|
教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
|
|
トップ>旧道>岡山>苦ヶ坂 |
|
|
苦ヶ坂(3) ★★★ |
|
|
苦ヶ坂(くがさか)の取扱説明書 この峠に魅せられ現場を訪れる者は後を絶たない。遠くははるばる関東圏から遠征するくらいであるから、余程この峠には人を引き寄せる何かがあるのだろう。かくいう僕も東京から遠征したくちで、今でこそ現場は目と鼻の先に位置するが、かつてはそう簡単に行けない彼の地にあった。それでも遠征先のリスト入りを果たしたのは、先駆者を奈落の底に突き落とした数々の伝説があるからだ。その多くはマイカーによるチャレンジで、挑んだ者のほぼ全てがヒーハー!と雄叫びをあげる難所で、そこはディズニーランドも真っ青の大人のアトラクションが展開しているという。そう聞けば行きたくなるのが人情というもので、事実二輪による挑戦にも拘らず、楽勝という訳にはいかなかった。流石全国区の逝かれ道である。その時の印象は単にハードな道で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ歴史的背景に目を転じた瞬間?が三つ並んでしまい、突破が目的の当時の僕にとってこの難題は余りにも荷が重過ぎた。しかし道路格闘家のみならず道路交通史家としての経験を積み上げた今なら、苦ヶ坂を筆頭とするこの界隈の交通事情の包括的な解明は必至で、迷宮が迷宮でなくなる時が遂にやってきた。今宵ラビリンス苦ヶ坂の全てを白日の下に晒そう。 |
|
|
|
◆ なかなかいい感じの展開ジャマイカ?道中にはチラホラと古民家が散見されたが、平日の日中に人影は皆無で、ここに至るまで唯の一人も会話を交わしていない。そうこうしているうちに集落の外れに位置する一軒の人家前を通り過ぎた所で、道路状況に大きな変化が現れた。 何の予告も無しに唐突にアスファルトが途切れ、現代人の多くが敬遠するであろう未舗装路へと切り替わり、何も知らずに突っ込んできた一見さんを篩に掛ける。僕にとってそれは想定の範囲内というか非常においしい展開であるが、この状況を望まない多くのドライバーにとっては単なる終点でしかない。 |
|
|
◆ 御覧の通り路は砂利道と言っても、サンデードライバーが週末に訪れる一般的な林道とは様相が異なる。必要最低限の処置しか施されていない道は、普段から砂利道に慣れた者であっても少なからず抵抗感を抱くであろう仕様で、四輪だと転回不能という最悪の事態が脳裏を過るシチュエーションだ。 単車であればこの程度は御茶の子さいさいであるが、四輪であれば舗装路と未舗装路の境目でかなり悩むに違いない。ドライバーが尻込みする最大の要因はその幅員で、生い茂る雑草の刈り払いの甘さ以上に、軽トラ一台がやっとの狭さは無条件に踏み込めるものではない。 |
|
|
◆ 一応路面にはダブルトラックが認められ、四輪が行き来している様子は窺えるが、側面から突き出る岩や木々に路肩が判然としないなど、不安要素はてんこ盛りである。そもそも論としてこの砂利道には離合箇所というものが見当たらない。自動車通行の痕跡はあるが、擦れ違い箇所が認められないのだ。 それは普段から地元の車両のみが往来し、部外者の進入を一切考慮していない事を意味する。地元車からしてみれば対向車は想定外であるから、わざわざ自分の土地を潰してまで待避所を設ける意味がない。交通量が皆無に等しい過疎道にそんな過剰な設備は必要ない。 |
|
|
◆ 本道は物理的に単車と軽トラの擦れ違いも困難であるから、対向から地元車両が現れれば慌てて引き返す羽目になるから、部外者が四輪での進入となると余程の度胸がないと厳しい。正確を期せば待避所らしき膨らみはあるにはあるが、その大部分が草に埋もれ用を成していない。 そう、この砂利道には待避所が備わるのだ。軽自動車同士なら何とか交わせそう膨らみを左右一箇所ずつ捉えたが、その両方が藪に埋もれて使い物にならない。しかしこの道が最も輝いていた時代は、間違いなく車両同士の交換が成されていたものと思われる。 |
|
|
◆ 本線は狭い谷筋の右側を伝っているが、進行方向左手のすぐ脇には小川が流れ、そいつを跨ぐと平坦な土地が段々に続いている。それが止めて久しい田んぼの跡であると気付くのにそれほど時間は掛らない。軽トラとトラクター、或いはオート三輪と牛車の擦れ違いなど往年の様子が目に浮かぶ。 廃田となって久しい田んぼの跡地はかなり奥まで続いており、昭和50年代はまだまだ現役バリバリであったと航空写真は語る。牛による田起こしや手植え時代は終焉を迎え、作業のほとんどが機械に置き換わった頃に現役という事は、車両同士の擦れ違いが成されていたのはほぼ確実である。 |
|
|
◆ 農機具が置かれていたであろうトタン屋根の格納庫が草に埋もれ、その正面付近だけは路面に簡易舗装が施されている。トラクターなどの出入りを想定しての施工と思われ、軽トラの出入りも含め昭和の晩年はこの付近まで車両が日常的に往来していたのは間違いない。 丁度の小屋を過ぎたところで路は二手に分かれる。三差路の交点という事もあってそこだけは開けていて、四輪で突撃したチャレンジャーが引き返すには絶好のポイントとなっている。何故この場で引き返さねばならぬのか!という威勢のよい猛者も、三差路の現況を目の当たりにすれば少しは大人しくなるだろう。 |
|
|
◆ 正面の杉木立を挟んで路はY字状で二手に分かれている。右の路は道幅も広く真新しい砂利が撒かれていて、かなり奥の方まで見通しが利く。それに対し左の路は道路の存在自体が雑草に埋もれ判然としない。 勿論本線が左であるのは言うまでもない。発狂しそうな精神を落ち着かせる為に挑戦者は一端は右に舵を切るであろうが、数分とせずにこの場所に舞い戻ってくる羽目になる。しかしこの脅威は単なる序章に過ぎない。 苦ヶ坂4へ進む 苦ヶ坂2へ戻る |