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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>十日乢 |
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十日乢(14) ★★★ |
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十日乢(とおかだわ)の取扱説明書 視界前方に待つ高台のピークまで上り詰め、そこから直ちに下りへと転じる車道に出会った際には、勾配の緩急や高低差の如何に関わらず、僕はいの一番に峠の存在を疑う。そこが行政界を隔てる領界線上にあれば尚更で、例えそこが名無しの峠であろうとも、そんな事はお構いなしだ。紙上に刷り込まれた峠名も大事だが、やはり現場が峠の形を成しているか否かが肝である。予てから津山市と美咲町の市町界を跨ぐ丘越えに等しい路を臭いと睨んではいたが、一体全体何が臭いのかはさっぱり要領を得なかった。しかし出雲街道を追及する過程で芋蔓式に出て来たのが、何とも得体の知れない古道筋であった。後々その峠道が当該エリアでは十日乢と呼ばれている事を知る。また歴代の地形図に描かれる事のないその峠道が、出雲街道と無縁ではない事も。恐らく当報告書を読み終えた暁には、誰もが水野晴郎と化すに違いない。いやあ道路ってほんといいもんですね!と。 |
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◆植物の猛威に晒された浅藪区で多くの車両は戦意喪失 シーズンオフでこの状態であるから、新緑の季節になれば空間は狭められ、盛夏ともなれば前後が見通せなくなる可能性が高い。勿論それは何もしなければの話だが、数年前までは定期的に人が歩いて越していたというから、何等かのメンテナンスが施されていたのではなかろうか。 今でも四輪一台分の空間はきっちりと確保されているので、それなりの保守管理は成されているようだが、はっきり言ってこのような惨状が5mでもあれば、般ピーにとってはかなりのインパクトで、マイカーでも躊躇するのは当然として、レンタカーだと諦めるしかない。 |
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◆四輪にとって町道の津山側は廃道同然の受難路 ここを強引に突破しようものなら、借りてきたカローラが傷だらけのカローラで返却され、いつもなら秀樹感激!で出迎える秀樹店長も、この時ばかりは秀樹惨劇!と三度目の脳梗塞を発症するリスクが高まり、病と闘うヤングマンも病に倒れるヤングマンになってしまうかも知れない。 チャリや単車にとっては脅威でも何でもないが、四駆で山遊びが趣味という変わり者でない限り、このようなちょっとした狭き門に進退が問われるのが四輪の弱点であるが、テレビショッピングで御馴染みの本場堺の職人さんが丹精込めて作った長枝切り鋏を、トランクに常備しておけば問題ナッシングである。 |
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◆杉木立の回廊が悪路を克服した猛者を招き入れる 何故か一箇所だけ手入れが成されていない藪区を抜けると、杉木立の回廊がおいでおいでと手招きしている。まだ間引きされていないのか、杉と杉の間隔が豪い狭く圧迫感は否めないが、かなりの高さまで枝打ちされているので、そこそこ光が射し込み陰湿な感じはしない。 回廊の路面は草ひとつ生えておらず、杉の枯葉で満たされた峠道は整備されたハイキングコース宛らの好況にある。フッカフカの絨毯から伝わる感触は非常に心地良く、この近くに別荘を建てれば格好のお散歩コースになるだろう。木漏れ日の中を乗馬で森林浴とか贅沢な一時が約束されるに違いない。 |
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◆杉林の中で薄らとではあるが四輪のタイヤ痕を発見 そんな夢みたいな話が、今から遡る事150年程前には、至極当然のように行われていた。乗馬でこの道を越えた者達がいる。それもかなりの数に上るだろう。何故ならこの道筋は備前街道と称される由緒ある街道筋であるからだ。 十日乢=備前街道 旅人や行商人がテクテクと歩いて越すのは勿論、駕籠に乗る者や乗馬で越す者も数多くいたであろう。明治黎明期までは医者が自ら馬を操り、峠を跨いで隣の集落へ往診に出向いていたという逸話は、箕地峠や目木乢で直接耳にしている。 |
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◆視界前方の一部の空間だけが異様に明るい 医者のみならず急ぎの者や旅人でも馬を使う者はいたであろうし、乗馬でなくとも馬に直接荷を背負わせる駄馬が日常的にこの峠道を往来し、この峠道一本で賄っていた時代は、そこそこ賑わっていたであろう事は想像に難くない。今その山道はひっそりと静まり返っている。 植林杉を貫く街道筋は、ほぼ横這いに進むと、一部が開け陽の射し込む明るい場所に出る。どうしてそこだけが開放的なのかと目を凝らして周囲を窺うと、獣道以上車道未満の路と十字で交わっている事を知る。完璧な十字路ではないが、現場は確かに辻になっている。 |
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◆開放感溢れる広場から振り向くと杉林はトンネルに映る 辻で振り返ると杉木立の回廊がまるでトンネルのように映るが、丁度その薄暗い森の中から抜け出た所が、山道同士が交わる交点となっているのである。十日乢越えの路は明らかな車道であるが、そこを横断する路は人畜のみが有効の登山道と言っても差支えない小径である。 しかしその小径は最近になって登場したのではなく、当山道が備前街道を名乗っていた時代から存在するのはほぼ間違いない。何故ならこの辻には道標が設置されているからだ。それも行き先がはっきりと記される正真正銘の道標だ。そいつは古くからこの辻が重要な交点であった事の証しである。 |
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◆広場は変則の十字路になっていて道標を備える 見てくれ、この道しるべの但し書きまで備えた道標を。この辻は変則的な十字路になっていて、亀甲側からだと迷わず直進となるが、桑下側からだと二又のように見えなくもない。従って若干の迷いが生じる。 それを察してか辻には道標が設置されている。そこにはかめの甲の文字がはっきりと読み取れる。そいつが桑下側から来た者が辻で迷う事を見越した配慮である事は言うまでもない。僕は道標に浮かび上がる妙なマークを見逃さなかった。 十日乢15へ進む 十日乢13へ戻る |