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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>県道>岡山>出雲乢 |
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出雲乢(7) ★★★ |
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出雲乢(いずもたわ)の取扱説明書 出雲乢、その名称から想像するのは唯一つ、出雲街道の難所にして最大の障壁であるが、その名が市販の地図に刷られるのは稀で、我らがバイブルツーリングマップルでは有史来記載された例は一度も無い。何故なら肝心の峠そのものが存在しないからだ。現場に峠らしきものが認められないから、そこに出雲乢と記載すると意味不明で混乱する。従ってマップルの判断は頗る正しい。しかし現地では聞き取りに応じてくれた古老の全てが出雲乢と言い切った。そこが峠でも何でもないのにだ。始めは地名を疑った。出雲乢とは単なる地名ではないのかと。しかし名称に乢とある以上、出雲乢が峠由来である可能性を否定出来ない。峠無き有名無実の出雲乢、一筋縄とはいかないが、この難題に取り組む価値はありそうだ。当報告書は既知の峠を調べるのではなく、峠か否かを査定する踏査考察記である。 |
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◆右の斜面の中腹に更に古い古道筋があったという この辺りでは私が一番の年長だね。大正生まれでピンピンしているのは私くらいだねぇ。戦争が終わった直後に嫁いできた時には、そこの道(旧道)が本線で当時は県道だった。バスが1日10本以上はあったかねぇ、ほとんどの物はここで揃うのだけど、津山へ買い出しに行くのに便利だった。その昔はこの道(旧旧道)を使っていたと聞いています。私が来た頃には両方使っていて、道幅は今の半分くらいだったかな、それでも荷車なんかが通っていましたよ。 |
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◆大正12年生まれのこの界隈では最長老のカブ婆ちゃん この斜面の途中にも道があったんですけど、今は草に埋もれてしまって分かりません。自転車も通っていて通学路でもあったのですが、手入れをする人もいなくなりました。 R429出雲乢旧旧旧道?! 畑仕事に精を出すこの婆ちゃんは只者ではない。2年前に免許証を返納した際の年齢が90歳で、しかも四輪の免許は所持しておらず、スーパーカブに始まりスーパーカブに終わるカブ女子として、この界隈ではちょっとした有名人であったらしい。 |
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◆津山真加部街道の本線は二又を右の小径 ほぼ毎日のように旧旧道沿いにある畑に通っているカブ婆ちゃんは、他所から嫁いでいる為その道が本線を名乗っていた時分を知らない。しかし嫁ぎ先の者から低山の南麓を横這いに伝う小径が、かつては本線であった事実を明かされたと語る。今でも当時の状態を保っている区間があるという。 それがこの二又だ。ストンと落ち込んでいる直進の路は旧道に吸収されてしまうが、右の小径は旧道と一定の距離を保ちながら並走する。東西に走る基本的に交わらない両者が、旧道と旧旧道の親子関係にあるのは一目瞭然で、見る者が見れば一発でそれと分かる線形に感動さえ覚える。 |
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◆街道筋は軽トラ一台がギリギリの狭隘路 そこは軽トラ一台の通過がやっとの規格で、一歩間違えば畑に転げ落ちる危うい道程ではあるけれど、裏を返せばその危うさこそが街道由来の脆弱性を露呈する古道筋の証左だ。抜本的な改修は何一つ成されてはいない。あくまでもその場凌ぎ的発想で梃入れされた暫定車道に過ぎない。 現存する津山真加部道の大抵の区間は、4トン車が行き来出来るように改められているが、ここだけは違った。終戦直後にカブ婆ちゃんが目にした裏道が、ほぼ往時の状態を維持したまま今日まで継承されている。舗装された以外に特に変化は無いとカブ婆ちゃんは言い切る。 |
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◆勾配も幅員も人力車にとっては余裕の道程 二又以降この小径は更なる高みを目指して上昇を止めようとはしない。県道67号線が接近する現場は単なる低山の中腹に過ぎず、このまま頂点を極めるとは到底思えない。しかし旧道に比し明らかな高位置を通過しているのは疑う余地がなく、しかも横這いではなく完全に上昇気流に乗っている。 非常に緩やかな上り勾配ではあるが、家々の合間を縫って確実に上昇の一途を辿る。その道筋に最も似合う車両は何であろうと考えた時、僕にはこれ以外に適当な物が思い浮かばない。人力車だ。軽トラだと余白も糞もない狭さだが、人力車だと歩行者との擦れ違いが叶う若干の余裕がある。 |
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◆現役の市道として街道筋を四輪が行き来している 訳の分からない段差や道路を横断する古株の根等の障害物が徹底的に排除された街道筋は、道幅はそのままに現代の路に見劣りしない常識的な道程でそこにある。それが昨日今日始まった訳ではなく、終戦直後には土道であってもその状態にあったというから驚きだ。 カブ婆ちゃんはこの道がかつての本線である事を口承で知ったが、それ以外にもう一本の道が斜面の中間付近を伝っているのを目の当たりにしている。僕はてっきり頭上を這い進むその道が単なる人道と安易に捉えていたが、そうではなかった。なんと自転車が行き来していたというのである。 |
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◆低山の頂点を極めんと上昇を止めない街道筋 低山の南麓どころか南斜面を伝うその道の性格は、平野部を田畑として最大限有効活用せんとする江戸道に重なる。仮にそいつが純粋な江戸道だとしたら、一昔前の本線と伝承されるこの小径の正体は何なのだろう? 官主導で公式記録に残る明治新道が旧道であるとするならば、旧旧道は民間主導民間資本によって明治黎明期に拓かれた非公式の新道との解釈が出来なくもない。但しカブ婆ちゃんから授かった道が正真正銘の旧旧旧道であればの話だ。 出雲乢8へ進む 出雲乢6へ戻る |