教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

トップ>廃道>岡山>犬畑峠

犬畑峠(26)

★★★★★

犬畑峠(いぬはただわ)の取扱説明書

旭川の源流にして県下最大の貯水率を誇る湯原湖は、今日現在中国地方最大の水瓶として広く知られる。その知名度は今や全国区で、ダム直下の川原に湧く天然の湯に入らんと、休日ともなれば観光客がわんさと押し寄せ、芋洗い状態になる事も珍しくない。背後の巨大建造物と天然温泉のコラボは、日本広しと言えども滅多に御目にかかれるものではなく、有り得ないシュチュエーションは一見の価値がある。だが中国地方最大の人造湖の魅力は温泉だけに留まらない。ほとんどの人は気付いていないが、実は道路史的に大変興味深いエリアで、湖底には難破船の金銀財宝に匹敵する御宝道が眠っている。その片鱗は方々に散らばっており、全てを白日の下に晒した暁には、湯原・蒜山界隈の常識が覆るのは必至だ。新見夏の陣で大捕物を果たした今、県下最大のラビリンスと言っても過言ではない湯原湖。その牙城を崩すのは有名無実の峠と呼ばれて久しい犬畑峠。初動調査から実に3年の月日が流れたが、現場では我々の想像を凌駕する展開が待ち受けていた。当レポートは将来的に潜水艦を導入するきっかけになるかも知れない希有な機会である事を付け加えておこう。

 

DSC03414.jpg

土伏の親子隧道は犬畑峠の代替路、そう言い切るのは藤森の婆ちゃんに限らない。藤森集落で聞き取りに応じてくれた三名のジジババが、揃いも揃って湯原湖とトンネルの関係を指摘した。藤森出身の代議士がダム開発の容認と引き換えに、トンネルの確約を取り付けたのだという。

本来であればもろに影響を受ける土居分及び三世七原の住民が、水没を免れる黒杭エリアに町そのものを移転し、湖岸道路及び犬畑トンネルの代替路によって、江戸年間より継承される宿場町も街道筋も消滅せずに済んだはずである。だが実際にそうはならなかった。

DSC03415.jpg

湯原湖の湖岸道路並びにトンネルの代替案は具現化されている。しかしそれは土居分の沿線住民からすればトンデモ迂回路で、湯原から湖岸を伝って野田に至り立石を経て藤森を経由する道程は、とてもじゃないが許容出来るものではない。遠回りにも程がある。

湯原湖で最長距離を誇る湖岸道路が、かつて土居分を経由していた幹線路の代替路である事は、その路線名が証明している。県道322号中福田湯原線、これが何を意味するかは同路線の起点から終点までを忠実になぞってみればよく分かる。起終点が蒜山の中福田となっているのだ。

DSC03416.jpg

湯原湖が出現する以前は、土居分と犬畑峠を経る形で、中福田と湯原はほぼ直線的に結ばれていた。ダム開発が頓挫していればそのラインが県道中福田湯原線と呼ばれていたはずで、現に黒杭には県道跡を象徴するデリネーターが認められる事から、峠道が県道の肩書を有していたのはほぼ確実である。

湖岸道路を伝って一旦野田に出て藤森からトンネルを潜る大迂回ルートでありながら中福田湯原線を名乗っている理由は、湖底に沈んだ幹線の代替路という位置付けであるからに他ならない。県道322号中福田湯原線は誰が何と言おうと湯原と蒜山を最短距離で結んだ主要路の代替路なのだ。

DSC03417.jpg

湯原湖から一旦西に逸れる県道322号線が、藤森からトンネルを介して祝詞へと軌道修正しているのがその証左だ。でなければ高速道路と同じく鳥居峠を経て蒜山入りするのが最適である。しかし県道は無駄に大きく膨らみながらも、湯原と蒜山高原の中福田をきっちりと結んでいる。

恐らくその経路を正確になぞる車両は稀である。何故なら県道322号線が異なる性質の田舎道を繋ぎ合わせて取り繕っただけの使えない路線で、通行者の利便性など全く考慮してはいないからだ。湯原湖の畔をのらりくらりと徘徊し、その後土伏トンネルを経て蒜山入りする暇人は僕くらいのものだ。

DSC03418.jpg

中福田⇔祝詞間はダムが完成する以前の路をそっくりそのまま使っているが、他にもかつての幹線の一部を現役で供用している区間が存在する。それがダム直下で行き詰まる盲腸線で、湯原温泉を全国区へと押し上げた砂湯へと通じる車両進入禁止となって久しい路がそれである。

旭川に沿って温泉街を潜り抜ける狭隘路は、かつて湯原と蒜山を最短最速で結んだ主要幹線路の残骸で、派手な朱色の欄干に彩られた忘れ形見の鼓橋が、鉄道空白エリアを補完する陰陽連絡線という極めて重要なポストにあった事実を窺わせる遺品として大切に守られている。

DSC03419.jpg

昭和初期の香り漂うその古橋が、湖の底深くを伝い黒杭で浮上すると犬畑峠を越えて蒜山に滑り込む、路線バスも走った伝説の幹線の一部である事実を、湯原温泉郷を訪れるほとんどの観光客が知らないし、湯原の前後を二分する巨大障壁の裏側に、かつて人の営みがあった事を想像すら出来まい。

黒杭の婆ちゃんは語る、犬畑峠を越えたのは木炭バスであったと。藤森の婆ちゃんは語る、土伏隧道の開通と同時に中鉄バスがトンネルを駆け抜けたのだと。路線バスの経路と遍歴に於いても土伏隧道が犬畑峠の代替路である点が裏付けられる。その両者が共に公共交通機関を失って久しい。

DSC03424.jpg

国道昇格に王手をかけながら廃道という憂き目に遭った悲運の犬畑峠。戦争の前後は木炭バスによって湯原と蒜山を結び、鉄道空白エリアの穴埋めに貢献した峠道は、今単車の通行がギリギリガールズの窮状にある。

辛うじて現役当時の峠を知る者達の証言ならびに現況を封じ込めたが、逸話はこれだけに止まらない。当報告書はまだラビリンス湯原の始まりの終わりに過ぎないのだ。犬畑峠が歴史の表舞台に登場するのは昭和の始め頃と古地図は訴える。犬畑峠が昭和道?!となると旧伯耆街道が他にあるはず。どこだ?

犬畑峠25へ戻る

トップ>犬畑峠に関するエピソードやご意見ご感想などありましたら一言どうぞ>元号一覧