教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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四ッ乢(4)

★★

四ッ乢(よつだわ)の取扱説明書

これまでも歴代の地形図や古文書等に記載されない峠を発掘してきたが、またひとつここに新たな未知なる峠がコレクションに加わろうとしている。その峠道はかつて国道を名乗った時期がある伝説のルートで、道路史的価値はその他大勢の雑魚道とは一線を画す。表向きは単なる県道を装っているが、その実態は国道時代と歩道以上車道未満の二つの顔を持つ、一粒で二度美味しい希少物件で、一般的な名無しの峠となっている現場を住民は四ッ乢と呼ぶ。その道程は取るに足らない些細なものではあるが、一度は国道を名乗った以上、道路史的には絶対に外せない。十日乢と共に連続踏破する事で、かつて國道十九號を名乗った路線の全てを白日の下に晒す。

 

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◆バラスが撒かれていない純粋な土道が街道筋の証

軽自動車の通行を許すものの、歩行者との擦れ違いは叶わない。物理的には四輪の通行は可能だが、不特定多数の歩行者や車両が行き交う公道としてみた場合、実用的とは言い難い。しかし車が通れるのか通れないのかの極論を述べれば車種によっては通行可。これが当山道の実態である。

植物の寝床が路肩ギリギリまで迫っている点や、頭上から塞ぎ込む木々の枝葉が障害となり、実用性という点では限りなく希薄であるが、定期的にメンテナンスされているのか現況は頗る良好で、手の行き届いた山道はいつ何時正面から人力車が現れても不思議でない状態にある。

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◆いつ向こう側から人力車が現れても不思議でない土道

見てくれ、十日乢の峠道を一回り狭くした山道の姿を。恐らくこれが明治40年まで使われた山道本来の姿なのであろう。旅人がちょいと避ければ、人力車がすっと通り抜けられる。車道の出来損ないという見方もあろうが、四輪が通れそうで通れないまさにその微妙な路こそが、力車道の証左である。

現役を退いてからも独立した路線として成立し得た十日乢は、峠道の大方が後年現代仕様に改められてしまったが、桑下の北側に現存する旧道は、車道であって車道でないような曖昧な状態をキープし、明治年間の本通りの様子を今に伝えている。そこだけは四輪一台分の空間がきっちりと確保されている。

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◆山道の表面は枯葉に満たされているが雑草は皆無

数年も放っておけば通り抜けが困難な笹藪と化していたはずで、それが平成26年現在も車両の通行を許すのだから、それ相応の手入れが成されてきた証しだ。画的には勢い余って藪を刈り払い過ぎた状況に酷似するが、現場は第三者の手によって意図的に必要最低限の整備が成されている。

ほんの僅かでも激藪に閉ざされているのが理想だが、現役林道のような行き過ぎた整備状況ではないので、これはこれでなかなか味わい深いものがあるという事で良しとしよう。現県道筋と干渉する事無く当山道が峠まで続くのを願うも、この状況はそう長くは続かない。

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◆取付道によって県道側からなら四輪での進入が可能

設置されて間もない取付道によって、山道は現道へと引き寄せられる。新旧道を結び付ける路は、常識的な勾配且つ砂利が撒かれ、曲りなりにも車両通行を意識して敷設されている。ここを軽トラが通り抜けるとは到底思えないが、現道と切り離されると何等かの不都合が生じるのかも知れない。

新旧道の間には特にゲート等が設けられている訳でもなく、その気になれば誰もが進入可となっている。しかし現実問題として第三者が当山道に入るきっかけが無い。本当に何でもないような場所に平然と接点がある為、旧道の存在に気付くのは至難の業である。

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◆案内板のひとつも無く誰も気付かない新旧県道の交点

県道159号線をかれこれ何十回と往来しているこの僕が、悉くスルーしているくらいであるから、樹林地帯へと分け入る砂利道は見えているようで見えていない。大方のドライバーは僕以上に暇ではないから、99.9%は新旧道の交点を意識出来ないし、山道が県道の祖と疑うなど般ピーだと100%不可能だ。

この新旧道交点が登場したのが明治40年で、その当時は行き交う者の誰もがはっきりと新旧道の交点を意識出来る状態にあった。何故なら二つの道がナチュラルにぶつかっていたからだ。現在のように現県道筋が空間を支配しているのではなく、一時代前は極自然な形で旧道が枝分かれしていた。

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◆大きく削られた斜面が大胆な線形の変更を物語る

現場の左右には法面が目立つ。今でこそ県道は見通しの良い直線路と化しているが、一時代前は大蛇が這うが如しクネクネと蛇行していた。その軸を串刺しする形で切り拓いたのが現在の路で、県道の両側には旧道の残骸が散見される。歩道を含む実質三車線の快走路が成立したのは、僅か数年前である。

それまでは1.5車線と2車線が断続的に続く、所謂地方の三桁県道のひとつに過ぎなかった。改修前は今以上に新旧道の交点がはっきりとしていたであろうし、未舗装時代は辛うじて幅が広い方が本線というくらいに、両者の間には決定的な差が生じていなかった可能性が大である。

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◆見渡す限りの直線もかつては緩やかに蛇行していた

その新旧道交点より先の歴代の路は、アスファルトの下敷きとなって久しい。幅員2mに満たない暫定車道、幅員3mの馬車道、1.5車線の舗装路と代を重ねる毎に進化したであろう路の全てが、快走路によって上書きされている。

もうそこに一時代前の面影は無い。旧来の路は完膚無きまでに破壊し尽くされた。しかし道路工事は往時を偲ばせる道路遺構までをも奪い去る事は出来なかった。道路状況は一変している。しかし古道の痕跡が随所に垣間見られるのである。

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