教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>旧道>岡山>鎧乢

鎧乢(2)

★★★

鎧乢(よろいたわ)の取扱説明書

津山と勝田を結ぶ現在の国道429号線の礎を築いた津山真加部街道。その道中には二つの峠が存在する。ひとつは言わずと知れた出雲乢であるが、もうひとつの難所が鎧乢である。何だか戦国時代の戦をイメージさせる名称で、古来峠が戦の舞台となってきた歴史的事実を踏まえれば、この峠にもきな臭い伝説・伝承があっても全く驚けない。だが実際の現場は意味深な名称とは裏腹に、宗谷丘陵にも似た起伏の緩い穏やかなアップダウンを駆け抜ける快走路となっている。通勤・通学・ドライブといかなる車両も足早に過ぎ去る峠を敢えてスローモーションで通過すれば、通常では見えないものが見えてくる。それが旧道や街道といった古道筋の断片だ。散在するパーツを丁寧に拾い集め、一介の街道が国道昇格を果たすまでの軌跡を紐解く。

 

DSC04001.jpg

江戸時代の絵図では出雲乢と鎧乢が隣り合わせになっている。机上で二次元の世界を議論する図面舞踏会では、似た様な二つの瘤を跨ぐものと捉えがちだが、実際の三次元世界では小峠と大峠という風に大波小波を打っている。同じ乢でも両者の性格は決定的に異なる。

出雲乢は並走する低山の稜線を越えておらず、稜線を直に跨ぐ県道67号線の峠との解釈が妥当で、田園地帯の真只中を貫く国道の峠とは言い難い。但し出雲乢自体は紛れもない峠であり、古道筋が通過点としていた事実を以て、国道の峠とする見方が出来なくもない。

DSC04000.jpg

解釈の仕方により峠で有る無しの賛否ある出雲乢に対し、鎧乢は誰もが認める一点の曇りもない峠である。しかも列記とした国道の峠であるから、同一路線上に前後する両者の乖離は激しい。但し鎧乢も出雲乢に負けず劣らずの認知度の低い無名に等しい峠という点で一致する。

有名無実な出雲乢と異なり鎧乢は確実に一山を越えている。車両の如何を問わず行き交う者の誰もが峠である事を意識する高低差並びに勾配のある坂を持つ。なのに認知度が低い。何故か?ナビを含む地図に掲載された例がないからだ。この未掲載という事実には首を傾げざるを得ない。

DSC04003.jpg

理由は単純だ。鎧乢には今も昔もバス停が備わっているからだ。勿論停留所名は鎧乢である。それは今も昔も変わらない。地元住民によると中鉄時代も鎧乢であったというし、町営に変わった現在でもその名は引き継がれている。因みに出雲乢の名も停留所名としてしっかりと継承されている。

姫新線の勝間田駅と勝田を結ぶ町営のふれあいバスは、県道67号線&国道429号線の経路を辿るが、交差点を直角に折れ曲がる形で別路線に切り替わる要所がまさに出雲乢の交点で、そこに設置された停留所には出雲乢旧十字路の名が冠されている。逆説的に現在の十字路は出雲乢新十字路と言える。

DSC04002.jpg

停留所名に乢と付くのに峠らしきものは存在しない出雲乢に対し、鎧乢は前後に急坂が待つ正真正銘の乢にして、鎧乢なるバス停まで置かれた至極真っ当な峠である。嗚呼それなのに世間一般はこの峠を峠と認識していない。認知されていないという事は存在自体が否定されているも同然である。

国道429号線には青垣峠とか高野峠とか志引峠とか難所と呼べる障害が幾つも立ちはだかる。そのような連中と比較するとどうしようもないが、鎧乢が列記とした同路線の峠である事に変わりはなく、難所の一員に加えてもいいように思うが、紙面上に名を連ねる事は未だ実現に至ってはいない。

DSC04005.jpg

鎧乢が難所と呼べるか否かの査定基準として、旧道の存在を挙げない訳にはいかない。元々の道筋が大したものでないのなら、旧来の路を上書きする形で拡張すればいい。それをせずにわざわざ別ルートを設けるという事は、何等かの不都合があったものと考えざるを得ない。

代替路の新設は勾配の是正であったり見通しの悪さ解消であったりする訳だが、ここ鎧乢にはサミットの前後共に旧道の残骸が認められ、その断片が峠らしさを後押ししている。幸か不幸か鎧乢には出雲乢同様街道から国道昇格に至る過程の路の遍歴が垣間見られる。

DSC04019.jpg

津山側に現存する旧道は出雲乢旧十字路時代のもので、砂煙を巻き上げる路線バスが激しく行き交った時代の置き土産である。左右にそれ以外の小径が全く認められない事から、旧道は街道筋を踏襲しているのかも知れない。事実出雲乢では旧公民館手前で旧旧道と旧道が重なっている。

旧旧道と旧道の重複区がそのまま鎧乢に向かっているとしたら、古道筋らしき小径が認められない点も頷ける。実際鎧乢の津山側はダラダラ坂以上急坂未満の並坂で、峠の前後はその昔から直登であったとしても何等不思議でない。現に歩道化された旧道はほぼ直線的に峠へと至る。

DSC04018.jpg

御覧の通り新道は旧道に干渉しない形で新設されており、歩道に転用された旧道は峠の50m手前まで真っ直ぐに上り詰める。旧道と現道を合わせMAXで4車線はあろうかというオープンカットの鎧乢も、かつては狭く険しいものであったという。

恐らく一時代前は完全一車線に近い状態で頂きへと上り詰めていたのだろう。歩道に転用された旧道の色違いの路面がそれを示唆する。間違いない、出雲乢と同じくここ鎧乢もバス一台の通行がやっとという難所時代を経ているのだ。

鎧乢3へ進む

鎧乢1へ戻る

トップ>鎧乢に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧