教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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多和山峠(9)

★★★

多和山峠(たわやまとうげ)の取扱説明書

瀬戸内と日本海を結ぶ地味な国道313号線の道中で、最難所と言えば犬挟峠で異論はないと思われるが、それと双璧を成すとされる難所がある。それが真庭市と有漢町の市町界を隔てる多和山峠だ。僕は最近まで気付かなかった、峠名の多和が乢とイコールである事に。平仮名表記にして初めてそれを意識する事になるが、それが単なる思い込みでない事実を後に知る事となる。多和山峠は古くは峠山峠と表記され、上から読んでも山本山、下から読んでも山本山のキャッチフレーズ同様、上から読んでも下から読んでも峠山峠である事が調査過程で判明する。この衝撃の事実はロイター通信を介しアメリカ全土に発信され、全米を震撼させた。今でこそ誰もが発狂せずに済むように多和の文字が宛がわれているが、古来多和山峠は峠山峠が正式名称であり、漢字では誤魔化せても平仮名では誤魔化せない。たわやまとうげは読んで字の如し峠&山&峠と山深さを前面に押し出しており、多和山峠表記ではけして読み解けない難所である事を、昔の人は身を以て知っていたのだ。果たして峠を連呼する程の難所とはどのようなものなのか?その実態を白日の下に晒そう。

 

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◆多和山峠の切り通しは左右の壁面が非対称

御覧の通り切り通しは、進行方向左手が岩盤剥き出しの垂直な壁面で、右手は斜め45度の角度で切れ込んでいる。切り通しの左右で壁面の様子が大きく異なるが、それは手が加えられた際の時間差によるもので、左の垂直壁は後年の拡張によって出現したものと思われる。

切り通しの右側のみに石垣が認められるのはその所為だ。トンネルを含む新道が開通したのは、元号が平成に代わる僅か3年程前である。それまで明治道で凌いでいたと考える方が不自然で、道中のあちらこちらで拡張が成されているのと同様に、サミットも当然の如し拡幅が試みられた。

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◆切り通しを抜けた直後の左手頭上に人工物を捉える

切り通しは土砂やら落ち葉やらが堆積し、パッと見の道幅が一車線のように映るが、実際の幅員は4mと広く、こう見えても多和山峠の鞍部は普通車同士の相互通行を許す仕様にある。大型車が来たら一溜まりもないが、往年は一般車両であればスムーズな通行が約束されていた。

但し道幅は広いと言っても高が4mに過ぎず、もうすぐ平成を迎えるという時代に、大型車の通行に対応出来ていないのは頂けない。通勤通学でほぼ毎日のように峠を越す者にとっては不都合この上なく、あと1m広ければ普通車と大型車が擦れ違えたのにという思いはどこにあったのではなかろうか。

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◆切り通しを抜けると視界が大きく開け田畑が広がる

現代の最終ミッションは大型車同士の相互通行であるが、昭和の晩年であれば大型車同士は夢のまた夢でも、普通車と大型車が擦れ違えれば御の字で、今でもそのような中途半端な路は五万と存在する。ただ国道という肩書を背負っているが故に、この狭さには納得し難いものがあったに違いない。

特に切り通しを抜け出た直後が一回り狭くなり、両側にU字溝が走る脱輪の脅威に晒される区間は、実幅は掘割とほとんど変わらないにしても、ドライバーに与える心理的不安は切り通しの比ではない。普通車でもハイエースのような大柄の車両が対向から来たら、行っていいものか迷いが生じる。

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◆どう見ても茶屋跡としか思えない赤い屋根の古民家

切り通しのどこか一箇所でも待避所が設けられていると印象はかなり違ってくるが、悲しいかな4m幅の直線道路は300mを優に超え、しかも御地蔵様を境に前後が緩い坂となっている為、対向車の姿が確認し難いという悪条件を備えている。この不条理に泣かされたドライバーはかなりの数に上るだろう。

いくら通行車両の絶対数が今とは違うと言っても、昭和60年代に入っても尚現役であった訳だから、この仕様ではお先真っ暗と見限られても仕方がない。現状以上の拡幅が試みられなかったのは、かなり早い段階で新道の計画が取り沙汰されていたからであろう。

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◆高梁側の第一人家は大地主と思わしき大邸宅

もうすぐ役目を終える道への投資は無駄という意見は至極尤もである。あと少しで快適な道が出来るので、皆さんもう少し我慢して丁髷という管理側の言い分も分からなくもない。しかし大型車一台が通過するだけで、円滑な流れがたちまち滞る仕様というのは、国道としては看過出来ない致命傷である。

これが酷道と揶揄される林道と大差ない名ばかりの国道であるなら話は別だが、国道313号線は落合と高梁を結ぶ古くからの主要幹線道路である。その片鱗は登り途中にみた大型車同士の相互通行を許す6m幅の路にもよく現れている。この峠道に課せられた責務は想像以上に大きい。

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◆切り通しを抜けると三差路に差し掛かる

前後に目を向ければ北は湯原・倉吉と日本海に達し、南は井原・福山と瀬戸内海に至る。国道313号線の経路を正確になぞるかどうかは別にして、山陰と山陽を結ぶ陰陽連絡路としての重要なポストに就き、その一端を担っている以上下手な運用は許されない。

国道に指定されたのは昭和45年で、今から遡る事40年以上も前に、多和山峠は南北縦貫線の一員として組み込まれ、国道指定と同時期に舗装化並びに部分的な拡幅工事が行われた。以来少しずつ改良の手が重ねられるが、抜本的な改修が成されぬまま峠道は現役を退いた。

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◆三差路に佇む青看にはおにぎりが健在

その当時の峠道を恒常的に行き来していた者にとっては大変な御苦労であったが、かなりの部分で石垣が現存するとか、馬車道宛らの狭隘区が認められるとか、旧橋を生かさず殺さずで残しておくとか、同じ大変でも我々にとっては大変有難い。

峠道の道中ではかなり古い警戒標識等が現存するが、おにぎりだけはきっちりと撤去されている。そのような中で峠に掲げられる青看は貴重だ。何故ならそこには今も山道が国道であるかの如しナンバー313のおにぎりが認められるからだ。

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