教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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右手峠(13)

★★★

右手峠(うてとうげ)の取扱説明書

美作北部の県境に一際存在感の薄い峠がある。県道智頭勝田線と呼ばれる主要路で、曲りなりにも県界を跨ぎ一桁県道という肩書を持っている。しかし左右を志戸坂・黒尾越えの両雄に挟まれている為か、大方のドライバーの眼中には無いに等しい峠道で、実際に平日の通行量は主要県道とは思えぬほど閑散としている。断っておくが当物件は旧廃道に乏しい期待薄の峠道である。右手峠はその期待値に違わぬつまらなさで見事に応えてくれる訳だが、どうしても当路線を取り上げない訳にはいかない必要に迫られた。その理由は他でもない黒尾峠の存在感を際立たせる為だ。脇役あっての主役だとすれば右手峠は名脇役として外せない存在で、肉じゃがのじゃがいもに相当する必要不可欠な具材で、それ無くして肉じゃがは成立し得ない。新旧道の比較も大事だが並走路線との対比もまた重要で、両者の相乗効果は計り知れないものがあるし、峠道に対する見方が大きく様変わりするかも知れない。本件はセンセーショナルな旧廃区に頼らないレポートが成立するか否かの挑戦であり、またマイナー道路が主役に成り得るか否かの試金石でもある。黒尾峠のスピンオフとして右手峠を成立させるべく、県道の今昔を余す事なくここに封じ込める。

 

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◆右手峠絶頂より鳥取県側を望む

右手峠に旧廃道は存在しない。これは識者を筆頭とする峠越えを経験した者の大方の見解で、特に異論はない。旧廃道の有無について正確を期せば、道中には旧道の残骸が散見されるので、有る無しの二択で言えば存在するという結論になる。但し現存する残骸の多くは語るに値しないちんけなものだ。

一昔前の道は稜線を直に跨いでいたが、現在の峠はトンネルという遍歴を辿っていれば説明は不要で、パッと見の印象だけで老若男女誰もが理解し易い。しかし物見峠や右手峠のように従来の路線を上書きする形で改良されてきた道は、断片的で全体像を掴み辛くなかなか興味深い対象物には成り得ない。

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◆峠には手作り感満載の地味な案内板が佇む

事実この僕でさえ最近まで右手峠に関しては完全スルーを決め込んでいたから、この峠を深堀する者など地元愛に満ちた生え抜きくらいのものだろう。それとて陸上交通史に特化した掘り下げとなるとほとんど期待は出来ないし、道路状況のみでの考察など素人に求める方がどうかしている。

右手峠の絶頂には明和2年に設置された御地蔵様が祀られている。1765年と言えば明治維新なる革命が起こる100年以上も前の話で、日本人の生活様式がガラリ一変する事態など想像すら出来ないバリバリの鎖国時代である。右手峠の御地蔵様はかれこれ2世紀半の長きに亘り鎮座している事になる。

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◆三体の石像物が建ち並ぶ頂上の窪み

国宝級の神社仏閣等に悪戯をする不届き者がいるが、誠に残念ながらここ右手峠にもそのような輩が現れて、二体並んでいた御地蔵様の片割れが近年盗まれたそうな。不幸中の幸いであったのは、昭和に設置された石像が持ち去られたのに対し、江戸時代のものは盗難を免れた点だ。

盗人がどこに価値を見出したのかは知らないが、台座だけの石像物が物悲しい雰囲気を漂わせている。また余りの重さに耐えかね盗むのを諦めたのか、石灯篭は無傷のままだ。これも江戸時代の置土産であろうと踏んでいたが、そうではなかった。なんとこの灯篭は明治の設置なんである。

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◆石灯篭の裏側には明治16年8月14日と刻まれている

明治に灯篭?と少々疑問に思うかも知れないが、我が国に従来の灯篭に置き換わるガス灯が燈されたのは明治5年で、大正の半ば以降に普及し始める電灯に駆逐され、昭和10年代初頭にはほぼ全ての街灯が電灯に置き換わっている。照明の歴史は江戸の常夜灯⇒明治のガス灯⇒大正の電灯という流れだ。

但し地方の末端までが都市部と同じ様な歴史を辿った訳ではいない。いつの時代もそうだが新たなテクノロジーが地方の外れまで行き渡るには、それ相応の年月を要する為必ずタイムラグが生じる。中にはガス灯を経ずに常夜灯からいきなり電灯というパターンもあったであろう。

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◆石像物群の向かいには家一軒分の空間がある

ここ右手峠は岡山と鳥取の両市街地からも最も遠い最果ての僻地であるから、最新テクノロジーの導入は忘れた頃にやってくる、或いは放置プレイでインフラ整備が置き去りにされた可能性もあり、ガス灯時代を経ずに常夜灯からいきなり電灯という経緯を辿った線も十分考えられる。

いずれにしても常夜灯は江戸時代の遺物ではなく、明治に入っても依然として街路灯の役目を果たしていた。従って明治16年に頂上付近に設置された石灯篭に違和感はない。峠に鎮座する石像物群は江戸時代の様子をイメージさせると同時に、日本が近代国家への道を歩み始めた頃のものであると訴える。

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◆誰がどう見ても茶屋跡にしか見えない峠の更地

その御地蔵様の向かいには気になる更地が認められる。そう簡単に平地が見出せない傾斜地にあって、植林を免れた家一軒分の空間は、茶屋跡以外の何者でもない。かつてここには茶屋があった。そう思わざるを得ないシュチュエーションであるが、残念ながら上物は影も形もない。

かつて物部峠には茶屋があったというが、現在その痕跡は見当たらない。対して右手峠の茶屋話を見聞きした事はないが、現場にはそれらしき場所が認められる。しかも茶屋跡らしき更地の背後には、見過ごす事の出来ない対象物が存在した。更地の裏手を廻り込む小径がそれだ。

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◆更地の裏側を廻り込み下りに転じる謎の小径

見てくれ、この杉木立を真っ二つに割る小径を。ブラウンの絨毯に導かれし細道は、ほぼ直線的に鳥取県側の斜面を下り、一条の空間を形成する。そいつが右手峠最古の路、即ち梶並往来と気付くのにそれほど時間は掛らない。

これは果たして純粋な江戸道なのだろうか?それとも車両の往来を許した暫定車道なのであろうか?パッと見はどちらとも言えない。江戸道のようにも見えるし、暫定車道に見えなくもない。こうなったら実車で確かめるより他ない。いざ出陣!

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