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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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犬畑峠(5) ★★★★★ |
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犬畑峠(いぬはただわ)の取扱説明書 旭川の源流にして県下最大の貯水率を誇る湯原湖は、今日現在中国地方最大の水瓶として広く知られる。その知名度は今や全国区で、ダム直下の川原に湧く天然の湯に入らんと、休日ともなれば観光客がわんさと押し寄せ、芋洗い状態になる事も珍しくない。背後の巨大建造物と天然温泉のコラボは、日本広しと言えども滅多に御目にかかれるものではなく、有り得ないシュチュエーションは一見の価値がある。だが中国地方最大の人造湖の魅力は温泉だけに留まらない。ほとんどの人は気付いていないが、実は道路史的に大変興味深いエリアで、湖底には難破船の金銀財宝に匹敵する御宝道が眠っている。その片鱗は方々に散らばっており、全てを白日の下に晒した暁には、湯原・蒜山界隈の常識が覆るのは必至だ。新見夏の陣で大捕物を果たした今、県下最大のラビリンスと言っても過言ではない湯原湖。その牙城を崩すのは有名無実の峠と呼ばれて久しい犬畑峠。初動調査から実に3年の月日が流れたが、現場では我々の想像を凌駕する展開が待ち受けていた。当レポートは将来的に潜水艦を導入するきっかけになるかも知れない希有な機会である事を付け加えておこう。 |
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◆真庭市に統合される以前の湯原町の標識が佇む 土伏隧道には天然の障壁がある。この既成事実を以て坑口の封鎖は免れたと言っても過言ではない。今でも路面の一部はアスファルトが顔を覗かせているが、それは旧道筋全体のほんの僅かな部分に過ぎず、全体像としては満遍なく湿性植物に満たされ緑の楽園と化している。 長年に亘り堆積した土砂に枯れ葉に倒木が寝床となって、それに輪を掛けているのがどこからともなく流れ出る山水で、かつての車道は万年泥田状態の湿地帯と化している。オフロードバイクでもなかなかの抵抗に喘ぐくらいであるから、チャリや徒歩での踏破だと長靴の着用は必至だ。 |
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◆出入口付近が見通しの利かないカーブの藤森側坑口 常人では近寄り難い湿地帯が招かれざる客の安易な進入を拒み続けている事で、現場は平成初期から時が止ったかのように往時の状況を今に伝えている。掘割の両壁には落石防止の金網が今も機能していて、目立った崩落等もなく容易く坑口に辿り着く事が出来る。 坑門へと通じる路は完全な舗装路で、晩年の旧県道筋が舗装化されていた事実は揺るがない。掘割の幅は辛うじて大型車同士の擦れ違いを許す規格で、これだけをみると三桁県道として今日現在も十分通用するように思うが、問題はその先に待つ隧道のスペックである。 |
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◆垂直壁に囲まれる深々とした掘割で隧道へと導かれる まるでヘナリワンがおもちゃに見えるほどに掘割は深くて広い。もうそこは人間の素手ではどうにもならない領域で、鑿&槌を用いた旧来の工法では何年かかるか分からないほど深々としている。重機や発破による文明の利器を最大限応用した工法に映るが、岩盤剥き出しである点が少々気になる。 今日現在掘割の壁面が凹凸の激しい地肌剥き出しというのは、当然路線切り替えが成される現役最後のその日まで補強されなかった事を意味する。全面がコンクリートで覆われていても良さそうなものだが、壁には鉄製の金網が被されているだけで、基本的に地肌丸出しとなっている。 |
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◆高度経済成長期に量産された無機質な面構え 対するトンネルにはしっかりと化粧が施され、ポータルも内壁もコンクリートによる覆工処理が成されている。それが後年の処理なのか否かは定かでないが、晩年は隧道特有の怖さや歪さが解消されていた事実を物語る。パッと見は昭和30年代の量産型で、可もなく不可もなくといった風貌をしている。 目の前にある隧道が竣工時の容姿そのままであるとしたら、昭和20年代後半から昭和40年代初頭に絞り込まれるが、もしもこれが改修後の姿であった場合、明治隧道も視野に入れねばなるまい。コンクリート以前の仕様はレンガに石組みに素掘りと可能性は多岐に渡る。 |
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◆坑門には竣工年が刻まれた扁額が埋め込まれている これといった情報が無い中で想像は尽きないが、銘板に彫り込まれた年代が膨らむ妄想に一定の歯止めを掛ける。土伏のタイトルの下部に認められる昭和?十年の文字、それが現時点で持ち得る最大のヒントであるのは言うまでもない。何せ現場付近には一軒の人家も存在しないのである。 竣工年を記した遺品が無ければ埒が明かないと思っていたが、ラッキーな事に銘板にはきっちりと竣工年が記されていた。本来であればこれにて一件落着であるが、肝心な部分が判読不能となっている。それが“和”と“十”の間で、経年劣化で溶け出したコンクリの液体によって一部が覆われているのだ。 |
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◆洞内は一部が素掘りに薄化粧を施す場当たり的処理 銘板の和と十の間には何等かの文字が認められる。それが一なのか二なのか三なのか四なのかはっきりとしないが、漢数字が前提であるとしたら三が最も適当で、それはポータルの形状とも一致する。判読不能の文字が三であるならば、初代土伏隧道の竣工は昭和30年という事になる。 但しだ、内部の様子を目の当たりにすると漢数字は三ではなく二の可能性も否定出来ない。高さに関しては必要にして十分だが、洞内の幅員が狭過ぎる。所詮三桁県道と言ってしまえばそれまでだが、大型車一台の通行がやっとの狭隘洞では、増加一途の交通状況に全く対応出来ない。 |
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◆ポータルだけは両坑口共に手抜きのないまともな処理 だからこそ新トンネル構想に靡いたとも言えるが、昭和30年代のトンネルであるならば、せめてインチキ二車線は確保して欲しい所で、洞内に於ける普通車同士の擦れ違いは果たして欲しいし、待避所くらいはあってもいいのではなかろうか。 しかし土伏隧道にはそうした設備が認められない。対向車の前照灯を捉えれば四輪はいかなる車両も坑口で待たざるを得ず、単車・チャリ・歩行者も恐る恐る進入するという状態であった事は容易に想像が付く。 犬畑峠6へ進む 犬畑峠4へ戻る |