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教育委員会が贈る歴史の道調査報告書、その傑作を補完して有り余る佳作、歴史の道踏査報告書〜古老の証言集〜 |
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トップ>旧道>岡山>十日乢 |
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十日乢(10) ★★★ |
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十日乢(とおかだわ)の取扱説明書 視界前方に待つ高台のピークまで上り詰め、そこから直ちに下りへと転じる車道に出会った際には、勾配の緩急や高低差の如何に関わらず、僕はいの一番に峠の存在を疑う。そこが行政界を隔てる領界線上にあれば尚更で、例えそこが名無しの峠であろうとも、そんな事はお構いなしだ。紙上に刷り込まれた峠名も大事だが、やはり現場が峠の形を成しているか否かが肝である。予てから津山市と美咲町の市町界を跨ぐ丘越えに等しい路を臭いと睨んではいたが、一体全体何が臭いのかはさっぱり要領を得なかった。しかし出雲街道を追及する過程で芋蔓式に出て来たのが、何とも得体の知れない古道筋であった。後々その峠道が当該エリアでは十日乢と呼ばれている事を知る。また歴代の地形図に描かれる事のないその峠道が、出雲街道と無縁ではない事も。恐らく当報告書を読み終えた暁には、誰もが水野晴郎と化すに違いない。いやあ道路ってほんといいもんですね!と。 |
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◆田畑への引き込み線を最後にアスファルトは途切れる 溜池と接する部分までは舗装されている町道も、それ以上となると流石に舗装はされていない。不特定多数の者が日常的に利用する町道であるならば、とっくの昔に舗装されているであろうが、こうして砂利道のままであるという事は、特定の者が細々と利用しているものと考えていい。 路面には鮮明なダブルトラックが認められ、刻まれて間もないタイヤ痕がはっきりと読み取れる。決壊箇所がいつ何時発生したのは定かでないが、そこを擦り抜けられるのは軽自動車のみであるから、山仕事のおいちゃん達がこの道を恒常的に行き来しているのかも知れない。 |
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◆一般車では進入する気になれない本格的な山岳道路 舗装路が途絶えた瞬間から、路は植林杉の森の中へと分け入るが、既にその開始地点に於いて町道という雰囲気は無い。北西に延びる未舗装路は宛ら林道といった有様で、普通車であればまず間違いなく引き返す悪路だ。最終人家を過ぎた段階で、堅気の人間が踏み込む領域ではない。 一般道の舗装化率が90%を超える我が国に於いては、これより先の路は車種が問われる極めてイレギュラーな路となり、現状を見る限りは四駆でないと厳しい。しかしダブルトラックが奥へと続いている事から、進入を試みる際の車種を間違えなければ、四輪によるチャレンジも無謀ではなさそうだ。 |
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◆樹林地帯へ分け入った瞬間の路面状況は穏やか 現場は町道という概念からは大きく逸脱しているが、林道と思えば全く違和感はないし、むしろ良く整備されているように感じられる。四駆であればストレスフリーで駆け抜けられる仕様にあり、樹林地帯へ入ってみると障害らしいものは見当たらず、路は舗装路と同様に頗る安定している事に気付く。 今のところ古道臭というものは全く感じられないが、方角的に近道とされる路の続きである事は間違いなく、これがかつての本線であるとすれば、その当時とほとんど変化無い状況にあるとみていい。このまま順調に抜けてくれればと願うも、そうは問屋が卸さない。 |
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◆普通車だと進入した事を後悔する藪の鉄拳制裁が待つ やはりタダでは済まないようだ。一応車両一台分の空間だけは確保されているが、それは車を通せるか否かの必要最低限のレベルをクリアしているに過ぎず、ボディが擦れるか否かといった一般のドライバーが最も気にするであろう点は、全く考慮されていない。軽トラが通れさえすればいい、そんな感じだ。 植物の影響を受け難いオフシーズンでこの状況であるから、新緑の季節や盛夏ともなればどうなるかは言わずもがな。多少の回転レシーブは許容するジムニーとかでないと、進入する気が失せるのではなかろうか。少なくとも僕ならマイカーであれば即時撤退する案件だ。 |
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◆町道祝詞とうか乢線は峠道を主張する割に勾配は緩い 地図に未掲載の峠にしてこの劣悪な環境であるから、この物件が今の今まで世に出回らなかったのも頷ける。現場は大した山奥でもなく、どちらかと言えば市街地に近い。まさかそんな近場にこんな美味しい物件が!というシチュエーションは、近所で隠れ家的なレストランを発見した際の高揚感に似ている。 俺だけのために存在する、そう勘違いさせるに十分な素地がこの山道にはある。酷民のほぼ全てがこの峠道の存在を知らぬまま一生を終えるであろうから、それはまさしく秘境ならぬ秘道と言っても過言ではない。ターゲットが地図に浮かび上がらないのだから、この峠道に辿り着くのは至難の業だ。 |
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◆路面は踏み固められ表面には薄らとタイヤ痕が残る 山林を虱潰しにアタックする輩が偶然発見するとか、山菜取りに入った山がたまたまこの場所であるとか、般ピーだと何等かの偶発的要因に頼らざるを得ないが、郷土史の一部にはこの乢道に関する記述が認められ、ほんの数行ではあるが頂上が十日乢という情報だけは手に入る。 但し具体的な場所も明かされていなければ、その出入口がどこにあるのか等の詳細な情報は無く、結局は大凡の見当を付けて現地を手探りで徘徊するしかない。古文書はひとつの入口であるが、実はもうひとつこの乢に辿り着く方法がある。それが一本の国道に的を絞った調査で発覚する場合だ。 |
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◆ダブルトラックが一定の交通量がある事を物語る 大正8年に成立し、同9年に施行された新道路法では、大幅な路線再編が成され、路線番号及び経路に大胆な変更が試みられている。東京市と島根県庁所在地を結ぶ点は明治と大正で相違は無いが、その経路が大きく変わっているのだ。 東京から東海道と山陽道を伝って西進する所までは共通しているが、明治国道が姫路より北上を開始するのに対し、大正国道は岡山を起点に北進するのである。その経路に十日乢が組み込まれている事実は、一般にほとんど語られる事はない。 十日乢11へ進む 十日乢9へ戻る |