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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>県道>岡山>出雲乢 |
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出雲乢(8) ★★★ |
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出雲乢(いずもたわ)の取扱説明書 出雲乢、その名称から想像するのは唯一つ、出雲街道の難所にして最大の障壁であるが、その名が市販の地図に刷られるのは稀で、我らがバイブルツーリングマップルでは有史来記載された例は一度も無い。何故なら肝心の峠そのものが存在しないからだ。現場に峠らしきものが認められないから、そこに出雲乢と記載すると意味不明で混乱する。従ってマップルの判断は頗る正しい。しかし現地では聞き取りに応じてくれた古老の全てが出雲乢と言い切った。そこが峠でも何でもないのにだ。始めは地名を疑った。出雲乢とは単なる地名ではないのかと。しかし名称に乢とある以上、出雲乢が峠由来である可能性を否定出来ない。峠無き有名無実の出雲乢、一筋縄とはいかないが、この難題に取り組む価値はありそうだ。当報告書は既知の峠を調べるのではなく、峠か否かを査定する踏査考察記である。 |
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◆県道67号線との交点を前に急激に降下する旧旧道 このまま順調に進めばサミットを捉えるかも知れない。そう思った矢先に小径は下り坂となり、目の前を横切る幅広道へストンと着地する。頂点を極めそうな勢いで低山の斜面を駆け上がる狭隘路は、高まる期待値とは裏腹に空振りに終わった。この展開に少々がっくりするも、実はそうでもないようだ。 随分と昔に削られてしまいましたが、この道(旧旧道)は山の天辺まで登っていました。戦争が終わって天皇陛下が来られるとの事で、日本原へ通じる県道を掘り下げたんです。昭和25年頃ですかねぇ、今のようになったのは。 |
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◆標高の低い県道に合わせる形で窪んだ地点が出雲乢 天皇巡幸由来の峠の掘り下げ 御覧の通りR429旧旧道もとい津山真加部街道は、現県道67号線と直に交差する為に、ピークを目前にして下りに転じている。自身よりも低い位置にある県道に合わせ、一時的に高度を下げている。 本来であれば峠へ向け上り調子であるはずの小径は、県道とぶつかる直前で突如失速し首を垂れる。その一因についてカブ婆ちゃんは、戦後数年かけて催された昭和天皇の巡幸が関わっているのだという。 |
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◆かつての標高は正面の物置小屋と同等の高みにあった その当時の県道67号線は県道津山大原線よりもしょぼかったという。南北を貫通するその路の規格を、東西を縦貫する県道と同等に引き上げたのが昭和20年代で、その発端となったのが昭和天皇による戦後初の巡幸で、勝間田駅と日本原演習場とを結ぶ県道は、巡幸を契機に整備されたのだという。 県道67号線筋の整備に当り出雲乢は掘り下げを余儀なくされ、かつて低山の絶頂を極めたという津山真加部街道の難所は、完全に空を切る形でこの世から葬り去られ、出雲乢なる名称だけが語り継がれ今に至る。見てくれ、この軽トラの通行さえ許さないコンクリ敷きの小径を。 |
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◆前後の様子から2m前後窪んでいるのが分かる 振り向くと県道を挟んだ先にある狭隘路と対を成しているのが分かる。かつてここには十字路があった。現在の高度に比し2m前後の高みにある交点で、東西線は十字を境に前後が下り勾配となっており、また南北線は交点を機に平野部へと一気に駆け下りる片峠の様相を呈していたという。 今では完全に空を切る過去の峠であるが、戦時下を生き抜いた者の目にははっきりと見えている。低山の頂上付近に掘り下げた乢の姿を。出雲乢は単なる伝承ではない。戦後しばらく峠の形状を保っていた正真正銘の乢なのだ。そこは今、県道と小径が交わる単なる辻と化している。 |
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◆完全に空を切っている今日現在の出雲乢 広角のU字でだらんと凹んだターゲットは、最早乢と呼べる代物ではない。それでも僕は敢えて言おう。そこは峠であると。但し平野部から低山の斜面を駆け上がり、稜線を跨がずにピークを打ってそのまま同じ斜面を下るという性質から、国道429号線の峠とは言い難い。 出雲乢、それは県道67号線筋に立ちはだかる難所である。勝間田駅から北上する県道は、ドライバーが意識するかしないかの緩勾配の坂を駆け上がる。そして丘陵地帯の高所を横這いに北進したところで、ストンと平野部の窪み目掛けて落ち込んでいる。その落差の始まる境界線が出雲乢なのだ。 |
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◆出雲乢よりほぼ横這いに這い進む古道筋 その形状はズバリ片峠である。行き交う者が峠を意識しない厂型の峠で、正確を期せばへの字型なのだが、ダラダラ坂の度が過ぎて現代人は峠と意識出来ない。しかしそれは自身の脚力を用いないからであって、一時代前の人々は誰もがそこを峠と認識していた。何故ならば徒歩移動が基本だからだ。 ぼんやりと車窓を眺めているだけでは気付かない。しかし自身の足だけを頼りに行き来すれば、そこが峠である事をはっきりと意識出来る。それが荷車や人力車であれば尚更で、明治新道が敷設される以前は東西線とて同じであった。稜線を越えない津山真加部街道にしても難所である事に変わりはない。 |
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◆僅かだか緩やかな下り勾配で勝田方面へ向かう旧街道 事実空を切るサミットを境に小径は下りへと転じる。それは極めて不明瞭な横這いに等しい路ではあるけれど、勝田方面に向かって確実に高度を下げつつある。出雲乢を境に緩やかな下り坂となっているのだ。 十字路を境に四方に拡散する県道筋と古道筋。それぞれが下りないし横這いに拡がる県道勝央勝北線と津山真加部街道の辻、そこが真の出雲乢で確定とみて良かろう。それを裏付ける物証が目の前に迫っている事に僕はまだ気付いていない。 出雲乢9へ進む 出雲乢7へ戻る |