|
教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
|
|
トップ>県道>岡山>右手峠 |
|
|
右手峠(25) ★★★ |
|
|
右手峠(うてとうげ)の取扱説明書 美作北部の県境に一際存在感の薄い峠がある。県道智頭勝田線と呼ばれる主要路で、曲りなりにも県界を跨ぎ一桁県道という肩書を持っている。しかし左右を志戸坂・黒尾越えの両雄に挟まれている為か、大方のドライバーの眼中には無いに等しい峠道で、実際に平日の通行量は主要県道とは思えぬほど閑散としている。断っておくが当物件は旧廃道に乏しい期待薄の峠道である。右手峠はその期待値に違わぬつまらなさで見事に応えてくれる訳だが、どうしても当路線を取り上げない訳にはいかない必要に迫られた。その理由は他でもない黒尾峠の存在感を際立たせる為だ。脇役あっての主役だとすれば右手峠は名脇役として外せない存在で、肉じゃがのじゃがいもに相当する必要不可欠な具材で、それ無くして肉じゃがは成立し得ない。新旧道の比較も大事だが並走路線との対比もまた重要で、両者の相乗効果は計り知れないものがあるし、峠道に対する見方が大きく様変わりするかも知れない。本件はセンセーショナルな旧廃区に頼らないレポートが成立するか否かの挑戦であり、またマイナー道路が主役に成り得るか否かの試金石でもある。黒尾峠のスピンオフとして右手峠を成立させるべく、県道の今昔を余す事なくここに封じ込める。 |
|
|
|
◆ジグザグ道が本線であった明治31年現在の右手越え 国土地理院の旧版地形図を紐解くと、右手峠を含む坂根の最古の測量は、明治31年測量同33年製版となっている。そこに描かれし峠道は、県境を挟んで両側共に直線に近い経路となっている。等高線を無視したかのような最短コースは、まさに江戸道そのものである。 明治31年にして岡山県側も鳥取県側もほぼ直登に近い経路を辿っている。この不可思議さをどう解釈すればよいのだろうか?この時代の山道が山肌を直線的に上り下りしているという事は、丸太で仕切られた分岐より派生するジグザグ道、即ち江戸道を示していると捉えるのが自然だ。 |
|
|
◆ヘアピン等の線形改良が成された昭和9年現在の峠道 その証拠に修正版では鳥取県側に入った直後にS字カーブが描かれている。その位置は旧道で捉えたヘアピンカーブに重なり、多少の距離損と引き換えに車両の往来を許す路へ改められたと解釈出来る。初版以降改定版が出るまでのどこかのタイミングで大幅な梃入れが成されたと考えるのが妥当だ。 改定版では岡山県側が完全なる二重線で描かれ、時の政府が定めた真っ当な規格の路が成立していたと思われ、実線による二重線表記は馬車道を彷彿とさせる。あとは鳥取県側の整備を待つのみといった状況で、この年代までは旧道筋が本線として供用されていた事が分かる。 |
|
|
◆現県道筋に切り替わった昭和37年現在の右手峠 それは今日の県道筋に重なる大迂回路が図面に現れる事によって証明される。江戸道を軸にすると左右に大きく振れる経路は、時代を間違うと行き交う者に見向きもされぬほどの距離損コースで、せっかく拵えたのに誰も通らずに廃道化という草の原峠と同じ憂き目に遭っていたかも知れない。 その経路は馬車道というよりも自動車道と言った方が正しく、もうこの頃になると大師峠も一端の車道となっているのが分かる。一時代前の路と現在の県道筋が谷の左右という全く異なる経路を辿っている事実は、歴代の同じ縮尺の地図を重ね合わせてみれば一目瞭然である。 |
|
|
◆戦後しばらくは本線扱いとなっていた梶並街道筋 では谷の左右が切り替わったのはいつ頃なのか?地形図は毎年更新している訳ではないので大凡であるが、昭和30年代前半と推察される。地形図に現道筋が描かれる年は昭和36年測量版で、昭和27年の修正版では予定線すら描かれていない。従って百歩譲っても戦後の敷設であるのは間違いない。 右手峠の現県道筋は戦後の敷設 全米を震撼させるこの衝撃の事実を僕は即時消化する事が出来なかった。だってだってだよ、戦後しばらく経ってもあの旧道を本線として供用していたなんて全く以て信じられない。 |
|
|
◆昭和30年代まで騙し騙し供用された可能性大の山道 県境を跨げると思い込み余裕シャキシャキで乗り込んできたGHQのジープも、峠で泣く泣くリターンしたんジャマイカ?断言しよう、たった今僕が辿ってきた山道は馬車の通行を許さない。一頭立てでスリムな馬車なら兎も角、一般的な規格の馬車はどう考えても通れそうにない。 ミゼットならば通れるかもと思ったが、それはだったらいいな!の期待値込の妄想で、高橋レーシングでも苦戦が予想される難所を行き切るのは、般ピーでは至難の業である。障害となる路傍の植林杉を伐採し、耐性のある仮橋を設け、路盤崩壊現場に鉄板を敷きとあらゆる条件が揃ったとしても難儀だ。 |
|
|
◆街道筋より鳥取県側の第一集落となる新田地区を捉える 確かに僕の目に右手峠旧道は歩道以上車道未満の暫定車道に映った。車道の成り損ないであるから多少無理すれば馬車や自動車でも通れなくはない。しかしその行為はイレギュラーであり、路が持つ本来のポテンシャルを超えている。許容範囲としてはギリギリアウトといった感じである。 スポーツの一環として腕を競うとか一過性のレクリエーションならまだしも、荷物を満載した馬車や自動車といった実用車が日常的に往来するとなると、峠越えはほとんど絶望的と言っても過言ではない。ましてや公共交通機関となると論外で、それ云々を議論するのはちゃんちゃらおかしい。 |
|
|
◆暗渠と化した盛土の第四橋梁に次ぐ第五橋梁を捉える しかしだ、ある時期の旅客運用規定には右手峠を越す系統の存在が認められ、客が運賃を支払い峠道を行き来していたという事実がある。林野・勝田から梶並を経て智頭・鳥取に至る人力車の長距離便がそれだ。 美作界隈の人力車運賃表は大正6年現在のもので、その時代の地形図に現行路線は影も形もない。歴代の地形図は訴える。右手峠旧道を人力車が疾走したのだと。それが当路線唯一の公共交通機関であったのだと。 右手峠26へ進む 右手峠24へ戻る |