教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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九の坂(14)

★★★★

九の坂(きゅうのさか)の取扱説明書

この峠に魅せられ現場を訪れる者は後を絶たない。遠くははるばる関東圏から遠征するくらいであるから、余程この峠には人を引き寄せる何かがあるのだろう。かくいう僕も東京から遠征したくちで、今でこそ現場は目と鼻の先に位置するが、かつてはそう簡単に行けない彼の地にあった。それでも遠征先のリスト入りを果たしたのは、先駆者を奈落の底に突き落とした数々の伝説があるからだ。その多くはマイカーによるチャレンジで、挑んだ者のほぼ全てがヒーハー!と雄叫びをあげる難所で、そこはディズニーランドも真っ青の大人のアトラクションが展開しているという。そう聞けば行きたくなるのが人情というもので、事実二輪による挑戦にも拘らず、楽勝という訳にはいかなかった。流石全国区の逝かれ道である。その時の印象は単にハードな道で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ歴史的背景に目を転じた瞬間?が三つ並んでしまい、突破が目的の当時の僕にとってこの難題は余りにも荷が重過ぎた。しかし道路格闘家のみならず道路交通史家としての経験を積み上げた今なら、九の坂を筆頭とするこの界隈の交通事情の包括的な解明は必至で、迷宮が迷宮でなくなる時が遂にやってきた。今宵ラビリンス九の坂の全てを白日の下に晒そう。

 

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うちの裏に昔の道がありますよ。今も通れますけど人が歩いて通る道で、幅は1mもありません。見た目は田んぼの畦で赤線と言います。大昔は東城へ行く道だったそうです。昭和の初めにはもう使われていませんでした。

小谷の婆ちゃん宅の裏手には、田んぼの畦道と見間違うほどの小径が存在するという。そいつは県道8号線と並走する形で山裾を細々と伝っており、その道筋は地元民が指摘してくれるまで気付かない古代の路で、歴代の地形図にも未掲載のそれは単純に江戸道と思われる。

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その道を人が行き来しているシーンは誰も見た事がなく、あくまでも先代からの伝承によるものであるから、徒歩通行時代のもの即ち江戸道と考えるのが妥当だ。分かっているのは鉄道が開通した昭和3年頃には、現存する県道8号線の旧道よりも一回り狭い通路が既に存在したという事実のみである。

二車線の快走路と化した現在の県道は平成の始めに端を発しているが、それまではこの1.5車線路で行き交う車両の全てを捌いていた。小谷の婆ちゃんの記憶にある昭和一桁の県道8号線筋は、今の軽自動車がやっと通れるくらいの細道で、その当時の大型車は九の坂を経由していたという。

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小谷集落を抜けるとしばらく県道は鉄道と並走した後、踏切で向こう側に待つ二車線の快走路へと吸収される。小谷踏切の前後左右に旧道らしき道筋が見当たらない事から、この1.5車線が前時代の一車線路を拡張したものと解釈が妥当で、県道8号線旧道の幅員は九の坂のそれを完全に上回っている。

大部分が普通車同士の擦れ違いを許す幅員4m前後の路が、規格はそのままにその昔から供用されていたとすれば、神代で国道筋に合流し川面峠を越える経路が自然で、現に足立石灰の10トン車がそのルートで新見へと抜けている。しかしそれは昭和40年代の話で、それ以前は有耶無耶となっている。

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小谷踏切を渡り終え現道にぶつかると、その直後に左へ派生する支線との交点に直面する。そこでは通行車両の10台中9台が直進し足立方面を目指す。左へ折れ曲がる路はあくまでも無数に枝分かれする小径を束ねる市道に過ぎない。少なくとも県道から見れば取るに足らない存在だ。

しかし数分後その枝道が県道8号線の旧道である事実を知る事となる。大型車同士の相互通行を許す県道8号線は笹尾橋で西川を一跨ぎし、その先で九の坂越えの山道と交わる例の交点に達する。神郷の物産館からその交点までの間が、まさに戦前まで影も形も無かったとされる区間である。

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今でこそ新見へ行くにも東城へ赴くにも当たり前のように行き来する道程であるが、そのルートが存在しないとすれば大型車が九の坂を経由していたというのも頷ける。選択肢がないのだから当然の帰結である。ただある時を境に本筋が山越えの路から川伝いの路へと移り変わる。

地形図のみを頼りにするとその移管は昭和30年代となるが、覇権が山線から川線に移り変わる際に主役を担ったのが、笹尾橋の脇で鉄橋の下に潜り込む1.5車線路で、現在は新見市道となっている平凡な田舎道が、実は県道8号線の旧道であると歴代の地形図は語る。

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西川を跨がずに伯備線をアンダーパスする旧県道は、急崖に設けられた断崖路を川伝いに遡行する。道幅は普通車同士の擦れ違いを辛うじて許すが、大型車がくれば一溜まりもない中途半端な幅員で、インチキ二車線に手が届かない昭和中期クオリティを主張しているように見えなくもない。

その幅員でさえ後年の拡幅に因るものかも知れないが、いずれにしても九の坂から覇権を奪ったという事は、道幅が3.5〜4mと山道の規格を上回っていないと成立しない話だ。少なくとも山道と同等規模でなければ話にならない。その当時の道路規格は恐らく上書きされたであろう今となっては知る由もない。

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と思っていたらトンデモナイ代物が宅地の陰で息を潜めていようとは思いも寄らなんだ。旧県道はそのまま黙って道なりに進むと、左へ90度折れ曲がり油野地区を経て三室峡に至る。どこかで軌道修正する必要があるが旧道筋は見当たらない。

だがよくみると左カーブの途中で真北に向かう道筋が確認出来る。但しそこは宅地への引き込み線で、どこからどう見ても私有地であるのは明らかだ。しかしそれが唯一の希望にして確信的な路である事を疑う余地はない。

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