|
教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
|
|
トップ>県道>岡山>右手峠 |
|
|
右手峠(6) ★★★ |
|
|
右手峠(うてとうげ)の取扱説明書 美作北部の県境に一際存在感の薄い峠がある。県道智頭勝田線と呼ばれる主要路で、曲りなりにも県界を跨ぎ一桁県道という肩書を持っている。しかし左右を志戸坂・黒尾越えの両雄に挟まれている為か、大方のドライバーの眼中には無いに等しい峠道で、実際に平日の通行量は主要県道とは思えぬほど閑散としている。断っておくが当物件は旧廃道に乏しい期待薄の峠道である。右手峠はその期待値に違わぬつまらなさで見事に応えてくれる訳だが、どうしても当路線を取り上げない訳にはいかない必要に迫られた。その理由は他でもない黒尾峠の存在感を際立たせる為だ。脇役あっての主役だとすれば右手峠は名脇役として外せない存在で、肉じゃがのじゃがいもに相当する必要不可欠な具材で、それ無くして肉じゃがは成立し得ない。新旧道の比較も大事だが並走路線との対比もまた重要で、両者の相乗効果は計り知れないものがあるし、峠道に対する見方が大きく様変わりするかも知れない。本件はセンセーショナルな旧廃区に頼らないレポートが成立するか否かの挑戦であり、またマイナー道路が主役に成り得るか否かの試金石でもある。黒尾峠のスピンオフとして右手峠を成立させるべく、県道の今昔を余す事なくここに封じ込める。 |
|
|
|
◆十字路を境に道路状況は一変し狭隘路と化す 梶並の中心である県道7号線旧道と県道357号線旧道の交点で状況は一変する。大正時代の道標が角にある十字路を機に、昭和30年代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る。最小幅員2.0mと警告する標識にある通り、視界前方は一時代前の駅前商店街宛らの様相を呈す。 勿論今も昔も梶並に鉄道は通じていないから単なる目の錯覚に過ぎないのだが、沿道にびっしりと連なる小売店の集合体は、紛れもない高度経済成長期にみる駅前商店街のそれだ。活気こそ完全に失われているが、最盛期はそこそこの賑わいをみせていたであろう事は想像に難くない。 |
|
|
◆沿道の老舗旅館が街道時代の名残を今に伝える 酒屋に豆腐屋に鮮魚店に呉服屋と、かつては普通に存在した専門店がズラリと立ち並び、そこに自転車兼バイク販売店と自動車販売店が加わり、他所へ行かずともほぼ全ての事が賄えるほど、梶並には十分な店舗が揃っている。そこに老舗旅館まであるのだからたいしたものだ。 鉄道の終着駅であれば客は黙っていても集まるし、乗り継ぎのバスが無ければ一泊して翌朝の一番バスを利用する等で必然的に宿泊となるし、事実昭和年間はどんな僻地でも駅前旅館はビジネスとして成り立っていた。しかしここ梶並は駅前でないばかりか、終着地という訳でもない。 |
|
|
◆狭い旧県道沿いにあらゆる店舗が集中する 岡山県の勝田と鳥取県の智頭を結ぶ幹線の通過点で、県道同士がぶつかる拠点ではあるが単なる中継地に過ぎない。そこに昭和初期の香り漂う老舗旅館が構えている事に少々違和感を覚えなくもないが、この通りが江戸時代から脈々と受け継がれる街道筋である事を思えば腑に落ちる。 十字の先の狭隘路のどこか懐かしい雰囲気、それは現存する店舗等より視覚的に捉えた昭和中期の印象と、それとは別に旧道筋全体が放つオーラがあり、その両方を持ち合わせている老舗旅館が独特の存在感があるのも頷ける。ここ梶並は勝田同様かつての宿場でもあるのだ。 |
|
|
◆梶並地区は良い意味で新旧道の落差が激しい 県道7号線がまだ梶並街道と呼ばれた時代に、梶並がひとつの街を形成している事に大きな意味があった。県境を越えて鳥取・智頭方面に行くにも勝田を経て林野へ行くにも、徒歩移動が常識であった時代は、健脚の若者で半日、その他の者にとっては丸一日を要した。 その行程をぶっ通しで行くとなれば丸二日を要する長丁場で、林野と智頭を行き来する過程に於いて、梶並は一泊するのに丁度良い適地にあった。それは直線距離にして10kmと離れていない智頭街道大原宿と、緯度並びに智頭からの距離がほぼ拮抗している事からも疑う余地がない。 |
|
|
◆田園地帯の真只中にポツリと佇む街道時代の石灯篭 この界隈に乗合自動車が疾走し始める大正年間になっても、中継地としての梶並の重要性は然程変わらなかった。何故なら今も昔も路線バスは梶並が終点で、峠を越えた事は一度として無かったからだ。梶並は中継点から公共交通機関の終着点となる事で、一宿場からの脱却に成功する。 その下地として梶並村の成立が挙げられる。明治22年に右手、真殿、梶並、楮、東谷上、東谷下の六村を束ねる形で梶並村が成立する。その際役場が置かれたのが梶並の中心部で、昭和30年に勝田町に吸収合併されるまで、梶並はこの界隈の中枢機関であり続けた。 |
|
|
◆明治20年頃に吸収合併されるまで村を名乗った真殿 そのような歴史的背景からすれば、梶並の中心部に何もかもが揃っている事実も納得がいく。役場が置かれていたという事は、出張等公務で来村する者も少なくなく、鉄道が通じない僻地というハンデを背負っていても、また昭和になって交通事情が一変しても、旅館が成立し得る十分な条件が揃っていた訳だ。 梶並より先にも小規模な集落が散見されるが、明治22年には早々と吸収合併されてしまったように、ひとつの行政機関を確立するには圧倒的に戸数が足りない。それは奥へ行けば行くほど顕著であり、旅人も完全スルーの本当の意味での通過点であるのは今も昔も変わらない。 |
|
|
◆真殿地区内の旧道に県道時代のデリネーターが佇む また古来不変であるものとして右手越えの路のグレードを挙げない訳にはいかない。県界を跨いで智頭に至る陰陽連絡線は全部で四つ、その全てが主要路という肩書を維持している点は見逃す事の出来ない興味深い史実である。 志戸坂峠と黒尾峠が共に国道の肩書を手に入れ、格下の物見峠と右手峠でさえ主要一桁県道といつ国道に昇格してもおかしくはないポストにある事を思えば、右手峠が出世レースから脱落したとの見方はナンセンスである。 右手峠7へ進む 右手峠5へ戻る |