教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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苦ヶ坂(2)

★★★

苦ヶ坂(くがさか)の取扱説明書

この峠に魅せられ現場を訪れる者は後を絶たない。遠くははるばる関東圏から遠征するくらいであるから、余程この峠には人を引き寄せる何かがあるのだろう。かくいう僕も東京から遠征したくちで、今でこそ現場は目と鼻の先に位置するが、かつてはそう簡単に行けない彼の地にあった。それでも遠征先のリスト入りを果たしたのは、先駆者を奈落の底に突き落とした数々の伝説があるからだ。その多くはマイカーによるチャレンジで、挑んだ者のほぼ全てがヒーハー!と雄叫びをあげる難所で、そこはディズニーランドも真っ青の大人のアトラクションが展開しているという。そう聞けば行きたくなるのが人情というもので、事実二輪による挑戦にも拘らず、楽勝という訳にはいかなかった。流石全国区の逝かれ道である。その時の印象は単にハードな道で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ歴史的背景に目を転じた瞬間?が三つ並んでしまい、突破が目的の当時の僕にとってこの難題は余りにも荷が重過ぎた。しかし道路格闘家のみならず道路交通史家としての経験を積み上げた今なら、苦ヶ坂を筆頭とするこの界隈の交通事情の包括的な解明は必至で、迷宮が迷宮でなくなる時が遂にやってきた。今宵ラビリンス苦ヶ坂の全てを白日の下に晒そう。

 

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道なりに進んだ先のT字路を左折しても尚現場には古道臭というものが全く感じられない。果たして僕の向かうべき方向は正しいのであろうか?その指針となるのが付かず離れずで並走する伯備線の線路で、その経路と大きくかけ離れない限り、頓珍漢な道を歩んでいる訳でない事だけは確かだ。

鉄道はこの先に待つ山塊の懐へと飛び込むが、山裾に口を開ける隧道が苦ヶ坂を名乗っており、昭和3年に開通した古くて新しい路線のトンネル名が、直近の古峠から拝借したものであるのは間違いなく、この通路が鉄道に影響を及ぼした古道筋である可能性は大だ。

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繰り返すが現場に古道臭は全くと言っていいほど漂ってはいない。あくまでも鉄道と並走する当路線は古峠の第一候補に過ぎない。ただ他に臭い道が見当たらない事から、途中で道幅が極端に狭まるなどして僕が思い描くような小径に変身すれば、古道筋の可能性は飛躍的に高まる。

現在駒を進めているのは川面峠の神代寄りでぶつかってくる小径の延長線上にあると見立てた路で、明治15年に開通したとされる馬車道以前に供用されていたであろう山道だ。そいつは一般的見地から車両の通行を許さない人馬のみが有効の幅員1m前後の路が想像される。

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実際に開通記念碑の裏側を伝って急傾斜で滑り降りてくる小径は、明治新道とは比較にならないほどの頼りない路で、常識的に考えれば車道ではないとの判断が妥当である。熊野古道のように階段や巨樹の根が行く手を遮る車両通行とは無縁の、登山道に毛が生えたまさに歩行者専用通路である。

その出入口には牧水街道苦ヶ坂と刷られた手作りの板が設けられている事から、街道歩きを趣味とする者等が今も僅かながら轍を刻んでいるようで、仮に年間通行者が限りなくゼロであっても、倒木除去や草刈等のメンテナンスが有志の手によって成されている印象を受ける。

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僕が目の当たりにした山道は草ボーボーで、廃道同然の小径の入口に設置された案内板は、雑木林に同化するオブジェと化している感は否めないが、あの看板がなければこのレポートは不成立に終わっていたかも知れない。草に埋もれた分岐点を案内板無しに見分けるのは至難の業である。

但しその存在によって何かが変わる訳でもない。何故なら通常の感覚であれば明治15年の馬車道の成立を以て車道の起源とするからだ。それ以前の路は人馬の通行しか許さない純粋な江戸道で、車道のみを追求する者にとって深入りは禁物の邪道でしかない。

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車道に特化して路を追及するハンターが街道に手を出すとロクな事はない。人畜のみが有効の小径を調査対象とする事は、全国的な車道の全容解明を放棄するに等しい。車両の通行を唯の一度も許した事のない小径を扱えば天文学的な数に膨れ上がり、到底個人の手に負えるものではない。

ならば僕は何故牧水街道なる径しい山道に手を出したのだろうか?それは明治新道の開通記念碑裏手を通過する小径が、僕には単なる江戸道には見えなかったからだ。どういう事かと言えば人一人分の通路以外に、笹に埋もれた余白が路の両脇に存在するのを僕は見逃さなかった。

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実際に藪の一部を刈り払ってみると、2mとまでは言わないが1.5m前後の路が露わとなったのだ。それはたまたま明治新道にぶつかる着地点付近のみ道幅に余裕があるだけなのかも知れないが、その規格のまま山道が鞍部を跨いでいる可能性も排除出来ない。

フードショップヨシダを起点とする当山道がこのまま無事に鞍部を跨ぎ、開通記念碑の裏手を伝って明治新道にぶつかっているならば、恐らくというか十中八九は新見と東城を結ぶ最古の路と思われ、今日現在国道を名乗っている路の祖、即ち国道182号線旧旧道という見方が出来なくもない。

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あくまでもそれは妄想の域を出ない拡大解釈に過ぎず、実際に明治年間に国道指定された明治国道とは何の脈絡もないが、最後は国道に上り詰めた路のDNAを持つ古道として、十分調査対象と成り得る路線であると確信している。

勿論それだけではない。最後の最後まで人畜しか通行を許さなかった純粋な街道筋とは一線を画す道として、僕はこれから挑む山道に大いなる可能性を感じている。最終人家の外れにて早くもその兆候を捉えた。

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