教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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物見峠(16)

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物見峠(ものみとうげ)の取扱説明書

美作の県北域に県界を跨ぐ第五の車道を捉えるまでは、四天王の一角を成しそれなりの重責を担った峠道がある。現在は市町村道に区分される車両の通行を許す里道の峠が皆無という特殊なエリアで、日中の交通量がほとんど無いに等しいにも拘らず、主要一桁県道というポストに君臨し続ける路線、それが物見峠だ。我々はこの峠について何も知らないし、さして興味を抱く事もなかった。旧廃道でなければ道路に非ず、その拘りが当該物件を遠避けてきた。しかしこの峠を軽く扱えるのも今日までだ。この峠道無くして今日の黒尾峠は成立し得なかったし、物見峠を無視してこの界隈の交通事情は語れない。黒尾峠から始まる峠物語は右手峠と草の原峠を経ていよいよ最終章を迎える。道路の現況に囚われない歴史道の真髄を御覧頂こう。

 

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◆新見川沿いを1.5〜2車線で下る県道6号線旧道

アルファベットで表記される物見峠と日本語表記に止まるその他の峠の決定的な相違は認められない。昭和40年代初頭の志戸坂峠は既にトンネルによる瞬間移動を実現しており、道路規格に於いては物見のそれを完全に凌駕している。なのに志戸坂峠はノーマル扱いとなっている。

因みに中央分水嶺を越える近隣の峠でアルファベット表記されているのは人形峠のみで、辰巳峠、犬挟峠、内海乢、四十曲峠、明智峠、谷田乢の錚々たる面子も全てノーマークである。他方面に目を向けると、あの矢ノ川峠や栗子峠なども日本語表記に止まっている。

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◆因美線の踏切を渡った先の橋には10トン規制が掛る

一方アルファベット表記は鈴鹿峠や箱根峠など我が国を代表する著名峠の名がズラリと並んでいる。全国に数多ある峠を篩に掛けた基準は定かでないが、選ばれし者の中に物見峠が紛れ込んでいるという事実がある。全国区の峠としてはほぼ無名の存在に等しい物見峠がだ。

昭和40年代初頭に地図を頼りにドライブする者は稀で、バスや汽車を乗り継いでの家族旅行や、観光バスによる団体旅行が主流で、一部の富裕層や外国人が操るマイカーが極稀に行き来するに過ぎず、このような僻地であれば珍しい存在であったのは間違いない。

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◆普通車同士の擦れ違いを許す県道6号線旧道の錦橋

土地勘の無い彼等が頼れるものは携行する地図のみで、津山を過ぎてしばらく走った地点で二手に分かれる道のどちらを選択するのかは、当時実際に使用されていた古地図をみる限り考える余地はない。物見峠だ、彼等は迷う事なくMONOMI Toge Passを目指した。

その当時既に国道53号線に昇格していた黒尾峠は、津山市内より北へ向け拡張及び舗装化が進行しつつあるが、それは物見峠も同じで、両者の改良工事はほぼ同時並行的に推し進められたのだと市販の古地図は語る。まだ那岐ループも黒尾トンネルも無い旧態依然としたダート時代である。

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◆デザインが思いっきり昭和臭全開の生きる史跡錦橋

その頃に唯一の拠り所である水先案内人は、物見峠の優位性を説いている。その当時の旅行者は迷わず国道を選択したのではないかという主張もあろう。しかし国道に指定された道が必ずしも国の御墨付きを得た事と一致しないのは、これまでみてきた数多の事例が示す通りである。

智頭町内に滑り込んだ県道は新道と旧道の二手に分かれる。御世辞にも広いとは言えない家々の合間を縫う旧道筋を辿ると、千代川を跨ぐ古風な橋が視界に飛び込んでくる。それほど古くもなく近代的な橋梁でもない中途半端な橋であるが、意匠への拘りが少なからず見て取れる。

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◆国道53号線との交点を突っ切る県道6号線旧道

国道53号線の腸にぶつかるその橋を錦橋という。欄干が塗り替えられるなど部分的に補修されているが、全体の雰囲気としては昭和中期臭が漂っており、仮に後年親柱や欄干が付け替えられたとすれば、戦前の架橋であっても何等おかしくはない容姿をしている。

今頃になって気付いた事だが、この錦橋は智頭町域に架かる橋で唯一市販の地図に橋名が記載される道路橋で、智頭のランドマーク的存在である様子が窺える。事実デザインも他の橋梁群とは一線を画し、錦橋の存在感は際立っている。この土木構造物を捉えた瞬間、僕は物見優位論に気持ちが傾いた。

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◆二車線の幅広道が県道時代を経ている事の証左

国道53号線の黒尾新道が成立する以前は、黒尾峠も物見峠も一長一短ある三流道路に過ぎないが、津山と智頭を結ぶ経路としては物見峠に若干の部があった。それを証明するのが津山側に現存する加茂橋であり、今は亡き加茂の軒戸橋であり、智頭側で現役の錦橋である。

そのいずれもが戦前色の濃い重厚な容姿をしており、戦車をも通す堅牢性を兼ね備えている。橋上で普通車同士の擦れ違いを許す潤沢な仕様は、黒尾峠旧道が霞んで見えるほどだ。錦橋を渡り終え国道53号線を貫通した先に延びる二車線規格の路は、物見峠優位論を決定的なものとする物的証拠である。

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◆国道53号線旧道と県道6号線旧道の交点

見てくれ、このT字の交点に垣間見える決定的な路の違いを。宿場臭全開の直線道路は国道53号線の旧道と国道373号線の旧道が交わる由緒ある旧国道筋である。そこにぶつかって来る路の規格は1.5車線の国道筋を完全に上回っている。

国道連合を凌駕する一県道筋、この現実をどう解釈すれば良いのだろうか?この歴然たる規格の相違が認められるT字路を目の当たりにした瞬間、智頭と加茂を結んだとされる物見峠路線バス伝説がいよいよ現実味を帯びてきた。

物見峠17へ続く

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