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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>四ッ乢 |
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四ッ乢(3) ★★ |
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四ッ乢(よつだわ)の取扱説明書 これまでも歴代の地形図や古文書等に記載されない峠を発掘してきたが、またひとつここに新たな未知なる峠がコレクションに加わろうとしている。その峠道はかつて国道を名乗った時期がある伝説のルートで、道路史的価値はその他大勢の雑魚道とは一線を画す。表向きは単なる県道を装っているが、その実態は国道時代と歩道以上車道未満の二つの顔を持つ、一粒で二度美味しい希少物件で、一般的な名無しの峠となっている現場を住民は四ッ乢と呼ぶ。その道程は取るに足らない些細なものではあるが、一度は国道を名乗った以上、道路史的には絶対に外せない。十日乢と共に連続踏破する事で、かつて國道十九號を名乗った路線の全てを白日の下に晒す。 |
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◆笹藪の隙間に古風な石垣の残骸を捉える 大邸宅前の道標の行き先が左方向しか提示されていないのは、右の路が利用する目的が失われて久しい事を意味する。ここに道標が設置された時点で、旧来の街道筋に代わる新たな道が主役を担い、この小径を辿る者は恐らく皆無であったに違いない。その山道は邸宅の庭を廻り込むようにして北進する。 庭と道路の段差には石垣が配されているが、そいつは近年になって設置されたもののようで、まだ完全には馴染んでいない。道を挟んだ向かいの笹藪にはヘルメット大の巨石が無数に散らかっており、それらが大邸宅と街道を隔てる先代の石垣であろう事はほぼ間違いない。 |
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◆道床側面にコンクリ製の擁壁が宛がわれる山道 人家の庭と道路とを隔てる石垣が、街道筋の付帯設備と言えるかどうかは微妙なところだが、道路に庭土が零れ落ちないように設置されたものであるから、古風な石垣が街道筋と無縁という訳ではない。現に桑下の中心付近では、街道の道床側面にある石垣を確認している。 町史によると江戸時代から引き継いだ路は、明治40年の新道成立時まで使われたとされている。江戸道に手を加えながら騙し騙し供用していたのだ。その過程で路の拡幅や補強等が成されても何等不思議でなく、明治になって解禁された車両通行に対応する為には、何等かの梃入れが必至である。 |
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◆道の有効幅が邸宅の脇より気持ち増している 木の根っ子が横断しているだけで、車両にとっては大きな障害となる。それがそこかしこにあっては、運輸上不都合この上ない。ましてやゴムタイヤなど履かない時代であるから、その衝撃は直に貨客を襲う。街道と登山道はなかなか見分けが付かないが、両者は車両にとって似て非なるものである。 足元を脅かすものが一箇所でもあれば、近代道路としては成立し得ない。置き石や穴ぽこひとつあってはならないのが車道で、そういう点でこの山道は車道としての規格を満たしている。現代の車道に比し道幅はやや物足りないが、それが江戸道を引き継いだ路の象徴でもある。 |
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◆山道の道床を擁護する古風な石垣が街道筋を示唆する 但し本当に道幅が極端に狭いのかというと、実はそうでもない。左側にびっしりと生える孟宗竹が、道路側に傾いている事でやや圧迫感があるのと、竹の浸食を道路際まで許してしまっている点が大きい。竹の繁殖を真っ当な箇所で阻止していれば、至って普通の車道が露わとなるのは間違いない。 その足元を覗き込むと大多数はコンクリ製に置き換わっているが、一部に石垣が認められ果樹園との段差1m前後を擁護している。これが江戸時代の遺構か、それとも明治の遺構なのかは定かでないが、先程目にした石垣の残骸同様に、ヘルメット大の大石が宛がわれている。 |
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◆山道と果樹園の段差が縮まり境界線が有耶無耶となる その事から大邸宅の周囲を司る石垣と、道床側面の石垣は同じ時代に同じ工法で敷設されたものと考えられる。人力車や荷車の往来に合わせた補強だとすれば明治一桁、そうでないとすれば江戸時代の遺構という事になる。少なくとも明治の半ば以降に設置されたものではない。 この界隈では明治一桁の時点で人力車が現れ、まだ車道らしき路も成立していない時分に、江戸道を駆使して縦横無尽に駆け廻っていた。明治20年代に入ると馬車道が敷設され始めるが、それは人力車が登場して10年以上も経った後の出来事で、馬車道の成立以前から徒歩道以上車道未満の路が存在した。 |
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◆果樹園を抜けると幅員は軽四サイズへと膨張する 自動車の通行を許さないのは当然として、馬車の往来にも支障を来す道が、車道と呼べるのかという疑問もあろう。しかし鎖国を解禁した直後に活発な貿易が成されたように、車両による遠隔地への輸送が解禁された事で、大八車や荷車による峠越えが当たり前となり、そこに人力車の登場が拍車を掛けた。 道路の受益者はほぼ全ての民と言っていい。だとすれば村人総出の道普請を拒否る理由がない。余程の怠け者かダルダルダルビッシュでもない限り、加勢した方が賢明との判断に至る。かくして道は拓かれる。けして将来性豊かな道ではなく、今この瞬間実用に耐え得る道であればいいのだ。 |
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◆果樹園以降山道は軽トラが行き来可能な規格を有する ゼロベースで敷設する路となると、それ相応の技術を要し時間も金も掛る。しかし既に出来上がっている路を補強する程度であれば、難所を改める程度で事足りる。少なくとも村史に残るような大事業にはならない。 将来が約束された道ではないが、当山道が県道159号線の礎である事を疑う余地はなく、また最盛期は国道19号線を名乗った路の祖でもあり、この小径が単なる備前街道に止まらない暫定車道である事は、御覧の通りである。 四ッ乢4へ進む 四ッ乢2へ戻る |