教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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川面峠(3)

★★★

川面峠(こうもとう)の取扱説明書

川面峠、全く聞き慣れない峠だ。そりゃそうだ、我らがバイブルツーリングマップルに一度も掲載された例がなく、市販の地図の多くが未掲載であるから、般ピーは基本的にその存在を知る術がないのだから。僕も御多聞に漏れずつい最近までその存在には気付かずにいた。正確を期せば読者からの情報により既知ではあったが、今にしてみればそれは迷宮の入口に過ぎない。舞台となるのは広島県と鳥取県に接する新見市で、歴史道では未着手の空白エリアである。何故今日の今日まで手を付けなかったのか?それは新見最大の謎である九の坂が絡んでいるからだ。当時の僕では手に負えなかったし、強引に着手すれば食い散らかして終わったであろう。しかし今は違う。江戸道以上明治道未満の暫定車道の発掘に尽力し、数多の実績を積み重ね機は熟した。これより川面峠&九の坂の二部構成で新見市街最大の障壁に挑むが、広島・鳥取・島根の各県が絡む壮大な物語が、岡山県の殻を破る突破口となる事を付け加えておかねばなるまい。

 

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◆後々重要な交点である事に気付く五差路を左折

二車線の快走路にぶつかる交点は、線形が一時代前とは大きく異なる。本来であれば本線は人家の壁伝いに左45度の角度で折れ曲がっていたはずだが、旧道筋を歩道に転用する事で二車線路に対し垂直に進入するよう改められ、現在は完全なる十字路を形成する。

この交点で県道8号線は左折し二車線の快走路となるが、この交差点で見逃せないものがある。それが消防車庫を挟んで右に延びる道だ。一見するとそれは単なる支線のように映るが、その線形から一時代前はこの交点に斜めに進入していたであろう県道と直線的に繋がっていたものと思われる。

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◆五差路を左折すると県道の頭上を鉄路がオーバーパス

駅前から線路沿いを伝ってきた道が左斜めに折れ曲がり、その交点を真っ直ぐに突き進む道がある。左の路が一時代前の本線であるならば、右の路は更に古い道、即ち旧旧道の可能性が無きにしも非ずで、かつては二又になっていたであろう片割れの路を見過ごす訳にはいかない。

ここはとりあえず交点を左に舵を切り本筋を辿る。ここまで付かず離れずで並走した鉄道と道路は、互いに干渉しない関係に終止符を打つ。X状に交わる交差部を見ると一発で理解出来るが、盛土と高架橋によって築かれた鉄道が後発で、道路がそれ以前から存在していたとみて間違いない。

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◆鉄橋の側面に刷られた謎多き第四東城街道の文字

高梁川を伝って鉄道が延伸したのは大正後期から昭和初期であるから、これより挑む山道は当然それ以前から供用されていたもので、そのルートは直近でも大正年間に端を発しているはずで、常識的には明治の馬車道が起源ではないかと推察されるが、鉄橋の脇には何やら意味深な文字が並ぶ。

第四東城街道、JR伯備線の鉄橋の側面にはそう刷られている。第四東城跨線橋とか単に東城街道とかならまだ分かるが、第四東城街道って何?四つある街道のうちの一つがこれより辿る山道ってか?確かにそれは一理ある。僕は手前の交点で既に怪しい支線を捉えている。

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◆鉄道の交点より幅員は2車線から1.5車線に狭まる

仮に当山道が明治道で消防車庫の右側を行く路が江戸道であった場合、それだけでもう2カウントであるし、それに九の坂の車道と車道開削以前の江戸道を加えれば、街道と名の付きそうな道4本の出来上がりだ。また九の坂を含めずに次のような考え方も成り立つ。

ひとつがこれより挑む山道、もうひとつが二又を右の路、そして残りの二路線がトンネル経由の現国道筋と中国自動車道である。これで計四路線となり、そのいずれもが広島県の東城へ向かう道という点で一致する。これはあくまで現時点での仮説に過ぎず、思いっきり間違った解釈かも知れない。

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◆馬車道を彷彿とさせる曲率半径30mのヘアピンカーブ

しかし当山道が明治年間に開削された馬車道を基礎とし、それ以前の峠道が全くの別ルートを辿っていた場合、新見と東城を結ぶ道は江戸道・明治道・昭和道・高速道路の四路線が存在するのは紛れもない事実で、第四東城街道と関係無く親子四代に亘る路の遍歴があるのは疑う余地がない。

当山道が江戸道をほぼ完全に踏襲しているなら親子三路線、或いは高速道路も対象外とし親子二路線と大幅なボリュームダウンは否めない。だが僕はあっさりとそれはないとの確信に至る。鉄橋を潜った先に待つ小集落で、馬車道特有の線形に出くわしたからだ。

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◆山道の途中には少なからず待避所が認められる

曲率半径は30m前後と広いが、一軒の人家を取り囲むようにして180度ぐるりと反転する線形は、ズバリ馬車道のそれだ。残念ながら江戸道はそのような無駄な動きはしない。奴なら幾重にも連なる棚田のどこかを突っ切って、真っ直ぐに駆け上がってくるはず。従って当山道は江戸道に重ならない。

少なくともまだ最終人家に達していない市街地が拝める区間は、車両が往来出来るよう後付けで新設された区間で、カーテン状の山襞を丁寧に縫い繋ぐ線形は、車両での峠越えが解禁されて以後に敷設されたものだ。それを後押しする遺構が早くも僕の目の前に現れる。

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◆高さ1.5m程の石垣が道路脇の斜面を擁護している

法面の石垣がそれだ。全体的に苔生しているのと雑草に覆われているのとでやや不鮮明ではあるが、二度の反転を終えた後の直線区間にはびっしりと石垣が築かれ、それは今も粛々と壁面を擁護している。

ヘアピンカーブと石垣の二点で歴史道としての資格は十分だが、それを補って余りあるものがある。当山道はトンネル開通以前の道、即ち国道182号線の旧道、所謂旧国道であるという事実を抜きに当山道は語れない。

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