教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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苦ヶ坂(7)

★★★

苦ヶ坂(くがさか)の取扱説明書

この峠に魅せられ現場を訪れる者は後を絶たない。遠くははるばる関東圏から遠征するくらいであるから、余程この峠には人を引き寄せる何かがあるのだろう。かくいう僕も東京から遠征したくちで、今でこそ現場は目と鼻の先に位置するが、かつてはそう簡単に行けない彼の地にあった。それでも遠征先のリスト入りを果たしたのは、先駆者を奈落の底に突き落とした数々の伝説があるからだ。その多くはマイカーによるチャレンジで、挑んだ者のほぼ全てがヒーハー!と雄叫びをあげる難所で、そこはディズニーランドも真っ青の大人のアトラクションが展開しているという。そう聞けば行きたくなるのが人情というもので、事実二輪による挑戦にも拘らず、楽勝という訳にはいかなかった。流石全国区の逝かれ道である。その時の印象は単にハードな道で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ歴史的背景に目を転じた瞬間?が三つ並んでしまい、突破が目的の当時の僕にとってこの難題は余りにも荷が重過ぎた。しかし道路格闘家のみならず道路交通史家としての経験を積み上げた今なら、苦ヶ坂を筆頭とするこの界隈の交通事情の包括的な解明は必至で、迷宮が迷宮でなくなる時が遂にやってきた。今宵ラビリンス苦ヶ坂の全てを白日の下に晒そう。

 

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夕間地蔵の25mほど先にターゲットは待ち構えていた。現場は密度の濃い笹の群生に覆われ、思う様に身動きがとれない。徒歩でも自由に徘徊するのが困難な渦中では、ただただ通路に誘われる形で身を委ねるしかない。足元の様子が確認出来ないので、道が途切れていると解釈する者もいるだろう。

ある意味でその判断は間違ってはいない。何故なら道が有るのか無いのかの二択で言えば、後者が大勢を占めるであろう事は想像に難くないからだ。目の前が藪壁に閉ざされているというシチュエーションは、般ピーにとっては道が無いも同然であり、一般的な見解としては頗る正しい。

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この山中を庭の如し熟知している山男ならまだしも、熟練の登山家でも土地勘のない者が進入すればそれなりのリスクはある。そこにゼロリスクを声高に叫ぶ一般市民が突っ込んだらどうなるかは言わずもがな。普通に考えて夕間地蔵で引き返すのが賢明な判断である。

頂上の手前で車道が途切れているのも、そこで引き返す事を促す為なのであろう。確かに夕間地蔵で二分された前後の状況を目の当たりにして、さあ東城側へ行ってみようか!と威勢のいい態度をとる者は稀だ。それが徒歩移動ならまだしも、何等かの車両で到達したとなれば尚更だ。

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一般の感覚であれば前進する気は確実に萎えるであろうし、藪壁は人間の本能に働きかけるから、ゲートで阻止するよりも撤退を促す効果は大である。よって現況は一定の効果が見込めるのは間違いない。しかしそれをいちいち鵜呑みにしていては商売にならない。

夕間地蔵より先は道が無いのか、それとも刈り払いをしていないだけなのかを見極めるのが僕の仕事だ。この現場の場合は当然後者となる。藪は単に刈り払われていないだけで、足元には一定の空間が認められる。つまり路の続きは存在するという事だ。その紛れもない証拠が頂上の先に待っている。

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ドーン!

見てくれ、この見通しの利く幅広空間を。山道は尾根を跨いだ瞬間に気持ちいいくらいに視界が開ける。頭上は数多の木々に遮られ一年を通じて日照に恵まれないせいか、足元の植物群は繁殖が著しく抑制されている。

その御蔭でびっしりと笹に覆われた頂上付近とは対象的に、神代側の山道はハイキングコースと見間違う程の好条件で、25m前後の激藪を突破するのと引き換えに、漏れなく嬉しい御褒美が用意されている。

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しかし大方の到達者が断念し今来た道を舞い戻っているのか、切り通しより先の山道の路面は荒れに荒れている。夕間地蔵までは明らかに車両の進入を意識した整備の手が入っているが、それより先は手付かずのままといった惨状で、一般のドライバー目線では見るに堪えない悪路となっている。

一方現場にヘナリワンごと乗り入れた当事者である僕自身は、一般の感覚とはまるで真逆の未知なる路の発見にいつになく鼻息は荒い。そりゃそうだ、2m幅を維持した山道がそのまま神代側へと続いているのだから。峠を境に徒歩道サイズへと縮小しない現実に、興奮しない方がどうかしている。

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正確を期せば新見市街地⇔夕間地蔵間のような確実に自動車の往来を許す規格にはない。例えミゼットであっても通り抜けは物理的に困難であろう。但しそれは道路そのもの所為じゃない。両脇から崩れた土砂が堆積した結果であって、道路自体に規格の大幅な変更があった訳ではないのだ。

パッと見は人畜のみが有効の純粋な江戸道にも映るが、そうでない事は両脇に堆積した瓦礫の山分を差し引けば明らかだ。当山道は夕間地蔵に至る過程と同じく車道規格にて峠を越している。それはこの峠が行き止まりの片峠ではなく、神代側へ車両が通り抜けていた事を物語る。

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苦ヶ坂が車両の往来を許した!?

まだ確定した訳ではないが、150年前の行政界を跨いでも尚同規格の幅広道が続いているという事は、この峠道を車両が通行していた可能性は大である。

2m幅の空間を精査すれば物理的に車両の通行を許すのは明らかで、その象徴とも思える線形が僕の目の前に唐突に現れる事で、いよいよ現場は興奮の坩堝と化す。

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