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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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多和山峠(4) ★★★ |
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多和山峠(たわやまとうげ)の取扱説明書 瀬戸内と日本海を結ぶ地味な国道313号線の道中で、最難所と言えば犬挟峠で異論はないと思われるが、それと双璧を成すとされる難所がある。それが真庭市と有漢町の市町界を隔てる多和山峠だ。僕は最近まで気付かなかった、峠名の多和が乢とイコールである事に。平仮名表記にして初めてそれを意識する事になるが、それが単なる思い込みでない事実を後に知る事となる。多和山峠は古くは峠山峠と表記され、上から読んでも山本山、下から読んでも山本山のキャッチフレーズ同様、上から読んでも下から読んでも峠山峠である事が調査過程で判明する。この衝撃の事実はロイター通信を介しアメリカ全土に発信され、全米を震撼させた。今でこそ誰もが発狂せずに済むように多和の文字が宛がわれているが、古来多和山峠は峠山峠が正式名称であり、漢字では誤魔化せても平仮名では誤魔化せない。たわやまとうげは読んで字の如し峠&山&峠と山深さを前面に押し出しており、多和山峠表記ではけして読み解けない難所である事を、昔の人は身を以て知っていたのだ。果たして峠を連呼する程の難所とはどのようなものなのか?その実態を白日の下に晒そう。 |
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◆タイヤの直径どころではない巨石群が配された石垣 擁壁に宛がわれる石の大きさはまちまちで、中にはタイヤの直径どころではない巨石まで認められる。もうこうなると他所から運んできたとは考え難く、土中に埋まっている数多の石を有効活用したとしか思えない。その証拠に丸みを帯びた石が一切含まれていない点が挙げられる。 石垣に用いる石が川底から引き上げたものならば、角が立っていないのが普通で、全体的に丸みを帯びているはず。そのような玉石を積み上げた野積みの擁壁を田舎では頻繁に見掛けるが、村人総出で河原の石を手渡しで運搬して築き上げる石垣とは訳が違う。 |
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◆巨石を嵌め込んだ石垣はカーブの直前まで続く 現場にあるのは大人数人掛りでも微動だにしなさそうな巨石で、現代なら間違いなくクレーンで持ち上げねばならない岩石である。石舞台古墳の巨石と比較すれば可愛いものだが、石垣というカテゴリでは完全に常識を逸脱した大きさで、オーパーツ的な不可思議さを秘めている。 この超巨大な石を身に纏った壁が、新道に切り替わる直前に構築されたもので、重機を用いて積み上げられたというのならば納得もいく。しかし加工・運搬・積上げと全て人力で行ったとしたら、土木構造物としては希少性の高い重要な遺構だ。これを人海戦術で構築したとしたら恐れ入る。 |
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◆馬車道を彷彿とさせる曲率半径20mのヘアピンカーブ ただ現場には植物が根付けない切り立った岩壁が認められる事から、道路の開削時に出土した石や障害となる岩塊を砕いたものを、石垣に利用したと考えれば腑に落ちる。道路工事で発生する数多の石を捨てるより、利用可能であるならば何かに用いた方が良いに決まっている。 斜面を削る際に発生する大量の石を、後方の石工がその場で加工し組上げる。開削部隊と後方支援部隊が前後して現場が移動する事で、道路を仕上げながら頂上を目指したとすれば、近年稀にみる巨石の石垣が悠然と構えているのも、至極真っ当な気がしないでもない。 |
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◆橋の下を覗き込むと古風な欄干の一部を捉える 道路遺構では珍しい超巨大な岩石が宛がわれる石垣は、ある地点を境に唐突に途切れる。旧道が何かを思い出したかのように突如明後日の方向へと舵を切り、川伝いに遡上する路を擁護する必要がなくなったのだ。そこは曲率半径20mのヘアピンカーブ付近で、完璧なUの字を描いている。 並走する小川を一跨ぎするのに橋が渡されているが、路の両脇が欄干ではなくガードレールに擁護されている為、大方の通行者はそこを橋梁とは意識しない。しかしその側面を見る限り、単なる短橋梁で片付けるのは勿体無いくらいの道路遺構が息を潜めている。見てくれ、この古風な欄干を。 |
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◆奇跡的に難を逃れた親柱には紅葉橋の文字が躍る コンクリ製であるが形状が昭和臭全開で、それも昭和30年代の量産型とは一線を画す。断言は出来ないがパッと見は戦前のものと思われ、下手こくと昭和一桁というのも有り得る貴重な道路遺構だ。しかも奇跡的に親柱の一部が改修の手を逃れ、自身が何者であるのかを主張する。 紅葉橋、一文字目の右側半分が現道に干渉している為、アスファルトに埋没し判読不能となっているが、残された糸偏と葉橋の組み合わせで最も適当と思われるのが紅葉橋である。この情報を得るには路肩から身を乗り出して足元を覗き込まねばならない。従って般ピーは全く気付かない。 |
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◆ヘアピンの前後は拡張され四輪同士の離合を許す ヘアピンカーブに架かる短橋梁の下層には、昭和初期製と思わしき先代が埋没している。欄干の上辺まで土砂で埋め尽くされた先代は、橋の下で声無き声を発しているが、通行者のほとんどはその訴えに応える事が出来ない。橋の雰囲気が完全に掻き消されている為、現場を橋として認識出来ないのだ。 多和山峠の北房側にはきついヘアピンがある。その事は現役時を知るドライバーなら誰もが知っている。しかしヘアピンカーブが橋梁である事を意識する者は限られ、現在の橋が旧橋の犠牲の上に成り立っている事実を認識しているのは、ほんの一握りの人間のみである。 |
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◆反転した旧道は垂直壁に沿って緩やかに駆け上がる しかも先代が現役の頃となると、極一部の限られた者のみが知り得るトップシークレットである。上書きされた現在の橋が二代目であるならば、つまり先代=初代の橋であるならば、この峠道は昭和に拓かれた事になる。 また先代のコンクリ橋が二代目で、その前が木橋或いは石橋であったとすれば、当山道は明治または大正に開削された道と捉える事が出来る。僕はヘアピンを目の当たりにした瞬間に、直感的にこう思った。これは馬車道であると。 多和山峠5へ進む 多和山峠3へ戻る |