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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>四ッ乢 |
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四ッ乢(1) ★★ |
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四ッ乢(よつだわ)の取扱説明書 これまでも歴代の地形図や古文書等に記載されない峠を発掘してきたが、またひとつここに新たな未知なる峠がコレクションに加わろうとしている。その峠道はかつて国道を名乗った時期がある伝説のルートで、道路史的価値はその他大勢の雑魚道とは一線を画す。表向きは単なる県道を装っているが、その実態は国道時代と歩道以上車道未満の二つの顔を持つ、一粒で二度美味しい希少物件で、一般的な名無しの峠となっている現場を住民は四ッ乢と呼ぶ。その道程は取るに足らない些細なものではあるが、一度は国道を名乗った以上、道路史的には絶対に外せない。十日乢と共に連続踏破する事で、かつて國道十九號を名乗った路線の全てを白日の下に晒す。 |
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◆峠道の起点となる国道429号線と備前街道の交点 桑下地区の中心地より若干東寄りの何でもない地点に、かつて主役を張った千両役者の成れの果てが横たわる。とっくの昔に何かに転用され有耶無耶となっていても不思議でなく、よくぞ今の今まで御無事であったものと感心せずにはいられない。その道は今往年のオーラを完全に失っている。 電線が並走しているので、おやっ?と不審に思う目利きが中にはいるであろうが、基本的にこの道に気付く者はまずいない。何故なら道路規格が今日の車道としては機能していないからだ。パッと見は畔道もしくは近所の裏路地に等しく、そこに現役時代の面影は無い。 |
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◆峠道の始まりは街道筋らしくのっけから狭い ターゲットは国道429号線を前後して様相が異なり、それがかつての一本道と理解するには、それ相応の予備知識を必要とする。但し十日乢を越してきた者はその限りではない。いくら最新式の快走路に二分されていようとも、前後の小径が同一線上のものと理解するのに、それほど時間は掛らない。 むしろ十日乢を越してきた者にとっては、極自然な線形として許容出来るに違いない。亀甲側は路肩が脆弱で単車までしか対応していないのに対し、久米側はミゼットで平然と突っ込める仕様にある。軽トラだと少々厳しいものがあるが、物理的にやってやれない事はない。 |
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◆四輪だとミゼットがギリギリのスペースしかない バックミラーを格納して慎重に慎重を期せば、軽自動車でも何とか走破出来る幅員を有してはいる。敢えてそこに挑むかどうかは別にして、久米側の通路は辛うじて四輪の通行を許す状態にある。その規格がいつ頃成立したのかは定かでないが、少なくとも現状はギリギリ軽四の通行が叶う。 側溝脇の通路は現実に1.5m幅を有し、路面には薄らと四輪の轍跡らしき痕跡が認められる。一般車両が頻繁に行き来しているとは到底思えないが、何等かの車両が日常的に往来しているのは確かだ。住宅の合間を擦り抜けると、薄暗かった視界前方が急激に開ける。 |
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◆実幅は軽四も可だがハンドル操作を誤ると即脱輪する そこで僕ははたと気付く。この通路は小型乗用車の通行も可能であると。国道との交点直後は住宅の塀が迫り、印象として道幅はやや狭く映ったが、それは圧迫感からくる目の錯覚で、両側に壁のない広々とした空間であれば、普通車クラスでも違和感なく通り抜けられる。 だからと言ってこの通路を車道と言い切る気などさらさら無い。そもそもこの小径は車道である必要がない。何故ならこの通路は車道になる前に戦力外通告を受けた、一時代前の規格を維持する希少な路であるからだ。僕にとってこの微妙なサイズは、まさに願ったり叶ったりである。 |
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◆4m幅の市道に吸収される備前街道 この小径は300mと進まぬうちに、一般的な市道に吸収される。交わる二つの路の規格の違いは一目瞭然で、片や一般的な市町村道で、片や四輪での進入を躊躇う農道に等しい。勿論その二又には何の案内板も無く、逆走するドライバーは経験則から右左のどちらに舵を切るのかを迫られる事になる。 久米側から進入するとなると、大方は右の路を危険と察知し、左へ舵を切る事になろう。本能的に取捨したその選択は賢明であるし、安全確実なドライブという観点では頗る正しい判断だ。しかし街道探訪というテーマでは不正解となる。現場に案内板は無いが、怪しい小径は歴とした備前街道である。 |
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◆市道と県道159号線の交点 その道筋は県道159号線の旧道と言い換えても差支えない。4m幅の市道に吸収された街道筋は、実質三車線を有する現県道筋にぶつかる。振り向けば視界の先にはサークルKが角にある十字路があり、その奥に明治40年以降に主役を張った桑下の中心が見え隠れしている。 今でこそ桑下の中心は国道429号線と県道159号線の交点となっているが、一時代前はその奥に位置する酒屋の三差路が重要な交差点で、更に遡る事明治30年代末までは、倭文川を跨いだ直後の変則の十字路が街道同士の交点で、時代と共に桑下の拠点は点々と移り変わっている。 |
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◆街道筋は県道を横断しやや北西寄りで上り詰める 現在の交点から直線的に久米方面を目指す峠道は、幅広の歩道を含む実質三車線の贅沢な快走路で、その道は明治40年に成立したとされる十日乢新道と共に産声を上げた期待の新道で、基本的には馬車道を踏襲している。従ってこの界隈の地形と相俟って、線形は非常に穏やかである。 対する明治30年代末まで使われた路は、それなりにトリッキーな線形を描く。現県道筋を横切った旧道は、正面に待つ山裾目掛けて駆け上がる。その線形が奏でるのは、現道とは似ても似つかない狂想曲である事に、僕はまだ気付いていない。 四ッ乢2へ進む |