解決を試みんと八ヶ月に及ぶ粘り腰の交渉を一方的に破断するやり方には、大いなる憤りを覚えずにはいられない。 外交交渉に失敗した外務省の失態といってしまえばそれまでだが、大陸に於ける一切の権益を手放し文明開化以前の状態に戻れという主張は、そっくりそのままアメリカに返すと、ハワイ・カリフォルニア・ニューメキシコ・テキサス等を即時返還し、東部13州に戻れとイコールである。それも無条件でだ。 |
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◆集落内の全線が二車線に拡張済の江ノ原上の旧国道 ハルノートは戦前日本の国家解体を意味する。何を寝ぼけた事言ってんのかねチミは?新渡戸稲造は訴える。250年に亘って連綿と平和を満喫していた我が国は、海外の列強によって無慈悲に叩き起こされ武装する事を教えられたが、今度は先生達の教えを忠実に実行したという咎で扱き下ろされている。 欧米列強の常識では大きい物に巻かれるはずの極東の島国は、思いの外強かった。日本が主導する大東亜共栄圏は白人にとっては脅威であり、実に不都合な世界秩序を生み出しかねない。日本は邪魔な存在なのだ。田原総一郎氏は語る、例えあの時ハルノートを受諾しても戦争は不可避であったと。 |
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◆旧道沿いにポツリと佇む美作市営バスの江ノ原上停留所 昭和16年12月1日の御前会議にて誰からの異論もなく、天皇も異議を唱えなかった。この時天皇が日米開戦に公然と異を唱えたならば、遅かれ早かれ内乱が勃発し、強いては大戦に呑み込まれていったであろうと氏は読み解く。但し無茶苦茶な内容のハルノートに対し処方箋が全く無い訳ではなかった。 アメリカが日本に突き付けた訳の分からない最後通牒を世界に向け大々的に発信し、その不当性を堂々と主張すれば良かったのだ。日本の外交下手は今に始まった訳ではないが、先制攻撃などせずに米国世論の冷静な判断を仰げば、全く違った結果になっていたかも知れないのである。 |
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◆江ノ原上地区北側の国道373号線新旧道交点 全国各地の古老達は口を揃えて言う。今の空気が戦前の様子に酷似していると。しかしそれは恐るるに足らずだ。いかなる挑発を受けようとも口実さえ与えなければ戦争は回避出来る。我々はそれを真珠湾から学んだ。 戦争はけして肯定出来るものではないが、良くも悪くも現在の環境が先の大戦を経た結果の上に成り立っているという現実から目を逸らす事は出来ない。道路史に於いても戦争を抜きに語る事は避けて通れないのである。 志戸坂峠5へ進む 志戸坂峠3へ戻る |