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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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右手峠(22) ★★★ |
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右手峠(うてとうげ)の取扱説明書 美作北部の県境に一際存在感の薄い峠がある。県道智頭勝田線と呼ばれる主要路で、曲りなりにも県界を跨ぎ一桁県道という肩書を持っている。しかし左右を志戸坂・黒尾越えの両雄に挟まれている為か、大方のドライバーの眼中には無いに等しい峠道で、実際に平日の通行量は主要県道とは思えぬほど閑散としている。断っておくが当物件は旧廃道に乏しい期待薄の峠道である。右手峠はその期待値に違わぬつまらなさで見事に応えてくれる訳だが、どうしても当路線を取り上げない訳にはいかない必要に迫られた。その理由は他でもない黒尾峠の存在感を際立たせる為だ。脇役あっての主役だとすれば右手峠は名脇役として外せない存在で、肉じゃがのじゃがいもに相当する必要不可欠な具材で、それ無くして肉じゃがは成立し得ない。新旧道の比較も大事だが並走路線との対比もまた重要で、両者の相乗効果は計り知れないものがあるし、峠道に対する見方が大きく様変わりするかも知れない。本件はセンセーショナルな旧廃区に頼らないレポートが成立するか否かの挑戦であり、またマイナー道路が主役に成り得るか否かの試金石でもある。黒尾峠のスピンオフとして右手峠を成立させるべく、県道の今昔を余す事なくここに封じ込める。 |
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◆小川と並走する形で下界を目指す梶並街道 広場を境に道路状況は一変する。最盛期は大型トラックも進入出来たのではないかと思えるほど路は安定している。路面には砂利が撒かれた痕跡が認められ、後年路盤の強化が施されているのはほぼ確実である。その安定感はハンドルに伝わる振動の違いからも明らかだ。 広場から先の路は走り慣れた未舗装林道と何等変わらない。いつ何時対向からトラックが現れても不思議でないし、実際にこの通り沿いで木材の切り出しが行われた可能性は大で、現役の林道として供用されているであろうこの道の踏破は、安心感と警戒感が入り混じる複雑な心境だ。 |
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◆現場は街道筋というよりも造林作業道といった雰囲気 現代規格の路に切り替わったという事は、難行区の突破が約束されたも同然であるから、純粋に街道踏破を試みる挑戦者という立場で言えば、真っ当な車道への変化は大いに歓迎すべきであるが、この先に待つであろう新旧道の交点に屈強なゲートが設けられていた場合を考えると、全く油断は出来ない。 何一つ障害がないまま現道へ抜けられるという保証があれば幅員の拡がりはウエルカムであるが、そうでない場合も多分にあるから路の変化=安心材料という訳ではない。この先の出入口にゲートがあれば既に不法侵入を犯している訳で、広場を機に別の意味での緊張感が増した。 |
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◆大型車両の進入を示唆する特大サイズの廃タイヤ 本件は純粋無垢な街道踏査である。自身にそう言い聞かせ来る決戦に備えるも、いくら下ってもタイヤ痕は認められない。近年車両が入り込んでいないのは分かるが、伐採の下見に来ていたおいちゃん達と遭遇しているから、いつ何時この山道内で軽トラと対峙してもおかしくはない。 軽トラどころかこの道は広場以降パジェロ等の大型四駆も余裕で行き来出来るから、どのような輩と遭遇するのか全く予測が付かない。それどころか当山道には更なる巨大車両が行き来していた事実が明らかとなった。見てくれ、ヘナリワンの足元に横たわる超巨大なタイヤを。 |
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◆木材を運搬した大型車が行き来したのはほぼ確実 路肩に埋没する巨大な円形をした人工物、それは大型車両が履く特大サイズのタイヤであった。見渡すと同様の異物が山道沿いに三つも四つも転がっている。やはり一時期は特定の大型車両が当山道を行き来していたようで、広場が終点兼転回場所である事が確実となった。 かつて梶並街道と呼ばれた古道筋の大部分が二車線舗装済の快走路と化している中で、旧道であっても容赦なく拡張されているという現実がある。幸か不幸か当区間は舗装化を免れてはいるが、すっかり自動車道に改められた山道に街道時代の様子を見出すのは容易でない。 |
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◆四輪同士の擦れ違いを許す当山道初の離合箇所 完全なる車道となってからは道中に待避所らしき膨らみが認められ、最早江戸時代の古道筋とは言い難い状況となっている。未舗装路であるから明治の馬車道と酷似するも、右手峠初の車道は現在も県道7号線を名乗る1.5車線の峠道であるとされ、県道筋=初の車道が定説となっている。 しかし右手峠頂上で二手に分かれる路は、片や車道で片や歩道といった明確な隔たりが無く、一方は大型車の通行を許す真っ当な車道、一方は徒歩道にしては広く車道にしては狭い曖昧な路となっている。人々は後者を旧街道と定義し、それに異を唱える者はなかった。 |
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◆いつ何時対向からトラックが現れても不思議ではない しかし最短コースを重んじる江戸時代の路にしては、明らかに無駄に膨らむ経路にして緩やか過ぎる勾配、それに何と言っても無駄に広い道幅が僕の妄想を大いに掻き立てる。いや、これは妄想でも何でもない。これに類似する案件に携わった経緯からくる確かな手応えを僕は感じていた。 時は明治36年、里道として拓かれた馬車道は、後年路線バスをも通し、晩年には国道へと昇格する。普通に考えれば車両通行の起源は明治36年で、それ以前は車両の通行を許さなかったとの解釈が自然だ。ところが僕はその定説を鼻から疑い、そして先代と称される古道筋を丹念に調べ上げた。 |
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◆廃タイヤはあるが肝心のタイヤ痕は一切見当たらない その結果明治36年以前も車両の往来があった事実が判明し、村人の多くが僕の仮説に太鼓判を押した。複数の古老が旧街道筋を往来する人力車の疾走を認めたのだ。それが記憶に新しい休乢の一幕である。 この峠道は休乢に酷似している。ってか道路環境そのものは休乢のそれを完全に上回る。休乢の厳しい道程に比し、右手峠の環境は圧倒的に緩い。人力車の通行を疑わない事が罪であるほどにだ。 右手峠23へ進む 右手峠21へ戻る |