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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>出雲乢 |
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出雲乢(4) ★★★ |
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出雲乢(いずもたわ)の取扱説明書 出雲乢、その名称から想像するのは唯一つ、出雲街道の難所にして最大の障壁であるが、その名が市販の地図に刷られるのは稀で、我らがバイブルツーリングマップルでは有史来記載された例は一度も無い。何故なら肝心の峠そのものが存在しないからだ。現場に峠らしきものが認められないから、そこに出雲乢と記載すると意味不明で混乱する。従ってマップルの判断は頗る正しい。しかし現地では聞き取りに応じてくれた古老の全てが出雲乢と言い切った。そこが峠でも何でもないのにだ。始めは地名を疑った。出雲乢とは単なる地名ではないのかと。しかし名称に乢とある以上、出雲乢が峠由来である可能性を否定出来ない。峠無き有名無実の出雲乢、一筋縄とはいかないが、この難題に取り組む価値はありそうだ。当報告書は既知の峠を調べるのではなく、峠か否かを査定する踏査考察記である。 |
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◆県道415号工門勝央線と国道429号線との交点 市販の地図にまず登場する事のない出雲乢第三の路は、現道の起点と同じく県道415号工門勝央線との交点に端を発する。出雲乢付近から第三の路を津山方面に逆走してナチュラルに辿り着いたのがこの交点であるから間違いない。古道への入口は極めて不明瞭で、余程注意していない限り気付かない。 T字路の正面には酒屋がドーンと構え、勝北方面から滑り降りてきた車両は、この交点で左右どちらかに舵を切るのが普通だ。しかしここを直進するのが当たり前であった時代があった。この交点のどこに直進可能な路があるというのか?建物と建物の間を潜り抜ける僅かな隙間、それがかつての本線である。 |
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◆津山と勝田を結ぶ津山真加部街道を踏襲するR429 今では国道429号線の経路がすっかり定着して久しいが、京都の福知山と岡山の倉敷とを結ぶ長距離酷道の成立は比較的新しく、今のような経路に落ち着いたのは時代が平成になってからである。それ以前は御当地県道として各自それぞれが地域密着型の県道として機能していた。 昭和57年には倉敷⇔津山間が国道指定されているから、成立から30年余年が経過する既定路線ではあるが、国道の指定範囲が岡山県内に止まる初期段階に於いて、津山⇔大原間は県道38号津山大原線を名乗り、県界を跨ぐ主要県道として一定の地位を確立していた。 |
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◆R429と県道415号線の交点はT字路ではなく十字路 その前身を津山真加部街道もしくは津山真加部道という。県道は兵庫県の大原と県内の津山を結ぶ中距離路線であるが、基礎となる街道筋は津山と勝田を結ぶ短距離路線であった。江戸時代の絵図にみるその経路上には、中継地として確かに出雲乢の名が認められる。 この経路が江戸時代に主役を張った幹線道路であるならば、必ずや出雲乢を通過しているはずである。現場が峠と呼べる代物かどうかは分からない。明らかな峠として現存しているかも知れないし、大幅な地形改変により当時の面影はすっかり失われているかも知れない。 |
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◆交点を突っ切ると江戸時代のような別世界が広がる しかしこの経路を辿った先にかつて出雲乢と呼ばれたポイントを通過しているのは間違いない。一般的にはT字路という扱いの交点を直進すると、普通車一台の通り抜けがやっとの狭い通路が待ち受け、辛うじて四輪の通行を許している。国道と県道の交点は歪だが、ギリ十字路を保っていると言える。 家と家の隙間を突き抜けると、視界がパッと開ける。左手には柳、右手には松と、江戸時代の風情が感じられる。これで路面が砂利敷きであれば申し分ないが、排水溝を埋め込んだ舗装路が現場の雰囲気を台無しにしている。しかしながら一昔前は必要不可欠な陸路として機能していたのは間違いない。 |
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◆街道を彷彿とさせる枡形と呼ばれるクランク状の線形 何故そう言えるのか?人家が密集するエリアを抜け出た途端クランク状になっているからだ。その昔は敵の侵入を簡単に許さぬ工夫として、宿場の前後には枡形が設けられた。この通路には無駄に折れ曲がるクランクがあり、江戸時代の主要ルートであった可能性は大いに有り得る。 枡形らしきクランクを経て軌道修正した細道は、再び矛先を南に向け田園地帯を直線的に突き抜ける。現在の国道筋が日の目を見たのは明治年間で、それ以前の津山真加部道は現在のルートとは重ならない全く別の経路を辿っており、その道筋は現ルートの1km前後南寄りであったらしい。 |
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◆津山真加部街道が待つ低山の麓へと直線的に進む 恐らく視界前方に待つ低山の麓辺りをのらりくらりと走っていたのだろう。山裾を東西に走るその道が国道429号線の祖となる津山真加部道で、そこへ至る完全一車線のこの狭隘路は、県道415号工門勝央線の祖という事になる。一時代前の国道429号線と県道415号線の交点は、南の山麓にあったのだ。 江戸時代の人間にとって360度見渡す限りの田園地帯の真只中を道路が貫通するなど非常識極まりない。その時代の者にとって田畑を潰して道路を敷設するなど有り得ない愚行である。従って低山の裾を這い進む津山真加部道は理に適っているし、この細道とて必要最小限の幅員でしかなかったであろう。 |
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◆田園地帯を直線的に貫く県道415号工門勝央線の祖 今でこそ2トン車クラスにも対応しているが、一時代前は畦道に毛の生えた程度の小径であったに違いない。今では貴重な田畑を潰し市民の憩いの場として公園にしてしまうのだから、随分と時代も変ったものである。 恐らくこの小径を日常的に利用する者の十中八九が、江戸時代の脇道或いは間道である事に気付いていない。県道415号工門勝央線の祖である事もそうだが、この先の南麓でぶつかる津山真加部道が国道429号線の祖である事もだ。 出雲乢5へ進む 出雲乢3へ戻る |