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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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犬畑峠(20) ★★★★★ |
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犬畑峠(いぬはただわ)の取扱説明書 旭川の源流にして県下最大の貯水率を誇る湯原湖は、今日現在中国地方最大の水瓶として広く知られる。その知名度は今や全国区で、ダム直下の川原に湧く天然の湯に入らんと、休日ともなれば観光客がわんさと押し寄せ、芋洗い状態になる事も珍しくない。背後の巨大建造物と天然温泉のコラボは、日本広しと言えども滅多に御目にかかれるものではなく、有り得ないシュチュエーションは一見の価値がある。だが中国地方最大の人造湖の魅力は温泉だけに留まらない。ほとんどの人は気付いていないが、実は道路史的に大変興味深いエリアで、湖底には難破船の金銀財宝に匹敵する御宝道が眠っている。その片鱗は方々に散らばっており、全てを白日の下に晒した暁には、湯原・蒜山界隈の常識が覆るのは必至だ。新見夏の陣で大捕物を果たした今、県下最大のラビリンスと言っても過言ではない湯原湖。その牙城を崩すのは有名無実の峠と呼ばれて久しい犬畑峠。初動調査から実に3年の月日が流れたが、現場では我々の想像を凌駕する展開が待ち受けていた。当レポートは将来的に潜水艦を導入するきっかけになるかも知れない希有な機会である事を付け加えておこう。 |
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◆ 犬畑峠=大正道もしくは昭和道 植林された杉は峠道のライン上から意図的に外されている。山道の存在を無視すれば道路の中心に一列があって然るべきだが、そうなるとどこが道路でどこが単なる山肌なのか見分けが付かない。 それくらい現場の状況は曖昧で、かつて自動車を通したであろう道はすっかり自然に還っている。一歩間違えば完全に道跡を見失うシチュエーションだ。だが現実はそうはならなかった。眼前には木々を割る空間が直線的に続いている。 |
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◆ 山道の存在を第三者に知らしめるかの如し杉の回廊は、未だ見ぬ何処かへと挑戦者を導く。進行方向左手頭上を見上げれば、そこにはたった今自身が轍を刻み込んだ車道が二重三重に折れ重なり、この100m幅の斜面のみで高度を一気に30mほど下げている事に気付く。 振り返れば起点以来急勾配とはっきりと認識出来る坂は皆無で、峠以降全体的に下り続けてはいるのだが、そこは緩いというより“ゆるゆる”と表現した方が正しい線形で、これがひたすら直線であった場合は間違いなくダラダラ坂と称していただろう。それくらい山道の勾配は緩やかなんである。 |
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◆ 実はこの勾配の緩さこそが道路の年代やグレードを特定する肝で、道路規格が現代の道路に比肩する水準を満たす山道は、砂利を継ぎ足すだけで直ちに現役路線に復帰し得る代物で、そこから連想するのは明治の馬車道ではなく、大型車が疾走する近代道路である。 明治の馬車道に端を発する古車道の可能性も有り得るが、現存する山道に明治道ほどの古道臭は感じられず、石垣の工法や潤沢な幅員、それに緩勾配の路が自動車が主役の時代、即ち昭和道を彷彿とさせる。その印象からどんなに遡っても自動車が幅を利かせるようになった大正期までだ。 |
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◆ 県北域に自動車が出現したのは大正の半ばで、雪の影響を受ける受けないの境界線となる中国自動車道ラインより遥かに北に位置し、豪雪地帯である中央分水嶺に近い当界隈で自動車が疾走するのはもう少し後と考えると、大正末期から昭和初期との推論が成り立つ。 その辺りで犬畑峠に車道を新設、或いはそれ以前から存在する馬車道の抜本的な改修を施したとなれば、今我々が捉えている山道は戦争の前後を通じて供用されたはずで、もしそうであれば一時期木炭車が主役を担ったのは間違くなく、勾配の緩さから木炭車の通行はほぼ確実である。 |
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◆ 峠道を実走した感触と僕の経験則では、木炭車による犬畑越えの確率は100%である。これまで木炭車が越えたとされる数多の峠と対峙してきたが、それらと比較して犬畑峠は楽勝の部類に属す。木炭車による峠越えを議論する余地などまるでなく、木炭車は自力で犬畑峠を越せると断言出来る。 尤も戦中に自動車が行き来していた、或いはその頃に車道が開通しているというのが大前提ではあるが。またこの山道が戦後に付けられた林道で、昭和の晩年まで供用され廃棄された道というパターンも有り得る。昭和20年代後半以降に敷設された戦後道であれば、木炭車通行説は粉砕する。 |
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◆ だが山道上にふんだんに設けられた石垣群が、犬畑越えの単なる林道説を一蹴する。この道は林業という極めて限定的且つ一般車の利用を考慮しない排他的な道ではない。来る者を拒まない走る物を選ばない自由度の高い道と僕は考える。勿論24時間365日利用可能なフリーダムである。 土伏の親子トンネルは、旧隧道の竣工以前の交通状況がどうなっていたのかという問いに対する明確な答えを出していない。トンネルあるとこ旧道アリの鉄則に従えば、新旧トンネルが並列する前後にそれに代わる道筋の痕跡があって然るべきだが、肝心の道跡は見当たらない。 |
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◆ そうなると旧隧道が明治隧道を改修したものであるか、或いは距離を隔てた別のルートを辿っていたと考えるのが自然である。そこで土伏トンネルの直近に位置する藤森集落で、トンネルの経歴について聞いてみた。 藤森の古老は語る。あのトンネルは昭和28年頃に造られたのだと。それ以前はあの辺りに道は無かったと。それが真実だとすれば直近に位置する犬畑峠が、土伏隧道開通以前に供用されていた旧道の可能性が大である。 犬畑峠21へ進む 犬畑峠19へ戻る |