教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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犬畑峠(25)

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犬畑峠(いぬはただわ)の取扱説明書

旭川の源流にして県下最大の貯水率を誇る湯原湖は、今日現在中国地方最大の水瓶として広く知られる。その知名度は今や全国区で、ダム直下の川原に湧く天然の湯に入らんと、休日ともなれば観光客がわんさと押し寄せ、芋洗い状態になる事も珍しくない。背後の巨大建造物と天然温泉のコラボは、日本広しと言えども滅多に御目にかかれるものではなく、有り得ないシュチュエーションは一見の価値がある。だが中国地方最大の人造湖の魅力は温泉だけに留まらない。ほとんどの人は気付いていないが、実は道路史的に大変興味深いエリアで、湖底には難破船の金銀財宝に匹敵する御宝道が眠っている。その片鱗は方々に散らばっており、全てを白日の下に晒した暁には、湯原・蒜山界隈の常識が覆るのは必至だ。新見夏の陣で大捕物を果たした今、県下最大のラビリンスと言っても過言ではない湯原湖。その牙城を崩すのは有名無実の峠と呼ばれて久しい犬畑峠。初動調査から実に3年の月日が流れたが、現場では我々の想像を凌駕する展開が待ち受けていた。当レポートは将来的に潜水艦を導入するきっかけになるかも知れない希有な機会である事を付け加えておこう。

 

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犬畑峠=伯耆街道

水没の難を逃れた十字の交点で婆ちゃんは僕にこう言った。峠道は伯耆街道であると。伯耆とは西日本の名峰大山を中心とする米子から倉吉に至る広範囲を治めた令制国で、現在の鳥取県西部と島根県北部に該当する。

恐らく土居分は街道の宿場として栄えたのだろう。久世・勝山から湯原を経由し蒜山を経て大山・米子・倉吉へと通じていたのだ。その中継地として土居分はある程度の規模の町を形成していたであろう事は想像に難くない。

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婆ちゃんによるとその経路は若干の蛇行を見つつも、ほぼ直線的に湯原ダムの堰堤に続いていたという。西の野田、北の黒杭、東の初和と三方に拡散する湖のほぼど真ん中を貫き、県南と県北を結ぶ陰陽連絡路として伯耆街道は機能していた。

伯耆街道=陰陽連絡線

湯原と蒜山は今でも観光地として一定の集客力があるが、その過程に中継地と思わしき繁華街は一切見当たらない。あるのはパッとしない鄙びた限界集落ばかりだ。当たり前だ、重要拠点はとっくの昔に湖の底に沈んでしまったのだから。

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土居分が水没の難を逃れ今でも存続していれば、現在も一定規模の町を形成したのは間違いない。何故そう言えるのか?それは土居分を経て犬畑峠を越す道が、国道313号線と国道482号線を足して2で割ったような性格の路であるからだ。

犬畑峠=(R313+R482)/2

古地図を紐解くと土居分の下流2kmに、三世七原という地名が認められる。そこは土居分へ通じる街道筋と旭川に沿って遡上する路の分岐点となっている。旭川を忠実になぞる道は現在国道313号線を名乗っている。

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仮に湯原湖計画が頓挫したとしたら、今頃国道313号線は三世七原を経由していたはずで、下手こくと犬畑峠を越していたかも知れないし、僕はその可能性が非常に高かったのではないかと考える。今一度我らがバイブルツーリングマップルの中国・四国版もしくは関西版を御覧頂きたい。

今では市道に降格し地図上では白線で描かれる国道313号線犬挟峠の旧道筋に、伯耆街道と刷られているのが分かる。それだけだとやや説得力に欠けるが、実は県道322号線と県道324号線の交点付近にも伯耆街道の名が認められるのだ。その点と点が結ばれた時、声を上げずにはいられない。

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湯原から三世七原を経て土居分より犬畑峠を越えて県道324号線筋を辿り犬挟峠を越えて倉吉へ至る道、これが湯原から倉吉へ至る本通りであり、途中が湖底に沈んではいるけれど、それが湯原ダム完成以前の幹線であるとマップルは訴える。

湯原⇔土居分⇔犬畑峠⇔蒜山⇔犬挟峠⇔倉吉

マップルの編纂に当った人物がそれを承知しているか否かは分からない。ただ今でも犬畑峠を現道の如し平然と記載していたり、わざわざ伯耆街道と刷り込むなど仕込みに余念がない所をみると、唯の半可通では片付けられない。

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もしかしたら湖底に沈む以前の土居分や三世七原を知っている、或いはそこが郷里であるなど当地に何等かの関わりのある人物の助言が、さり気無く盛り込まれている可能性も否定出来ない。兎にも角にもマップルは犬畑峠と犬挟峠は無関係でない事実を、読者に気付かれぬ形で刷り込んでいる。

マップルに記載される伯耆街道の文字、黒杭に現存する岡山県と刷られたデリネーター、婆ちゃんが語る土居分という名の繁栄した宿場並びに路線バスによる峠越え、あらゆる公共機関が土居分に集約され三世七原が単なる分岐点であったと訴える古地図、それらを総括すると犬畑峠の真実がみえてくる。

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国道になる資格を有していながら国道に成り損ねた峠、これが僕が導き出した犬畑峠の真相である。湯原ダムが不成立であったなら、今頃は国道の峠として直下にトンネルが設けられていたに違いない。

何故そう言い切れるのか?それは土伏隧道が犬畑峠の代替路であるからだ。藤森集落の婆ちゃんは語る。地元出身の大物議員が土伏峠にトンネルを誘致したのだと。幹線水没のドサクサに紛れ覇権を奪ったのだ。

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