教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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草の原峠(4)

草の原峠(くさのはらとうげ)の取扱説明書

美作の県北域に第五の中央分水嶺越えの車道が存在する。その現実を知って直ちに消化する事が出来るであろうか?正直僕はそのルートを頭ごなしに否定した。疑いではなく完全否定である。拒絶と言った方が正しいかも知れない。だってだってだよ、現場付近には何度も何度も何度も何度も足を運んでいて、中央分水嶺を跨ぐ車道の敷設がいかに難事業であるのかを曲りなりにも知っている身としては、第五の車道の存在などそう簡単に認める訳にはいかない。しかし志戸坂・黒尾・物見・右手に次ぐ第五の車道は確かに実在した。この僕をヘナリワンと共に県界越えを果たさせたのだから本物だ。何だか狐に摘ままれたような話だが、実際に峠を越えてしまったのだから覆し様がない。陰陽を隔てる障壁に風穴を開けた第五の矢はいかなる峠道なのか?知られざる峠の謎解きに挑んだ事の一部始終を御覧頂こう。

 

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◆頂上は拓き過ぎて本来あるべき切り通しには見えない

津谷林道が全国に五万とある行き止まりの盲腸線でない事は、頂上より下りに転じる車道をみれば明らかだ。ここが単に市町村を隔てる行政界の稜線であれば、未知なる峰越林道の発見に終始する些細なエピソードに過ぎない。しかし事はその範疇に収まるものではなかった。

昔ながらの陰陽連絡線、これが舗装林道に秘められし山道の正体で、条件によっては右手峠を上回る需要があったと推察される由緒ある古道だ。これが一介の新設林道であれば、唐突に迎える終点で引き返しを余儀なくされるクサノリターンの憂き目に遭っていたはずである。

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◆峠に佇む林道草原津谷線と刷られた一時代前の標柱

しかし当山道はこの僕を稜線上まで車両同伴で迎え入れた上に、有難い事に鳥取県側へ抜ける道まで用意している。この至れり尽くせりな仕様がいかに痛みを伴う難事業であったかは、似たような経路を辿る車道の生い立ちをみれば明らかだ。この道は単なる林道ではない。元々は生活道路であった。

地域密着型の生活道路に端を発する山道、このポイントを押さえておかねば直面する舗装林道の見方を大きく見誤る。当路線はパッと見が岡山・鳥取の双方から延びていた行き止まりの林道を繋げて開設したかのように映る。しかしそこには下地となる一本の山道の存在があった。

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◆旧勝田町が管理する林道津谷線は峠で終点を迎える

昔はね、皆歩いて峠を越していたんだよ。美作へ行くには一番近いからね。梶並辺りの人は鳥取へ行くのにここを越えてきたね。昭和の終わり頃までは普通に使っていたよ。

昭和の晩年まで現役の生活道路

鳥取県側の峠下に位置する真鹿野地区で出会ったおいちゃんは語る。僅か四半世紀前まで草の原峠は現役の生活道路であったのだと。我々現代人が行き来する現在の林道とは似ても似つかない峠道の様子を垣間見た瞬間であった。

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◆頂上に鎮座する御地蔵様は関電が古道よりヘリで移設

案内板のタイトルが林道津谷線と刷られていて、山道自体も割と小奇麗な舗装路であるから、つい新規開設の路線と見てしまいがちだが、当山道が全く別の顔を持っている事実は、通りすがりの素人でも容易に気付くだろう。何故なら頂上には重厚感のある御地蔵様が鎮座しているからだ。

大の大人が数人がかりでも持ち上げられないであろう石像物を、草野原地蔵という。案内板によると宝暦九年の安置とされているから、かれこれ250余年もこの地で行き交う者を見守ってきた事になる。但しこの御地蔵様は本来稜線上ではなく、岡山県側に少々下った地点にあったのだとおいちゃんは語る。

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◆草野原地蔵の案内板には250年前に安置とされている

峠の地蔵は元々向こう側の下り途中にあってね、関電が送電線を敷く際にヘリコプターで吊り下げて今の場所まで持ってきたのさ。丁度山道が整備された頃だな。

草野原地蔵はヘリで頂上に移設

案内板には石像の製作に協力した92名の屋号・名字・金額が、谷口泰一家文書の草野原地蔵並信施帳に記されているとし、その全てが智頭宿の関係者である事から、この峠と智頭がいかに深い関わりを持っているかが良く分かる。

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◆平成12年に林道が改修された事を記す記念碑

まさか250年後に草野原地蔵が宙を舞うなど、エドサピエンスの誰もが想像すら出来まい。由来と称される石板によると平成12年に林道改修とあり、確かに関西電力株式会社の協力を得て移転安置と記されている。今でこそ大きく開け開放感溢れる峠は約15年前に成立、そう読み解くのが妥当だ。

この峠道がゼロベースで敷設した新設路線であるならば、碑文には開削或いは新設という言葉が用いられて然るべきだ。しかし石板には改修工事と刻まれている。改修と言うからには前身となる路線がないと日本語としておかしい。事実この峠には前身となる幻の車道が実在した。

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◆車道の開削で環境が一変したであろう草の原峠の今

車で越せる道は随分と前からあった。ただ道のそこかしこに大木が根付いて、全く使い物にならないから、皆昔の道を行き来していた。

草の原峠に実在した非実用的車道

昔から草の原峠には車道があった。その道には大木を含む樹木が生い茂り、実用に耐える代物ではなかった。つまりこれは荒廃した車道、即ち廃車道があったって事ジャマイカ?!

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