教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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多和山峠(11)

★★★

多和山峠(たわやまとうげ)の取扱説明書

瀬戸内と日本海を結ぶ地味な国道313号線の道中で、最難所と言えば犬挟峠で異論はないと思われるが、それと双璧を成すとされる難所がある。それが真庭市と有漢町の市町界を隔てる多和山峠だ。僕は最近まで気付かなかった、峠名の多和が乢とイコールである事に。平仮名表記にして初めてそれを意識する事になるが、それが単なる思い込みでない事実を後に知る事となる。多和山峠は古くは峠山峠と表記され、上から読んでも山本山、下から読んでも山本山のキャッチフレーズ同様、上から読んでも下から読んでも峠山峠である事が調査過程で判明する。この衝撃の事実はロイター通信を介しアメリカ全土に発信され、全米を震撼させた。今でこそ誰もが発狂せずに済むように多和の文字が宛がわれているが、古来多和山峠は峠山峠が正式名称であり、漢字では誤魔化せても平仮名では誤魔化せない。たわやまとうげは読んで字の如し峠&山&峠と山深さを前面に押し出しており、多和山峠表記ではけして読み解けない難所である事を、昔の人は身を以て知っていたのだ。果たして峠を連呼する程の難所とはどのようなものなのか?その実態を白日の下に晒そう。

 

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◆切り通しから700m前後で現国道筋が見えてくる

広域農道のような二車線の快走路を滑り降りてくると、程なくして適度な交通量のある幹線道路を視界前方に捉える。勿論それが昭和61年以降本線を名乗る多和山新道である事は言うまでもない。二車線の町道は二車線の国道へと雪崩れ込む。これが多和山峠が事実上の片峠である最大の理由だ。

切り通しを抜けた直後の有漢町側には、旧道沿いに数軒の人家が連なるが、擦れ違いに難儀する狭隘区間は僅か200m前後に過ぎず、それ以外は全て二車線の恩恵に授かれるのだ。旧国道を拡張して運用する町道区間は500m前後で、そこから高梁・真庭のどちらにも快走路が通じている。

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◆T字路の交差点に改変された新旧国道の分岐点

T字路に改められた新旧国道の交点を右に舵を切れば、ハンドルを切り終えた途端に黒い穴が視界に飛び込んでくるほどトンネルが直近にあるから、頂上付近に暮らす人々は苦も無く真庭側へ赴く事が出来る。一度この楽チンさを味わうと、もう後には戻れない。

何でわざわざ果てしなく続く狭隘路を行かねばならぬのかと、馬鹿馬鹿しいとさえ思うに違いない。急いでいる時は尚更で、よくもまあ見通しの利かない狭い山道を、雨の日も風の日もほぼ毎日のように上り下りしていたものと感心してしまうだろう。それくらい真庭側の道程は厳しいものがある。

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◆振り向けば青看の右折した際の行き先が消されている

人々の脳裏から忘れ去られた今だからこそ、山道のほぼ全てを一人占め出来るが、唯一無二のライフラインであったその昔は、前から後ろから引っ切り無しに車両がやって来る訳で、そうなると現場には余裕というものが全く無い。撮影の為に一時停止しようものなら、それはもう厄介な障害物でしかない。

多和山峠が国道に昇格したのは昭和45年であるが、それ以前も山道は主要県道というポストにあり、いつ国道に昇格してもおかしくない立場にあった。しかしながらその実態は普通車同士の擦れ違いもままならない狭隘山道で、事実僕の手元にある市販の地図はその恐るべき実態を白日の下に晒している。

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◆広告塔の背後に直線化が図られる以前の路が現存

昭和47年版のミリオンデラックスでは、多和山峠に313の数字が認められるものの、峠の区間のみ線の色が薄茶色で塗られている。峠以外のほぼ全ての区間がしっかりとした茶色に染まっているのに対し、市町界を跨ぐ前後とその付近だけが異様に霞んでみえる。

それが後回しとなった未改良区である事を疑う余地はない。昭和47年現在の多和山峠は未舗装路也。これが実走調査に基づく市販の地図会社が提示した多和山峠の現実である。国道昇格から2年経っても尚峠道は旧態依然とした状態を保ったまま供用されていたのだ。

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◆錆び錆びの警戒標識がかつての本線と主張する

それはある意味仕方のない事である。舗装化は市街地が優先されるのが常で、上の階級から順に予算を割り当てられる事を踏まえれば、ややもすると三桁国道は主要県道よりも後手に回る可能性がある。事実その当時の落合と福渡を結ぶ旭川沿いの県道の98%の舗装化が完了している。

対する同時期の国道313号線は、多和山峠区以外にも複数の場所で未舗装区間を拾い上げる事が出来る。昭和40年代後半になっても尚多和山峠は狭い上に、砂利道という過酷な状況に置かれていた。現国道筋に合流した後もその当時の爪痕が随所に垣間見られる。

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◆単なる町道にしか見えない罅割れたアスファルト

亀の甲羅の如し無数の亀裂が入ったアスファルト、それが一時代前のメインルートであると村人は語る。パッと見は単なる町道のようにも映るが、そいつは紛れもない旧国道であると古老軍団は訴える。確かに現場には今にも折れそうな錆び錆びの標識が踏ん張っている姿が認められる。

それにしても軽自動車同士でも擦れ違いには難儀するであろう厳しい路が続くが、果たして本当にこれ一本で賄っていたのだろうか?大型車と単車の擦れ違いも慎重を期さねばならぬほどの危うさを孕んでいるが、この状態で相互通行が成立したのだろうか?首を傾げる僕に対し一人の古老が答えてくれた。

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◆旧道の残骸の法面には重厚な石垣が認められる

ここ、バスも通ってたんよ

マジかっ!?今でも新道を路線バスが走っているので、旧道経由の路線バスが存在したのではないかという疑念がない訳ではなかった。しかし人家の一軒も見当たらない真庭側の現況と、道中の厳しい線形とか相俟って、最早それは無いものとして片付けようとしていた。しかし沿線住民は僕がスルーしようとしていた事象に待ったをかけた。それも複数人による証言によって、僕の知らない峠越えの路線バスの実態が詳らかとなるのだ。

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