教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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苦ヶ坂(9)

★★★

苦ヶ坂(くがさか)の取扱説明書

この峠に魅せられ現場を訪れる者は後を絶たない。遠くははるばる関東圏から遠征するくらいであるから、余程この峠には人を引き寄せる何かがあるのだろう。かくいう僕も東京から遠征したくちで、今でこそ現場は目と鼻の先に位置するが、かつてはそう簡単に行けない彼の地にあった。それでも遠征先のリスト入りを果たしたのは、先駆者を奈落の底に突き落とした数々の伝説があるからだ。その多くはマイカーによるチャレンジで、挑んだ者のほぼ全てがヒーハー!と雄叫びをあげる難所で、そこはディズニーランドも真っ青の大人のアトラクションが展開しているという。そう聞けば行きたくなるのが人情というもので、事実二輪による挑戦にも拘らず、楽勝という訳にはいかなかった。流石全国区の逝かれ道である。その時の印象は単にハードな道で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ歴史的背景に目を転じた瞬間?が三つ並んでしまい、突破が目的の当時の僕にとってこの難題は余りにも荷が重過ぎた。しかし道路格闘家のみならず道路交通史家としての経験を積み上げた今なら、苦ヶ坂を筆頭とするこの界隈の交通事情の包括的な解明は必至で、迷宮が迷宮でなくなる時が遂にやってきた。今宵ラビリンス苦ヶ坂の全てを白日の下に晒そう。

 

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常識人からすれば僕の行動はかなりの無茶ぶりに映るであろうし、数多の難所をあらゆる手段を講じて強行突破してきたのも偽らざる事実である。しかしながら傍若無人のように映る派手な行動にも、実は自身に課した一定のルールが存在する。それが純粋な江戸道なる聖域は侵さないという不文律だ。

オフロードバイクはMTBにエンジンを載せたような乗物であるから、乗り手の感情として人一人分の隙間さえあれば、ついつい登山道や獣道にも進入したい心境に駆られる。冒険の名の下にいい年したおっさんが週末になるとセローで野山を徘徊し、羽を伸ばす姿が全国各地で往々にして見られる。

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しかしその行為は社会一般からは煙たがられ、法的にもグレーゾーンというかギリギリアウトの禁じられた遊びだ。近年では自転車での進入も不可という路線があるくらいだから単車での通り抜けなど論外で、獣道ならまだしもハイカーと接触する可能性が高い登山道に単車の出番はない。

だが現代車道の起源となる街道筋となると話は別で、最後の最後まで車両の通行を許さなかった純粋な江戸道ならば車両の進入はNGというのは理解出来るし、街道筋そのものが拡張され馬車が走ったとなれば問答無用で踏破となるが、問題は幕末から明治初期にかけての転換期の路の扱いをどうするかだ。

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大衆の大方は当山道を純粋な街道筋と捉えるであろうし、パッと見は登山道でしかないこの山道の道中でヘナリワンに遭遇した場合、般ピーは大なり小なり違和感を覚えるに違いない。その事自体に異論はないし、当山道が一度も車両の通行を許していないならば、非難されて然るべきと考える。

しかしながら自身に課したルールとして、人道に始まり人道に終わった道路に土足で踏み込んではならないという約束事があり、僕はその規律を忠実に守ってきた。それは僕自身が踏破欲を抑え込んできたというよりは、物理的に踏破が叶わなかった事例の方が遥かに大きい。

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R289八十里越然り、R289甲子峠然り、R283仙人峠然りだ。どれも車道限界地点での撤退を余儀なくされ、その行く末も徒歩にて確認してみたが、車両による往来は到底実現し得るものではなかった。そりゃそうだ、どの物件も過去に一度も車両の通行を許してはいないのだから。

牛馬及び人しか往来しなかった古道筋は、得てして幅員1m前後の小径であり、酷い箇所になると崩れた斜面に一足分の通路が確保されるだけの際どい場面もあり、沢筋には橋が架かっていないとか巨木の根っ子が路を横断しているとか、通路が階段状になっているなどの致命的な障害も少なくない。

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そういった障害物を担ぐ事によって克服可能なMTBと異なり、単車では全くと言っていいほど太刀打出来ない。悪路踏破性に優れたオフロードバイクであるが、大前提として極度の凹凸が無いなど車道の出来損ない程度の状態でないと二進も三進も行かない。基本的に車道の原型を留めている必要があるのだ。

石ころだらけの干上がった川原も走破出来なくはないが、それは障害物競争の範疇を出るものではなく、ライフラインとしては有り得ないシチュエーションだ。今辿っているのは広島県の東城と岡山県の新見を結ぶ生命線であり、明治15年まで唯一にして無二の主要幹線路である。

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年代的に見れば当然そこには八十里越や青崩峠にみる車両通行困難箇所があって然るべきである。ヘナリワンが絶体絶命のピンチに陥る場面に遭遇しても何等おかしくはない。ところがこの現場には旧街道に有りがちな障害は認められず、緩やかな勾配の路が粛々と続いている。

峠を越した直後の左カーブと続くヘアピンカーブだけは勾配のきつさが目立つが、それ以外は非常に穏やか且つ緩やかな勾配で、小径は山肌を横這いに進んでいる。特筆すべきはその幅員で、両脇の笹に埋もれて見えない部分を含めると、平坦路はなんと1.5〜2mを確保しているのである。

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全国の名立たる旧街道筋に比してスペックは頗る優秀で、忌まわしき階段でヘナリワンを退けた熊野古道にはない安定感抜群の路が山中を伝っている。道中は倒木によって何度も行く手を阻まれるも、それは道路のスペックとは一切関係ない。

両脇が密度の濃い笹に隠され全容が掴み難いが、突貫で拓いた中心付近の路面は常に平坦で、車輪の障害となる異物を意図的に除去したかのような足元の様子を目の当たりすると、純粋な江戸道に対する大いなる違和感を禁じ得ない。

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