教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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右手峠(12)

★★★

右手峠(うてとうげ)の取扱説明書

美作北部の県境に一際存在感の薄い峠がある。県道智頭勝田線と呼ばれる主要路で、曲りなりにも県界を跨ぎ一桁県道という肩書を持っている。しかし左右を志戸坂・黒尾越えの両雄に挟まれている為か、大方のドライバーの眼中には無いに等しい峠道で、実際に平日の通行量は主要県道とは思えぬほど閑散としている。断っておくが当物件は旧廃道に乏しい期待薄の峠道である。右手峠はその期待値に違わぬつまらなさで見事に応えてくれる訳だが、どうしても当路線を取り上げない訳にはいかない必要に迫られた。その理由は他でもない黒尾峠の存在感を際立たせる為だ。脇役あっての主役だとすれば右手峠は名脇役として外せない存在で、肉じゃがのじゃがいもに相当する必要不可欠な具材で、それ無くして肉じゃがは成立し得ない。新旧道の比較も大事だが並走路線との対比もまた重要で、両者の相乗効果は計り知れないものがあるし、峠道に対する見方が大きく様変わりするかも知れない。本件はセンセーショナルな旧廃区に頼らないレポートが成立するか否かの挑戦であり、またマイナー道路が主役に成り得るか否かの試金石でもある。黒尾峠のスピンオフとして右手峠を成立させるべく、県道の今昔を余す事なくここに封じ込める。

 

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◆沿道に巨大な杉が乱立する新田奥の奥神社

右手峠が人力車の先鞭を付けた決定的な証拠は無く、現時点では想像の域を出るものではない。あくまでも間接証拠に因る憶測に過ぎないが、現存する人力車賃銭表に記される特定区間の運賃は、我々の想像を大いに掻き立てる。

鳥取⇔梶並 一人乗り人力車賃2円24銭

それが単独車夫による運行なのか、それとも幾つかの人力車を乗り継ぐものなのかは定かでないが、間違いないのは大正6年現在の県北域に於いて、梶並と鳥取を直通する人力車が存在したという点だ。

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◆峠下の新田集落内に認められるバスの停留所

前途した通り明治21年には鳥取と智頭を繋ぐ乗合馬車が疾走している。鳥取から智頭まで馬車でやってきた者がそれ以南に足を伸ばすには、人力車に乗り換えるか徒歩に因る他ない。その逆も然りで人力車で峠を越してきた者は、智頭で乗合馬車に乗り換えるのが自然だ。

峠越えでヘロヘロになった車夫のふらつき走行に身を委ねるよりも、乗合馬車を利用する方が安全確実な移動が約束される上に、旅費の面からも既に確立されている一部公共交通機関を利用するのは、庶民感覚としては理に適っている。但し定期便の運行時間外はその限りでない。

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◆新田まで足を延ばす市営バスは1日3便のみ

梶並⇔智頭間の人力車賃は96銭であり、馬車便の詳細は定かでないが智頭⇔鳥取間の運賃は一人50銭程度(大正中期に於ける愛媛県は松山⇔北条間の乗合馬車賃より算出)であったと思われ、人力車と乗合馬車の乗り継ぎで梶並⇔鳥取間を1.5円で行き来出来るとあらば、それを利用しない手はない。

乗り換えの待ち時間が勿体無いとか、赤の他人との相席が嫌とか、アニマル移動体には抵抗があるとか、動物虐待はいかがなものかと物申す輩は別にして、乗り継ぎをする事で約1円を浮かせられるのだから、徒歩移動が主流であった当時の庶民感覚としては、乗り継ぎは至極真っ当な選択肢であったはず。

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◆明治10年建立の大日如来像と大銀杏の史跡

しかしその選択肢は乗合馬車が登場してから衰退するまでの僅かな期間に限られ、鉄道や自動車が台頭してくると同時に自転車の普及が人力車と乗合馬車の乗継行為自体を過去のものへと追いやった。県史は語る、県内の営業用人力車数は明治22年を境に衰退の一途を辿ったのだと。

大正六年、松尾牛蔵は鳥取市に進出し、川端三丁目で自動車営業を始めた。山陰自動車で営業路線は因美線の不通のため不便をかこっていた智頭−鳥取間であった。そのため山陰自動車は予期以上の成績を収めた。

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◆右手の杉木立にポツリと佇む石灯篭

物見・黒尾・右手・志戸坂と4本の陰陽連絡線が通ずる智頭は、鉄道の敷設を持ち出すまでもなく貨客共に相当な需要があり、少なくとも智頭⇔鳥取間はドル箱路線であったのは間違いない。だからこそ県内でも逸早く乗合馬車が導入され、乗合自動車の先鞭を付ける事にも繋がったのだ。

ここでひとつ不思議に思うのは、智頭⇔鳥取間に於ける乗合自動車の誕生年と人力車賃の改定年が重なっている点だ。智頭界隈を乗合自動車が疾走した大正6年に人力車の運賃は改定されている。それはまだ海の物とも山の物とも分からぬ得体の知れない移動体に対する対向手段であったのかも知れない。

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◆新田と起終点の中原の間は二車線の快走路が続く

乗合自動車なる強力なライバル出現と運賃改定とが密接な関係にあると思うのは僕だけではあるまい。ここに右手峠が今から遡る事約半世紀前まで、幅員が現在の半分程度しかなかった事を裏付けるヒントが隠されている。運賃表は大正6年以降の未来に対する新しい料金体系である。

ライバルの動向を見ながら運賃の微調整が行われたと考えるのが妥当だ。自動車との競合区間はダンピング紛いの運賃の大幅な引き下げを断行するなどして、人力車組合が生き残り策を模索したとして何等不思議でないし、業界が壊滅するか否かの崖っぷちであるから、当事者である車夫等も必死だ。

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◆国道373号線に合流する智頭街道の中原宿

結論を知る我々目線でそれは空しい抵抗でしかない。しかし区間によっては難を逃れたコースがある。それが右手峠だ。当山道は昭和に入っても自動車の通行を許さなかった。本来あるべきはずの交通史がすっぽりと抜け落ちているのがその証左だ。

右手峠にはあっていいはずの乗合自動車及び路線バス営業の史実がない。裏を返せば人力車が後年まで生き永らえた奇跡の峠道とも言え、必ずしも公共交通機関が通じない事が道路査定のマイナスポイントになる訳ではないのだ。

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