教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜

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十日乢(17)

★★★

十日乢(とおかだわ)の取扱説明書

視界前方に待つ高台のピークまで上り詰め、そこから直ちに下りへと転じる車道に出会った際には、勾配の緩急や高低差の如何に関わらず、僕はいの一番に峠の存在を疑う。そこが行政界を隔てる領界線上にあれば尚更で、例えそこが名無しの峠であろうとも、そんな事はお構いなしだ。紙上に刷り込まれた峠名も大事だが、やはり現場が峠の形を成しているか否かが肝である。予てから津山市と美咲町の市町界を跨ぐ丘越えに等しい路を臭いと睨んではいたが、一体全体何が臭いのかはさっぱり要領を得なかった。しかし出雲街道を追及する過程で芋蔓式に出て来たのが、何とも得体の知れない古道筋であった。後々その峠道が当該エリアでは十日乢と呼ばれている事を知る。また歴代の地形図に描かれる事のないその峠道が、出雲街道と無縁ではない事も。恐らく当報告書を読み終えた暁には、誰もが水野晴郎と化すに違いない。いやあ道路ってほんといいもんですね!と。

 

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◆幅員は倍増しているが現場は街道らしい雰囲気が漂う

この山道が現県道の旧道である事を知る人物は、桑下生え抜きであってもそれほど多くはない。昔はここを通っていた、江戸時代の街道らしいといった断片的な認識でしかなく、県道159号線と絡めて受け答えが出来る者は皆無に等しい。ましてや国道時代ともなると、ちんぷんかんぷんといった感じである。

国道19号線は新道路法が施行された大正9年から、昭和28年に施行された戦後初の道路法改正までの30余年間を、ここ桑下経由で岡山と松江の間を結んでいた。その道筋はほぼ現在の県道159号線筋に重なり、整備不良により凹凸の激しい戦時下の道路状況を覚えておられる方は多い。

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◆2m幅の土道が最終的には4m幅の舗装路へと拡がる

ところが戦前の昭和初期頃になると村人の回答は曖昧で、いつ頃新道に切り替わったのかが極めて不明瞭となっている。桑下経由の県道が国道を名乗るようになった時代を知る者は、既に100歳前後の長寿になっていて、御存命であってもそう簡単に接触出来るものではない。

仮に桑下生え抜きの長老が見付かったとしても、まとも受け答えが出来るかは会ってみなけりゃ分からない。耳が不自由で等の理由で、これまでも御子息に聞き取りを何度断られたか知れない。一番確実な方法は畑仕事に精を出す古老であるが、80過ぎでめっけもん、70過ぎなら万々歳というのが実情だ。

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◆桑下の外れで街道らしさは完全に掻き消されている

70越えであれば先の大戦の生き証人であるから、それなりの興味深いエピソードを聞ける事が多々あるし、20年後30年後の失われた世界では、僕の糞レポでも少しは世の中の役に立つはずだ。戦争体験談がリアルに聞けるというのは、未来人からすれば羨ましい限りの贅沢な一時に違いない。

僕も小学生の夏休みの自由研究で道路を取り上げていれば、江戸道から明治道へ移り変わる時代を、リアルタイムで見届けた者達の生を証言が得られたかも知れないのだ。そう思うと悔やまれてならない。今この瞬間は二度と戻って来ないと人は言う。僕は道活を通じてその言葉が骨身に沁みる。

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◆進行方向右手の更地に案内板付きの石造物を捉える

この山道をまともに伝っていた時代を知る者は皆無に等しい。ただつい最近まで十日乢を歩いて越す者がいたというし、現に上組に置かれていた石には近道との表示がある。従って旧道か否かとかかつての街道とかは関係無しに、この山道は近年まで使い勝手の良い道として、利用されてきたに違いない。

今でこそ山道は廃道のように見えなくもないが、峠道全体の八割方は整備されていて、車種を選ぶので車道としては少々心許無いが、ハイキングコースと捉えればこの先もまだまだ十分に使える。元々津山街道と盾を競う間柄であるから、道路規格そのものは折紙付きだ。

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◆石造物の文字は判読不能であるが道しるべとある

今更過剰な整備をする必要は無く、道中には十指に余る石造物がナビゲートしてくれる。そのうちの数箇所には案内板が掲げられており、地域の史跡を保存する委員会のようなものがあって、その一環として備前街道の保存に尽力しているのかも知れない。しかし中途半端な点は否めない。

史跡に案内があるのは峠の北側に限られ、サミットを含め峠の南側に点在する石造物群は、完全に放置プレイである。この事は津山市側だけが史跡の保存に力を入れている事の証しだ。美咲町がだらしないとは言わないが、史跡の保存に格差が生じている点を危惧せずにはいられない。

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◆慈恩寺前の四差路で婆ちゃんより証言を授かる

津山市と美咲町では財政力で大きな差がある。そんなものに投資するほど余力はないという懐事情もあろうが、地区という点で物事を捉えているのが、何とも歯痒い。出雲街道のように市町村のみならず、県を跨いだ超法規的な寛大な措置が取れないものかと、一市民として願わずにはいられない。

僕は点という閉鎖的な視点から、線という広義的な観点で物事を捉えて欲しいと願わずにはいられない。上組の路傍に佇む久世村近道と掘り込まれた道標は、案内板を設置してもいいくらいの貴重な史跡である。あれが有るのと無いのとでは大違いだ。道路史的には間違いなく一級品の史跡である。

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◆慈恩寺への入口となる四差路は石灯篭を備える

上組の道標は遠回りの本通り、即ち現在の経路が確立されて以後に置かれたものとの解釈が妥当だ。ちゃんとした正規ルートがあるけれど、こっちの方が近道だよと教えてくれる。それが新道に対する旧道であるとも。

十日乢を線として捉えた場合、単なる史跡に止まらない興味深い背景が見えてくる。山道のルーツは備前街道ではあるけれど、それと同時に旧県道でもあり旧国道でもあるのだ。それが有望な観光資源である事に早く気付いて欲しい。

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