教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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多和山峠(14)

★★★

多和山峠(たわやまとうげ)の取扱説明書

瀬戸内と日本海を結ぶ地味な国道313号線の道中で、最難所と言えば犬挟峠で異論はないと思われるが、それと双璧を成すとされる難所がある。それが真庭市と有漢町の市町界を隔てる多和山峠だ。僕は最近まで気付かなかった、峠名の多和が乢とイコールである事に。平仮名表記にして初めてそれを意識する事になるが、それが単なる思い込みでない事実を後に知る事となる。多和山峠は古くは峠山峠と表記され、上から読んでも山本山、下から読んでも山本山のキャッチフレーズ同様、上から読んでも下から読んでも峠山峠である事が調査過程で判明する。この衝撃の事実はロイター通信を介しアメリカ全土に発信され、全米を震撼させた。今でこそ誰もが発狂せずに済むように多和の文字が宛がわれているが、古来多和山峠は峠山峠が正式名称であり、漢字では誤魔化せても平仮名では誤魔化せない。たわやまとうげは読んで字の如し峠&山&峠と山深さを前面に押し出しており、多和山峠表記ではけして読み解けない難所である事を、昔の人は身を以て知っていたのだ。果たして峠を連呼する程の難所とはどのようなものなのか?その実態を白日の下に晒そう。

 

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◆山襞を丁寧に縫う旧道に対しショートカットする現国道

現存する昭和初期製の國司橋

数十年後の未来人からすれば、間違いないなく近代土木遺産と目されるであろう國司橋は、今この瞬間の僕の目にも頗る魅力的に映る。竣工から80年近く経った今、それは当時の日本の内情を反映した貴重なオブジェだ。

欧米列強に比肩する強国を目指し軍国主義を貫いた結果、我が国は世界でも一目置かれる帝国へと伸し上がる。当時は強い日本を内外へアピールする必要があり、国民を統率&高揚させる意味でも、頑丈な構造物は格好の素材であった。

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◆コンクリ製の橋梁で深淵を一跨ぎする旧国道

デザイン性に優れた鋼鉄製の橋梁や、重厚感溢れるコンクリ製の橋梁群は、欧米列強に追い付き追い越せを合言葉に軍拡を目論む軍部には好都合の代物で、国民には二度と流されない永久橋と聞こえの良い謳い文句を武器に架橋を奨励し、真の狙いは戦車の通行に耐え得る仕様にあった。

屈強な橋梁の最大の受益者は地域住民に他ならないが、それは平時に限った事であり、真の受益者が何者であるのかは、有事の際に明らかとなる。僕は戦前に構築された主要路のコンクリ橋で、橋幅の狭い橋梁に出会った例がない。これは道活を本格的に開始してからの気付きだ。

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◆橋より先は幅員4mとまずまずの広さを維持する

前後の幅員は3m前後であるのに、橋上だけは普通車同士での擦れ違いが叶う。この不可解な点を説明するのに戦車ほど的を射るものはない。昭和10年前後から終戦までの十余年間に築造されたコンクリ橋は、軍用車に照準を合わせた規格である事を疑う余地はない。

戦闘機の離発着まで視野に入れたアウトバーンと比較すると可愛いものだが、このような山間部にも戦争絡みの遺構が散在している点に、すっかり平和ボケした我が国にも戦争に明け暮れた時代があった事実を、実感せずにはいられない。一民間人として戦車は距離感があるが、もっと身近なものがある。

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◆盛土で谷間を埋め成立させた新道と再び交わる

それが木炭車だ。紅葉橋と國司橋が架橋された頃は、まだ国民の間に危機感は無く、兵隊さんが中国へ出兵し、大陸でドンパチやっている対岸の火事的な希薄さがあった。尖閣付近が緊張状態にある中で、般ピーは俺のフレンチで舌鼓を打っている構図に似ている。

まさか数年後に空から爆弾が降ってくるなどとは誰一人想像出来なかったであろうが、世の中の行き詰まり感はあらゆる場面でじわりじわりと浸透していく。鍋やヤカンが徴収される末期的症状を迎える遥か以前に、自動車業界では木炭車への切り替えが奨励された。

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◆新道を斜めに横切り人家の裏手へと潜り込む旧国道

強制ではなく奨励という点がミソで、木炭車への変更はオーナーの意思に委ねられているから、まだ救いがある。それが強制的に改造せざるを得なくなった時、人々は初めてこりゃやべぇなと気付く。現代であれば電気と木炭のハイブリット車が市場に出回ったら要注意だ。

間伐材を有効活用しよう!を合言葉に政府が木炭ハイブリット車を奨励し、車体本体価格の半分を補助金で賄うとの陽動作戦に打って出たら、数年後には国家存亡の危機に陥っていると思って間違いない。数十年後の未来に木炭プリウスは走る死神と呼ばれるだろう。

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◆新旧道の交点に設置された停留所名はズバリ国司橋

今から70余年前、人が楽をする為に登場した鉄の塊を、人が押して動かすという嘘みたいな本当の話が現実に起こった。始めは奨励という形を取ったが、国家総動員法の名の下に次第に強制力を強め、最後は民間人によるガソリン車の運用が法で罰せられるという常軌を逸した異常事態へと陥った。

今でも日に四本のバスが多和山峠を越しているが、当時もこの界隈をバスは走っていた。落合と高梁を結ぶ路線バスがそれだ。姫新線と伯備線、この二つの異なる鉄道の主要駅を結ぶ路線バスは、その昔からそこそこ需要があったのだと地元民は語る。過去に遡れば遡るほどその需要度は増す。

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◆旧道の一部が払い下げられ私有地となっている区間

マイカーなど想像もし得なかったその当時、バスは鉄道の通じない当界隈にとって重要な交通機関であった。駅を起点とする盲腸線という性格ではなく、多和山峠越えの路線バスは鉄道の代役を果たす生命線であった。

地域住民にとって無くなると死活問題となる路線バスは、地勢的な問題から廃止や休止こそ免れるが、御多聞に漏れず木炭車への改造は絶対条件となった。かくて人々は耕運機にも負ける低スピードでの移動を余儀なくされる。

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