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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>十日乢 |
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十日乢(11) ★★★ |
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十日乢(とおかだわ)の取扱説明書 視界前方に待つ高台のピークまで上り詰め、そこから直ちに下りへと転じる車道に出会った際には、勾配の緩急や高低差の如何に関わらず、僕はいの一番に峠の存在を疑う。そこが行政界を隔てる領界線上にあれば尚更で、例えそこが名無しの峠であろうとも、そんな事はお構いなしだ。紙上に刷り込まれた峠名も大事だが、やはり現場が峠の形を成しているか否かが肝である。予てから津山市と美咲町の市町界を跨ぐ丘越えに等しい路を臭いと睨んではいたが、一体全体何が臭いのかはさっぱり要領を得なかった。しかし出雲街道を追及する過程で芋蔓式に出て来たのが、何とも得体の知れない古道筋であった。後々その峠道が当該エリアでは十日乢と呼ばれている事を知る。また歴代の地形図に描かれる事のないその峠道が、出雲街道と無縁ではない事も。恐らく当報告書を読み終えた暁には、誰もが水野晴郎と化すに違いない。いやあ道路ってほんといいもんですね!と。 |
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◆鮮明な複数のタイヤ痕と転回した跡が認められる 東京から神戸を経て姫路より北上を開始する国道が、装いも新たに岡山経由に改められたのは、大正9年4月1日の事である。同8年4月10日に法律第五十八号として可決された法案、所謂新道路法によって国道の経路が改められ、津山街道が初めて国道を名乗る事になった。 国道53号線のルーツは江戸時代の津山街道であるが、車道としての起源は明治20年に成立した県道一等で、国道という枠組みで言えばその始まりは、大正9年に冠された国道19号線という事になる。その起終点は鳥取市街地ではなく、島根の県庁所在地であった。 |
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◆本線は右に大きく弧を描くもそれは後付けのダミー 今でこそ旭川と共に遡上する国道筋は、津山を経て鳥取市内へと至るが、大正から戦後しばらくの間は、打穴中で北西に舵を切り、桑下を経て久米村で久米川沿いの路にぶつかると、坪井・上河内と出雲街道の宿場を繋ぎ、勝山・新庄・根雨を経て米子に滑り込んでいた。 これが十日乢が出雲街道と無縁でないとする理由で、国道19号線は山陽側が現国道53号線筋を辿り、山陰側は現国道181号線筋を辿っている。その当時の国道は岡山から米子に至る道程の過半数が出雲街道に属し、陰陽連絡線という性格からしても新出雲街道と言っても過言ではない。 |
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◆支線扱いとなっている怪しい道が十日乢越えの路 国道19号線=新出雲街道 出雲街道に不変の基軸がある訳ではない事は、追分と久世の間で経路が度々変更されてきた事からも明らかで、経由地が恒久的にブレないという訳ではない。むしろ時代に見合う経路が設定されて然るべきである。 その時代の国策に見合った道路の格付けなり経由地なりが決まるのであって、国益に適うよう最適化されるのが望ましいに決まっている。大正中期から昭和初期にかけては、津山を経ないで岡山と米子を結ぶ経路が最適なコースであったのだろう。 |
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◆直進の路は軽四でも進入を躊躇うほどの狭隘路 その道中に組み込まれたのが山添橋で、旧県道時代のデリネーターが一本だけ認められるあの道は、かつて国道19号線を名乗った紛れもない旧国道なんである。今でこそ単なる町道に甘んじているが、旧県道にして旧国道、これが旧山添橋とその先に僅かに残る狭隘路の正体である。 国道19号線は余程出来が良かったのか、その大部分は現道の下敷きになっていて、全線二車線の舗装化が完了している県道159号線の左右には、旧道の残骸はほとんど認められない。その代わり前身となる一時代前の道筋は、ほぼ手付かずのまま山中に眠っている。 |
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◆この狭さが本線を名乗った時代の実幅である可能性が大 最終人家をパスして山中深くへと入り込んだ未舗装路は、可もなく不可もない勾配で坂道を駆け上がる。これといった目立った離合箇所は無いが、待避所らしき膨らみが皆無という訳ではなく、軽自動車同士なら所々で擦れ違いが叶う。どこまで行ってもタイヤ痕が認められるので、一定の通行量があるようだ。 路面は砂利敷きとなっていて、この山道が主役を担った時代の状態を保っている訳ではない。今日に至るまで必要最低限のメンテナンスは成されている。しかし一箇所だけ往時の状態をキープしているのではないかと疑わざるを得ない区間を捉えた。それは頂上の直前に存在した。 |
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◆尾根筋に達する第669号美咲町道祝詞とうか乢線 ほぼ稜線が手の届く位置まで来た段階で、砂利が継ぎ足された路は何かを思い出したかのように、唐突に右に舵を切り折れ曲がる。まだ真っ直ぐに続く路があるにも拘らずだ。路の整備状況といい轍の数といい、右に弧を描く路が圧倒しているが、それが後付けの新設路であるとこの僕が気付かないはずがない。 パッと見支線扱いとなっている直進の路こそが本線で、そこは軽自動車がピッタリサイズの一回り狭い路ではあるが、薄らと四輪の轍跡が認められ、通行車両が全く無い訳ではない。普通車だと進入する気にはなれないが、その狭さこそが一時代前の状態を保っているのではないかと僕は考える。 |
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◆林道が横切る尾根伝いのサミットは乗越状になっている その考えが正しい事を、頂点に達した所で確信する。直進の路だけがサミットを境に下りに転じているのだ。頂上には稜線上を伝う未舗装路が走っているが、それを機に路は前後共に下りになっているのである。 対して現在の本筋となっている右に急カーブを描く路は、稜線伝いの路にぶつかった所が終点となっている。頂上で行き止まる路が峠道であるはずがない。従って直進の狭隘ダートが十日乢越えの本線である事を疑う余地はない。 十日乢12へ進む 十日乢10へ戻る |