教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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四ッ乢(2)

★★

四ッ乢(よつだわ)の取扱説明書

これまでも歴代の地形図や古文書等に記載されない峠を発掘してきたが、またひとつここに新たな未知なる峠がコレクションに加わろうとしている。その峠道はかつて国道を名乗った時期がある伝説のルートで、道路史的価値はその他大勢の雑魚道とは一線を画す。表向きは単なる県道を装っているが、その実態は国道時代と歩道以上車道未満の二つの顔を持つ、一粒で二度美味しい希少物件で、一般的な名無しの峠となっている現場を住民は四ッ乢と呼ぶ。その道程は取るに足らない些細なものではあるが、一度は国道を名乗った以上、道路史的には絶対に外せない。十日乢と共に連続踏破する事で、かつて國道十九號を名乗った路線の全てを白日の下に晒す。

 

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◆県道筋に人家は見当たらないが街道筋には密集する

現県道にぶつかった市道の向かい側には、ほぼ同規格の路が山裾へ向けて続いている。接続部分に若干のズレはあるが、両者が県道に分断されたかつての一本道である事を疑う余地はない。今でこそ谷のど真ん中を大胆に上り詰める県道であるが、一昔前はやや遠慮気味に坂道を行き来していたようだ。

久米方面へ直線的に上り詰める現県道筋に対し、一時代前の路は一旦北西に照準を合わせ、目の前にドーンと構える山塊の腸目掛けて突進する。その道中には古民家が密集しており、現場の雰囲気は江戸時代宛らの様相を呈す。それこそが集落の合間を縫う道路が、街道由来の古道である証左だ。

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◆街道筋はいかにもといった古民家が建ち並ぶ

現道を跨いだ先の市道は、2トン車クラスの車両の通行を許す真っ当な規格の路で、道路のみで言えば古道らしさは一切感じられない。恐らくこの界隈の住人がマイカーを必要とする頃と前後して、路の拡幅及び舗装化が成されたであろうから、改修された日を以て旧来の雰囲気は一掃されている。

しかしながら道路状況は一変したとしても、周囲の景観までが大きく変わる事はない。沿道に並ぶ人家のほぼ全てが伝統的な日本家屋で、恐らく先祖代々受け継いだ母屋本体を生かしつつ、部分的なリフォームに留めているのだろう。それらが街道時代の雰囲気を今に伝えている。

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◆舗装路は山裾の大邸宅正面で左へ舵を切る

山裾にぶち当たった所で市道は左へ弧を描き、一定の距離を隔て国道429号線と並走する形をとる。そのまま市道を辿るとなると、現県道筋からは大きく離れる事になり、また目の前の山塊では左右に割り振られ、別の谷に入り込む事になる為、街道筋は正面の大邸宅前で右に舵を切らないとおかしい。

しかし遠目からはそれらしき道が確認出来ない。一旦左へ舵を切りスイッチバック状で反転し、大邸宅の裏側を廻り込むという線形も無きにしも非ずで、通過中に番犬に吠えられまくるという嫌なシチュエーションが脳裏を過ったが、僕が懸念するほど状況は複雑ではなかった。

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◆大邸宅の直前で右に舵を切る狭い土道を発見

大邸宅の正面にはちょっとした笹藪があるのだが、その脇を擦り抜けるようにして走る小径を僕は見逃さなかった。そこだけは笹がきっちりと刈り払われており、一定の通行者がいるのかきっちりと踏み固められている。その仕様は昨日今日で完成出来るレベルのものではない。

何年何十年と多くの者によって踏み固めらてそうなったとしか思えないほどの盤石な仕様で、隙あらば勢力の拡大を狙っている笹は手も足も出ず、大邸宅の正面の一角に完全に封じ込められている。僕だったらそいつを綺麗さっぱり刈り払ってしまうが、一辺が2m前後の三角状で藪は残されている。

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◆小径は邸宅の庭に沿って県道と同じ谷間へと分け入る

意図的に残しているとしか思えない三角形の笹藪が、何を意味するのかを理解したのは、大邸宅の基礎の壁面に寄り掛かる石造物を捉えた瞬間だ。よく見ると壁面伝いに人一人分の小径が延びているのが分かる。間違いない、大邸宅の正面を右に舵を切る小径が備前街道である。

勿論単なる街道筋を辿ろうなどという気はさらさら無い。目の前にある小径は明治40年まで主役を張った路で、晩年は車両の通行を許した歴とした車道である。パッと見は人畜の通行しか許さない徒歩道に映るが、笹藪脇の進入口は軽トラが何とか通れる仕様にある。

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◆邸宅の土台側面には割と近代的な道標が鎮座する

のっけから狭ければ車道も糞も無いが、フカフカの絨毯は鼻から車両通行に対応している。当然車種は問われるが、一時代前の主役であればノープロブレムだ。この道の最晩期に主役を張った車両、それは他でもない人力車である。馬車の通行は物理的に不可能であるが、人力車なら通れるはずだ。

市道と街道を二分する大邸宅の前には、道標らしき石造物が鎮座する。意図的な街道歩きでもしない限り、その遺構に接触する可能性は限りなく低いが、石柱の形状及び彫刻された文字の鮮明さと、全体的な完成度の高さからして、江戸時代の遺構でない事はほぼ間違いない。

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◆邸宅正面を右の路はパッと見が徒歩道にしか見えない

直感的に大正もしくは昭和初期の建立に思えるし、下手すると戦後に設置されたものかも知れない。石造物は通行者に対し、左の行き先のみを提示している。これが江戸時代及び明治年間に設置されたものならば、右の案内が無いのはおかしい。

街道筋が山裾にぶつかる分岐点で、左方向しか提示されないのは、右の路が本通りから外れた後に設置されたからではないか。街道筋が現役を退いたのは明治40年であるから、それ以降の設置であれば旅人をわざわざ右の路へ導く必要が無い。

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