教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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物見峠(5)

★★★

物見峠(ものみとうげ)の取扱説明書

美作の県北域に県界を跨ぐ第五の車道を捉えるまでは、四天王の一角を成しそれなりの重責を担った峠道がある。現在は市町村道に区分される車両の通行を許す里道の峠が皆無という特殊なエリアで、日中の交通量がほとんど無いに等しいにも拘らず、主要一桁県道というポストに君臨し続ける路線、それが物見峠だ。我々はこの峠について何も知らないし、さして興味を抱く事もなかった。旧廃道でなければ道路に非ず、その拘りが当該物件を遠避けてきた。しかしこの峠を軽く扱えるのも今日までだ。この峠道無くして今日の黒尾峠は成立し得なかったし、物見峠を無視してこの界隈の交通事情は語れない。黒尾峠から始まる峠物語は右手峠と草の原峠を経ていよいよ最終章を迎える。道路の現況に囚われない歴史道の真髄を御覧頂こう。

 

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◆JRと並走する直線の傍らに親柱らしき物体を捉える

現在の県道筋は加茂川と因美線の間を伝っている。二車線の快走路しか知らない我々現代人は意識していないとその存在に気付かないが、かつての県道は美作加茂駅の正面を横切ると、知和駅の直前まで線路の東側を並走する。その道筋は低い位置を走る現県道筋から窺い知る事は出来ない。

仮に偶然その存在に気付いたとしても、特定の区間だけ鉄路と並走する市町村道の類と区別が付かず、気にも留めないのがオチだろう。その道筋は走ってみると良く分かるが、見渡す限り直線のどの場所でも普通車同士の擦れ違いを許す贅沢な仕様となっている。

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◆凝った装飾の石像物には軒戸橋と彫り込まれている

完璧な二車線ではないが一時代前の国道に準ずるインチキ二車線規格を維持しており、一介の里道レベルに収まる道でない事は、この世界に片足を突っ込んだ者であれば容易に想像が付く。白昼の交通量が皆無に等しいので中途半端な農道にも似ているが、そうでない事を老朽化した付帯設備が訴える。

美作加茂駅の正面を通過した旧県道は、黙っていると県道6号線と県道68号線との交点である十字路へと導かれる。線形が一般車を十字路へ誘導する仕様に改められているが、その昔は踏切を渡らずに本線は直進していた。草臥れた道路付帯がそう訴えている。

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◆もう一体の石像物には昭和十一年四月竣工とある

踏切を通り過ぎた直後の一瞬だけ完全一車線の狭隘路と化すが、そのボトルネックを通過すると視界は一気に開け、一時期は主役を務めていたであろう潤沢な道筋を捉える。それが現県道筋と無縁でない事は、沿道に佇む古風な石像物が如実に物語っている。

凝った装飾の石像物は橋梁の親柱に似ている。ってか側面にははっきりとした字体で軒戸橋と彫り込まれている。道路沿いに鎮座する石像物は紛れもない道路橋梁の親柱である。軒戸橋とは加茂川を一跨ぎする県道68号線の起点に架かる橋で、現在は朱色の欄干を持つ近代的な橋に置き換わっている。

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◆長い直線路に居座る樹木を車道が遠慮気味に避ける

美作加茂駅前を通過した旧道筋を無意識に辿れば、踏切を突っ切った先の十字路に待つ軒戸橋へと滑り込む。現在の橋に置き換わるまで石像物は親柱として橋梁に組み込まれていたのだ。その竣工年は昭和11年4月と彫り込まれている。それが単なる老朽化による付け替えでない事は史実が物語る。

昭和9年9月21日、強い勢力を保ったまま台風が室戸岬に上陸する。後に枕崎台風及び伊勢湾台風と並び三大台風と称される室戸台風である。上陸時の中心気圧は観測史上最大となる911ヘクトパスカルで、激流と化した旭川は当時永久橋と謳われた中国鉄道の鋼製ガーター橋をいとも簡単に押し流した。

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◆加茂川すれすれの断崖区間を伝う旧道筋

その時代の主流であった木造橋は悉く破壊され、あらゆるライフラインがズタズタに寸断された。どの河川もほぼ例外なく仮橋の架設までは渡し舟で対応し、江戸時代宛らのインフラで当座を凌いだ。仮橋の復旧は数カ月単位であったが、これを機に大水にも耐え得る強固な橋が検討される事となる。

後に永久橋と呼ばれるコンクリ製の重厚な橋梁がそれだ。現存するコンクリ橋で昭和10年代前半の竣工が多いのは、100年に一度の大水で付け替えを余議なくされた事が原因で、普段は清流を装っている加茂川もあの時ばかりは豹変し、荒れ狂う激流は軒戸橋をいとも簡単に押し流した。

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◆因美線との交差点には高さ制限バーが備わる

未曾有の天災を経験した橋梁の多くはコンクリートを採用し、人生50年と謳われた時代を生きた多くの者にとって永遠に壊れない永久橋として使命を全うした。先代の軒戸橋は橋幅を拡げる為に付け替えられたが、その際に引き取られた親柱が旧道沿いの資材置き場の出入口に置かれている。

橋そのものの移築は現実的でないから、せめて親柱だけでも残しておこうと考えたのだろう。他に親柱や銘板等が認められない事から、土木遺産コレクターではないのは明らかだ。余程軒戸橋に思い入れがあったのか親柱は表玄関の目立つ位置に置かれ、引き取られた方の郷土愛がひしひしと感じられる。

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◆知和駅の手前で加茂川を一跨ぎした現県道筋に合流

木を切ろうとすると何故か病に倒れるとか事故に遭うなどの災いを呼ぶ“切るに切れない木”というのがある。通常であれば道路の規格が優先されるが、道路が遠慮気味に物体を避けている曰く付きの物件が全国に少なからず存在する。

信じるか信じないかは別にして、美作加茂駅から知和駅に至る旧道にも怪しげな木があり、JRにしても道路課にしても樹木の本体には手を付けず、枝葉のみの処理に止まる。見渡す限り直線の真只中に居座る奇妙な障害物に違和感を禁じ得ない。

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