教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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出雲乢(2)

★★★

出雲乢(いずもたわ)の取扱説明書

出雲乢、その名称から想像するのは唯一つ、出雲街道の難所にして最大の障壁であるが、その名が市販の地図に刷られるのは稀で、我らがバイブルツーリングマップルでは有史来記載された例は一度も無い。何故なら肝心の峠そのものが存在しないからだ。現場に峠らしきものが認められないから、そこに出雲乢と記載すると意味不明で混乱する。従ってマップルの判断は頗る正しい。しかし現地では聞き取りに応じてくれた古老の全てが出雲乢と言い切った。そこが峠でも何でもないのにだ。始めは地名を疑った。出雲乢とは単なる地名ではないのかと。しかし名称に乢とある以上、出雲乢が峠由来である可能性を否定出来ない。峠無き有名無実の出雲乢、一筋縄とはいかないが、この難題に取り組む価値はありそうだ。当報告書は既知の峠を調べるのではなく、峠か否かを査定する踏査考察記である。

 

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◆花壇によって遮られた津山側旧道の入口

毎度の事ながら旧道との比較対象として現道の実走を試みる訳だが、今回ほど拍子抜けする事例はない。始めから峠など存在しない事は分かり切っているから馬鹿馬鹿しさこの上ない。国道429号線と県道67号線が十字で交わる交点付近は、盆地の真只中にある単なる平坦路に過ぎない。

しかし現道は明らかに近年になって敷設されたバイパスである。それは現場の様子を見れば一目瞭然だ。その道中には丘陵地帯の中腹へと矛先を向ける旧道らしき道筋が認められる。そこに峠に関する何等かのヒントが隠されているかも知れない。そう思うと全くの期待外れとも言い切れない。

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◆微弱ながらも登り勾配の緩い直線の坂が続く

新旧道の交点は花壇を配置する事によって、意図的にドライバーを新道へと誘導している。旧道に進入するとはっきりとした意思を持たない者は、自然とエア峠へと導かれる仕組みだ。しかし現場にはかつて全ての車両がナチュラルに進入したであろう痕跡がはっきりと見て取れる。

交点の前後は寸分の狂いもなく真っ直ぐに延び、丘陵地帯の中腹を射程圏に捉えている。その線形は盆地の真只中を這い進む高低差無しの現道筋とは明らかに異なる。現道から離脱した旧道は、微弱ながらもすぐに登り勾配となり、緩やかな長い坂を駆け上がる。

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◆旧道は基本的に大型車一台の通行がやっとの狭隘路

その勾配は瞬間最大でも3度に満たない緩やかな坂で、平均勾配が1度前後のダラダラ坂となっている。どう転んでもこの先に峠があるとは思えないシュチュエーションで、近所のおばちゃん達もママチャリで余裕シャキシャキで行き来している。

出雲乢旧道はママチャリでも余裕の緩勾配

その道中は狭く大型車一台がやっとの狭隘路となっている。部分的に軽自動車同士の擦れ違いを許す箇所もあるが、車列の一団に2トン車や大型ワゴンクラスが紛れていると、たちまち滞るような狭い道が続く。

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◆住宅密集地を直線的に貫く国道429号線旧道

歩道付きで大型車同士の相互通行を許す現道とは豪い違いだが、好むと好まざるとに関わらず一時代前はこの道を大真面目に車両が行き来していたのだ。けして罰ゲームではないし、行政の嫌がらせでもない。昭和の晩年までこの道を通る以外に選択肢はなかったと地元住民は語る。

地元民がそう言うのだから否定のしようがない。大型車と歩行者との擦れ違いもままならないこの狭隘路が、バイパス成立以前の本通りである事実は線形からも疑う余地はない。この糞狭い道を最盛期には路線バスが1日十数往復もしていたという。その旧道を古老軍団はバス道と呼ぶ。

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◆宿場の雰囲気を残す旧道筋は街道臭がプンプン漂う

ここら辺は汽車がないじゃろ。昔はバスが汽車のようなものだった。今は乗る人も無く3本しかないが、昔は10往復以上もあって、走る度に砂煙を巻き上げていくものだから、まともに洗濯物が干せんかった。

国道429号線は上片往来の宿場である大原へと通じている。その途中には梶並往来の勝田宿及び梶並宿があり、津山を起点にそれらの宿場を結ぶ路線バス網が構築されていた事は容易に想像され、行き先が異なる路線を束ねると、バスが1日十数往復していたとしても何等不思議でない。

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◆低山の中腹に位置する県道67号線との交点

現在の国道筋をバスは1日3本しか往来しておらず、そのほとんどの車内はガラガラという現実からは想像し辛いが、どの便も鈴生りであったという路線バスは、バイパスが完成するまでこの狭隘路を当然の如し疾走した。それは通勤通学のみならず買物でも利用され、沿線住民のライフラインであったという。

バスパスが敷設される以前に旧道筋の舗装化が試みられたというが、バス黄金時代と称される昭和30年代から同40年代にかけてはバリバリの砂利道で、晴れの日は砂埃を舞い上げ、雨の日は泥を跳ね上げるといった有様で、自宅前を行き来するバスは有難くもあり、また迷惑な存在でもあったという。

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◆峠と呼ぶにはどこか物足りない一時代前の陸路の要衝

その時代のバスが駆け抜けた十字路は、現道の交点に比し二階建ての家一軒分の高低差がある。現場はけして標高が高いとは言い難い低山の中腹に当るが、現国道に比し相対的に明らかな高台を這い進んでいる。

一点の曇りもない真っ当な峠ではないが、緩勾配ながらも十字路に向かって上り詰めているという点一つ取っても峠道を否定出来ないし、ましてやそこに街道臭がプンプン漂っているとなると、出雲乢の存在を疑らない訳にはいかない。

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