教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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九の坂(15)

★★★★

九の坂(きゅうのさか)の取扱説明書

この峠に魅せられ現場を訪れる者は後を絶たない。遠くははるばる関東圏から遠征するくらいであるから、余程この峠には人を引き寄せる何かがあるのだろう。かくいう僕も東京から遠征したくちで、今でこそ現場は目と鼻の先に位置するが、かつてはそう簡単に行けない彼の地にあった。それでも遠征先のリスト入りを果たしたのは、先駆者を奈落の底に突き落とした数々の伝説があるからだ。その多くはマイカーによるチャレンジで、挑んだ者のほぼ全てがヒーハー!と雄叫びをあげる難所で、そこはディズニーランドも真っ青の大人のアトラクションが展開しているという。そう聞けば行きたくなるのが人情というもので、事実二輪による挑戦にも拘らず、楽勝という訳にはいかなかった。流石全国区の逝かれ道である。その時の印象は単にハードな道で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ歴史的背景に目を転じた瞬間?が三つ並んでしまい、突破が目的の当時の僕にとってこの難題は余りにも荷が重過ぎた。しかし道路格闘家のみならず道路交通史家としての経験を積み上げた今なら、九の坂を筆頭とするこの界隈の交通事情の包括的な解明は必至で、迷宮が迷宮でなくなる時が遂にやってきた。今宵ラビリンス九の坂の全てを白日の下に晒そう。

 

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一見するとそいつは近寄り難い私道に映る。現場の状況から実際に私有地である可能性は高い。しかし昭和の晩年頃までそこは一般道であった可能性が大だ。その根拠として潤沢な幅員が挙げられる。軽自動車二台を並べてお釣りがくる道幅は、単なる引込線にしては広過ぎて不自然である。

そしてもう一点、道路とは直接的な関係はないが気になるものがある。それが送電線の経路で、単なる住宅地への進入路であるならば、極太の電柱は分岐点のみで済むはず。ところが立派な電柱が住宅地を抜けた先に聳え立ち、電線は西川を一跨ぎし左岸へと通じている。

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何故行き止まりであるはずの支線の奥に極太の電柱が存在し、対岸の送電線と連係しているのであろうか?その答えは一つしかない。住宅地を貫通する砂利敷きの1.5車線路が、かつて一般道として供用されていたからだ。そう考えない限り現況は理解に苦しむ。

撒かれた砂利は路面に馴染んでおらず、少々浮いた格好となっている。恐らく平成築と思われる戸建の主が、良かれと思って自己判断で撒いたものであろう。その先は年季の入った未舗装路で、更に奥は緑の絨毯と化している。そこにはトンデモナイ代物が待ち構えていた。

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ドーン!

何なんだ、この古代遺跡のような異様な物体は?そいつが橋である事くらい分かっている。問題はそのシチュエーションで、行き止まりの路の最奥部に橋が架かり、対岸の広場で唐突に途切れている事が大いなる消化不良を引き起こす。

このストレスは半端ではない。古代人が何等の意図を以て架設したのであろうが、現況からはその真意が全く読み取れない。一大工事を成し遂げようとしたが、何等かの事情で中途半端に終わってしまった格好だ。

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中途半端というのは少々言い過ぎで、橋梁そのものはきっちりと日の目を見ており、単車は勿論四輪でも対岸への渡橋を許す。幅員は橋上での普通車同士の擦れ違いが叶う4.5m幅で、この古橋は完璧に自動車通行を見越したものである。つまり近代の橋梁であるという事だ。

欄干の一部が植物の浸食を許し、古橋は永い眠りについているように見える。ある瞬間を境に時が止ったかのような構造体はジブリワールドを彷彿とさせるが、そいつは紀元前に建立されたオーパーツでもなければ、映画の撮影用に拵えられた大掛りなオープンセットでもない。

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この橋梁は日常的に一般車両の往来を許す道路の一部として架設されたもので、日常生活に必要不可欠な極めて実用的な構造体である。問題はそいつが西川の支流を跨いだ先で唐突に途切れる中途半端さで、対岸の着地点で折り返さねばならない線形は、全く以て意味不明だ。

だがその違和感は現況のみで判断する事による誤認であり、行き止まりの路の末端に架かる橋の何たるやを知れば、誰もが合点するはずである。古橋の手前に住まう家の主は言った。かつてはもう一本の橋が架かっていたのだと。西川を跨いで左岸へ取り付くもうひとつの橋が。

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主曰く家を建てる際にその橋は既に取り壊され影も形も無かったが、隣家の主が数年前までは西川を跨ぐ橋が架かっていたと教えてくれたという。その経路がかつての県道8号線筋であるとも。

旧橋=県道8号線の遺構

昭和の晩年まで畑原には大小二つの橋が連続で架かり、一本は20m前後の短橋梁、もう一本は西川を跨ぐ50m前後の長尺で、後者は新道の開設と引き換えに落とされたが、前者は放置プレイにて今に至る。

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古橋を渡った直後に行き場を失うのは、かつて二つでワンセットの片割れが消失したからで、昭和臭全開のモダンな橋が単なるオブジェでない事は、地元民の証言及び歴代の地形図からみても明らかだ。

失われた橋梁は土台ごと粉砕しているが、木々の隙間に目を凝らすと、対岸には九の坂越えの山道の着地点が見えている。かつての県道8号線は右岸にてL字状で折れ曲がり、踏切を渡った直後に山道とぶつかっていたのだ。

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