教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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九の坂(3)

★★★★

九の坂(きゅうのさか)の取扱説明書

この峠に魅せられ現場を訪れる者は後を絶たない。遠くははるばる関東圏から遠征するくらいであるから、余程この峠には人を引き寄せる何かがあるのだろう。かくいう僕も東京から遠征したくちで、今でこそ現場は目と鼻の先に位置するが、かつてはそう簡単に行けない彼の地にあった。それでも遠征先のリスト入りを果たしたのは、先駆者を奈落の底に突き落とした数々の伝説があるからだ。その多くはマイカーによるチャレンジで、挑んだ者のほぼ全てがヒーハー!と雄叫びをあげる難所で、そこはディズニーランドも真っ青の大人のアトラクションが展開しているという。そう聞けば行きたくなるのが人情というもので、事実二輪による挑戦にも拘らず、楽勝という訳にはいかなかった。流石全国区の逝かれ道である。その時の印象は単にハードな道で、それ以上でもそれ以下でもない。ただ歴史的背景に目を転じた瞬間?が三つ並んでしまい、突破が目的の当時の僕にとってこの難題は余りにも荷が重過ぎた。しかし道路格闘家のみならず道路交通史家としての経験を積み上げた今なら、九の坂を筆頭とするこの界隈の交通事情の包括的な解明は必至で、迷宮が迷宮でなくなる時が遂にやってきた。今宵ラビリンス九の坂の全てを白日の下に晒そう。

 

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上市の集落は今でこそ三軒+奥の一軒と少ないが、その昔は十数戸が肩を寄せ合うようにして暮らしていたという。静かな山間の里は市街地とは完全に隔絶され、不自然な異音が漏れ届かない長閑な村であったという。その静寂を打ち破る者が突如として現れる。他でもない新国道建設時のノイズだ。

古老は語る。それまでは人工的な物音など何一つしない静かな山里であったのだと。その当時村でマイカーを所有している者は皆無で、畑を耕すのも牛の仕事であったという。東京五輪の盛大な祭りが終わり一段落した昭和40年代初頭から、大規模な造成工事が始まったという。

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まだカメラが一般的でないその頃の村の様子を、古老は写真に収めている。余程の衝撃的な出来事であったのだろう。若かりし日の古老は集落の端から端までを数枚の写真に収め、近年になってそれをプロの手で繋ぎ合わせてもらったのだという。氏はその当時の貴重な古写真を僕に惜しげもなく披露する。

そこには完成して間もないピカピカの国道が映り込み、相対的にそれまで主役を担っていたであろう九の坂越えの山道が豪くみすぼらしく映る。当然の事ながら当時の山道は砂利道で、古老の言う通り今よりも人家はずっと多い。それを見る限り路線バスが上市まで乗り入れていたというのも消化出来なくはない。

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九の坂新道が日の目を見た昭和40年代は、車・エアコン・カラーテレビの新三種の神器を揃える事が国民の指標となり、地方の地方に位置するここ新見にも、遅ればせながらその余波が到達する。古老は語る、集落の者がマイカーを持ち出したのは新道の成立後であると。

人間というものは一度利便性を享受すると、生活の質を元に戻す事は難しい。マイカーでの楽々移動を覚えた民は、通常業務も楽に出来ないかと考えるようになる。そこで登場するのがトラクターだ。以後それまでの牛に代わって重労働はトラクターが担うようになった。

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古老曰く九の坂を貫く昭和新道の開通で、上市の生活環境は一変したという。ある者は国道敷設予定線上の土地が売れた事で他所へ引っ越し、またある者は移転を余儀なくされ新見市内に新築の家を建てたという。ちょっとした国道バブルが起こり、村に国道成金が出たのだという。

国道敷設予定線に引っ掛かった者とそうでない者との差は雲泥であるが、上市には敗者復活戦の吉報が舞い込む。他でもない中国自動車道の建設である。新見界隈は昭和53年秋開通と早く、着工が新国道の完成後程なくしてというから、九の坂にはほぼ連続して風穴が開けられた事が分かる。

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今でこそ我々現代人は下道でも上道でも当たり前のように九の坂をトップスピードで駆け抜けるが、その経路が確立されたのは昭和40年代前半から昭和50年代前半にかけてで、国道トンネルの竣工が昭和47年、高速道路のトンネルが同53年と短期間のうちに九の坂には二つの風穴が開いている。

昭和57年には峠下に三つ目の穴が貫通し、高速道路の対面通行は僅か4年で解消された。昭和47年に九の坂に高規格道路が成立してから、僅か10年で既存のインフラが完成した点を踏まえれば、かなりのスピード決着と言わざるを得ない。当然の事ながらその10年で上市の環境は一変している。

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新国道の敷設時にチャンスを逃した者の多くが、高速道路の予定線に引っ掛かり、住民の多くがウハウハになったという。その頃は列島全体がイケイケノリノリであるから、上市だけが潤っていた訳ではないが、新築一戸建てと引き換えに住民は古き良き静かな郷里を失った。

多くの者が高速道路の敷設で移住を余儀なくされたが、奇跡的に予定線から外れた三戸と奥の一戸だけが上市の面影を今に伝えている。次の世代が上市に留まる保証はどこにもなく、いつ何時廃村になってもおかしくない状況にある。それはどの限界集落も似たり寄ったりで、例外という訳ではない。

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それはまさに今そこに差し迫った現実であり、数年後に無人化していても全く驚けない状況は、近い将来人口が1億を割り込む日本の縮図と言っても過言ではない。そこに緊急来見した僕は、どうやら最終便に間に合ったようだ。

昔はこの通りをバスが走っとったよ。ここから峠を越えて行くんじゃ。ボンネットの小さいバスでな、昭和25年頃はまだ走っていたな。あの頃は木炭だったな。

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