教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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犬畑峠(19)

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犬畑峠(いぬはただわ)の取扱説明書

旭川の源流にして県下最大の貯水率を誇る湯原湖は、今日現在中国地方最大の水瓶として広く知られる。その知名度は今や全国区で、ダム直下の川原に湧く天然の湯に入らんと、休日ともなれば観光客がわんさと押し寄せ、芋洗い状態になる事も珍しくない。背後の巨大建造物と天然温泉のコラボは、日本広しと言えども滅多に御目にかかれるものではなく、有り得ないシュチュエーションは一見の価値がある。だが中国地方最大の人造湖の魅力は温泉だけに留まらない。ほとんどの人は気付いていないが、実は道路史的に大変興味深いエリアで、湖底には難破船の金銀財宝に匹敵する御宝道が眠っている。その片鱗は方々に散らばっており、全てを白日の下に晒した暁には、湯原・蒜山界隈の常識が覆るのは必至だ。新見夏の陣で大捕物を果たした今、県下最大のラビリンスと言っても過言ではない湯原湖。その牙城を崩すのは有名無実の峠と呼ばれて久しい犬畑峠。初動調査から実に3年の月日が流れたが、現場では我々の想像を凌駕する展開が待ち受けていた。当レポートは将来的に潜水艦を導入するきっかけになるかも知れない希有な機会である事を付け加えておこう。

 

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笹藪に閉ざされた区間はそう長くは続かない。障害無き更の路面が現れるのはまだ先になるが、足元はこごみのようなシダ植物が幅を利かせ、前進が躊躇われる障害物は皆無に等しい。誤って植林してしまったのか道のど真ん中に杉が仁王立ちしているが、それを咎める者はいない。

春先であれば間違いなく食材と成り得る植物群は、何故か道路のライン上にのみ繁殖し、緑の絨毯が山道の線形を浮き彫りにしている。それは杉木立の間を割る様にして大きな弧を描く。そこが人為的に設けられたヘアピンカーブと気付くのに、それほど時間は掛らない。

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緑の絨毯に誘われるままに成り行きで山道を伝う訳だが、視界に映るほぼ全てのものが人工的に形作られた造作物で、天然の山肌にただ単に道を付けた区間とは決定的に異なる。この現場は山塊を豪快に削り取っている。その事を意識する者はそれほど多くはない。

10年前の僕なら間違いなくスルーしていたであろうし、ヘアピンカーブを意識するのが精々で、それ以上でも無ければそれ以下でもない。石垣や警戒標識やカーブミラー等の明らかな人工物があれば意識し易いが、残念ながらこのヘアピンには目立った人工物が認められない。

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だからこそ普通は素通りしてしまう訳だが、僕は無駄に大きく膨らむヘアピンの違和感を見逃さなかった。ヘアピンの突端に位置する高台から見下ろせば一目瞭然であるが、ヘアピンを曲がり終えた直線区間は、大型車一台が余裕で通り抜けられる空間が確保されている。

これは植林杉を意図的に路上から排除している事で成立する光景で、今だ山道は道路として存続している事を示唆する。それはあくまで書類上の話に過ぎないが、山道上に杉が一本も生えていない事から、林業関係者が山道を意識している点を疑う余地はない。

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見てくれ、この杉木立を二分する明らかに異質な空間を。杉木立の回廊は大きく膨らむヘアピンを経てこの直線を迎える。相変わらず幅員は必要にして十分で、大型車両が余裕を持ってカーブを曲がれたであろう事は想像に難くない。これが馬車道であればコーナー部はもっと鋭角であったはずである。

しかしヘアピンの曲率半径は15mを超えており、交通量が少ない時代では楽々と曲がり切れた事は容易に想像される。僕が覚えた違和感、それはズバリ不必要に大きく膨らむヘアピンの線形で、それは馬車ではなく明らかに自動車の通行、それも大型車の通行を意識した仕様にある点だ。

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大型車の通行を見越した設計

ヘアピンの直後にはある程度の規模の石垣が認められ、そこがかつて真っ当な道路であった事を痛切に訴えている。それは単に通過する者のみならず、当界隈に梃入れする者の指標にもなっている。

石垣だけをクローズアップすれば馬車道と捉えられなくもない。実際に道路標識等の道路付帯設備は皆無であるし、石垣等の目立った人工物も必要最小限に止まる。この山道には近代構造物がほとんど認められない。

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そうなると地形に逆らわず限りなく自然のもの応用した古道を疑いたくなるが、戦力外通告を受けた当時の状態を今に伝える山道の現況と整合性が取れない。何せ石垣の形状が洗練されているし、道幅が広い上にヘアピンカーブも大型車の通行を意識した構造になっている。

それが改修に次ぐ改修を経た上での最終バージョンという見方が出来なくもないが、左右に散見されていい旧道跡も無ければ、別ルートを伝う古道筋も確認出来ない。この山中に眠るのはかつて自動車が駆け抜けたであろう一本道で、それ以外の通路は全く見当たらない。

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現時点に於いて間違いなく言える事は、往時の山道がT型フォードやボンネットトラックが疾走する自動車が主役の歴とした車道であったという事だ。そこに移動手段が徒歩に依る古道的な印象は見出せない。

古くて新しい道、それが必要にして十分なS字ヘアピンから垣間見える当山道の姿で、いまだ明治の置き土産と思わしき原始的な遺構が未発見である点も考慮すれば、当山道は昭和もしくは大正に端を発する道の公算が大である。

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