教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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鎧乢(5)

★★★

鎧乢(よろいたわ)の取扱説明書

津山と勝田を結ぶ現在の国道429号線の礎を築いた津山真加部街道。その道中には二つの峠が存在する。ひとつは言わずと知れた出雲乢であるが、もうひとつの難所が鎧乢である。何だか戦国時代の戦をイメージさせる名称で、古来峠が戦の舞台となってきた歴史的事実を踏まえれば、この峠にもきな臭い伝説・伝承があっても全く驚けない。だが実際の現場は意味深な名称とは裏腹に、宗谷丘陵にも似た起伏の緩い穏やかなアップダウンを駆け抜ける快走路となっている。通勤・通学・ドライブといかなる車両も足早に過ぎ去る峠を敢えてスローモーションで通過すれば、通常では見えないものが見えてくる。それが旧道や街道といった古道筋の断片だ。散在するパーツを丁寧に拾い集め、一介の街道が国道昇格を果たすまでの軌跡を紐解く。

 

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今日現在R429を伝い津山と勝田を辿った場合、道中に目立った障害は見当たらない。勝央町と美作市の境界付近に多少の起伏があるものの、その勾配及び線形は非常に穏やかなもので、連鎖状で点在する丘越えのひとつに過ぎない。そのような道中で突出する唯一の障害がある。それが鎧乢だ。

旧県道筋が概ね上書きされる事で成立する現国道筋に於いて、ここ鎧乢は旧道の残骸が突出して多い。何でもない区間であれば拡幅で済む話だが、そうは問屋が卸さないのがここ鎧乢であり、津山と勝田の間に限れば鎧乢が最難所であった事は、目視による実走調査からも最早疑う余地がない。

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R429の津山⇔勝田間で最急勾配を誇る勝田側の坂は、その距離こそ300m強と短いものの、当該区間の大方が田園地帯を横這いに進む平坦コースにあって、高低差の激しい急坂は最大の障壁であると言っても過言ではない。それが明治の馬車道であれば尚更で、それなりの難易度であったと推察される。

乗合自動車の黎明期に乗客の押しを必要としたのは、ここ鎧乢の勝田側の坂でほぼ間違いない。本来であれば九十九俺で処理すべき斜面を、何を血迷ったか明治新道は直線に等しい緩やかなS字カーブで通してしまった。これが致命傷となり乗合自動車の営業は一時期脅かされた。

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それに輪を掛けたのが当時の非力なエンジンで、T型フォードを改造し本来の乗車定員を上回る客を乗せての運行というのは鼻から無理があり、急坂でエンジンが悲鳴を上げるのも当然の成り行きである。かくして乗客はなんだかな〜とかブツブツ文句を言いながらも加勢していたのだろう。

直線の急坂に改められた現在も重車両にとっては鬼門の坂に違いないが、舗装路に比し足元が不安定な未舗装路という条件下では、現代の車両でも苦戦を強いられるのは必至で、発展途上にあった自動車の黎明期に於ける希少な事例として、鎧乢の“押し”は見逃せない史実である。

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鉄道の通じない当界隈に於いて乗合自動車は生命線であり、運転手のテク向上や乗員規制等で当座を凌ぎ、数年後に入れ替わる新車の登用を以て押しの必要性は無くなったと考えられ、長くても開業から数年間の不慣れな時期の失態であるが、交通史的には非常に興味深いエピソードである。

かつて定員オーバーのT型フォードが悲鳴を上げた心臓破りの坂は今も健在で、平坦路に切り替わった後も歩道に転用された旧道は、現道と並走する形で見渡す限り延々と続いている。ベースになっているのが明治27年に完成したとされる新道であるが、鎧乢にはもうひとつ別の第三の路があるのだ。

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それが頂上付近に残る現道にも旧道にも干渉しない小径だ。その起点はサミットから津山側150m前後手前の吉川畳点前に位置する。側溝沿いに大きく膨らむ形で弧を描く旧道に対し、小径は畳屋に沿って真っ直ぐに駆け上がり、二手に分かれる両者の間には三角州のような島状の飛び地が認められる。

畳屋に沿う側溝とおにぎり状の飛び地の間には、軽自動車一台分の幅しかない。無理すれば普通車でも進入出来なくはないが、いずれにしても幅員が2m有るか無いかの狭隘路である。それは飛び地の脇を擦り抜けるほんの一瞬の出来事で、その先には御馴染みの1.5車線路が待っている。

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白線は畳屋と三角飛び地の間を潜らぬよう1.5車線路にて車両を国道へと誘うが、それが新設されたショートカットであると気付くのにそれほど時間は掛らない。おにぎり状の飛び地、それは背後に横たわる原野の切れ端で、かつては畳屋の正面スレスレを車両が行き来していた時代の名残である。

明治新道は吉川畳店を合図に大きく弧を描くが、幅2m前後の小径は真っ直ぐに上り詰めている。こいつは直近のどこかで見た光景にそっくりだ。そう、その線形は出雲乢に酷似する。1.5車線路と付かず離れずで並走する小径、そいつが津山真加部街道である事は線形的にほぼ間違いない。

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聞き取りで吉川畳店の店主はさっぱり要領を得ないといった反応であったが、出雲乢を精査したばかりの僕の目は誤魔化せない。間違いない、現国道にも旧道にも被らない小径は旧旧道、即ち国道429号線の祖である。

倒れかけたカーブミラーが車両の往来を示唆し、交点を照らす現役の木製電柱が古道臭をプンプン漂わせている。現場は変則の十字路となっているが、進むべき方向はズバリ右である。誘導役の白線が本線は右と強く主張する。

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